沖縄県中部の公立中学校の生徒がほぼ同年齢の少年達によって殺され、埋められた事件が全国的に取り上げられ、注目を浴びている。
この事件そのものについては全容が解明された訳ではないので、今の時点ではコメントを避けるが、少々気になるのがこの事件に対してのマスコミの論調である。
それらを総じれば、「楽園(沖縄のこと)で起きた信じられない事件」というステレオタイプの切り方。つまり青い空、白い砂のパラダイスを背景に起きた、残酷極まりないという、明と暗の対比だ。
そもそも沖縄県は全国でも有数の中学生による犯罪アイランドである。
少年による刑法犯罪の構成比率は42%で、全国平均の44%を下回る(1999年県警本部・犯罪統計書より)ものの、少年(14〜19歳)の中での中学生(14〜15歳)の構成比率を抽出してみれば、それは5割(1998年調べ)を越えるもので、全国平均の4割を上回っているのである。
この事態に危機感を抱いた教育関係者や父母会などによって、家庭訪問や深夜パトロールなどが精力的に行われている地域も少なくない。その実施効果も上がってきてはいるが、全体的にみるとまだまだといったところだ。
それどころか、例えば、中学の女性教員が、生徒の家庭訪問をするのに、男性の教員に付き添ってもらわなければならない地域もあるのだ。
女性教員が一人で行けない理由は、男子生徒とはいえ肉体的には「大人」である、ということと「昼間から泡盛を飲んだくれている保護者」がいたら危険だから、というのである。こんな状態は、今の日本列島においても尋常とはいえない。
なぜ少年犯罪が減らないのだろうか。極めて歪んだ沖縄の社会構造、不健全な県経済の有り様、そのことが生み出す家庭における心の荒廃、それらが渾然となって心を蝕んでいるのだ。根はとても深いところにある。
なんでもかんでも事件の原因を社会構造の問題に帰することは、むしろ本質を見失う場合もあるだろう。今回の事件の本質がどこにあるのか現時点では断定できないのだが、いずれにしても「楽園で起きた信じられない事件」といった表層的なものの見方では何も見えてこない。
また、それでは再発防止にもなりはしないと、危惧するのである。
(山村雅康) |

沖縄の都市部はコンクリートの街だ。沖縄県の人口あたりのセメントの消費率は世界有数(日本ではトップ)のものだ。

作られた楽園イメージ。これも間違いなく今の沖縄の姿の一面ではあるが、住民の日々の生活観とはあまりに乖離した場面であり。こんな場所が全てだという認識を持つこと、それ自体が信じ難い現象ではある。
|