比叡山の麓にある仰木という集落には、なぜかあちらこちらにお地蔵様がある。決して仰木という所は広い場所ではないが、周りに広がる棚田や集落のはずれ、町内の十字路、民家の庭先などいたるところにある。これほどのお地蔵様があるのは、ほんとうに珍しい。
写真家の今森光彦さんは、「村の人に聞いても古すぎて誰も知らない。比叡山のお坊さんから聞いた話によると、信長の延暦寺の焼き討ちで、ここまで逃げてきたときの生き倒れじゃないか」と言う。
この仰木のすぐ真下に私の住む仰木の里と呼ばれるニュータウンがある。このニュータウンの中に、成安造形大学という芸術系の大学がある。その大学の学生達が、2000年から里山環境の残る仰木地域のフィールドワークを通じ、この地に数多く点在するお地蔵様の記録地図を作ろうという「地蔵プロジェクト」を始めた。仰木の地元住民と学生との交流・協力によって、フィールドワークを通じてマッピングした仰木のお地蔵様の位置を印した「仰木の里山マップ」が、2003年には出来上がったと聞いている。どんな地図なのか見てみたいものだ。
建築家で成安造形大学の大岩剛一助教授は、「仰木の地蔵の背景には必ず大きな木や崖があって、背後が安定している。それは一つの安住の地の風景ではないのか。そういう場所に住みたいというより、そういう場所で死にたいというポジティブな死の風景で、里山の精神的な価値までが見えてくる」と指摘する。
また同大学デザイン科の森公一助教授は、「米国の友人が『里山は命を育む場と同時に、里山自体がひとつの生命体だ。川は血液、地蔵はツボだ』と言ったことから、里山のツボとしての地蔵には、目に見えなくても精神的な思いやりの精神を育む力がある。それは生命体としての里山のメタファーだ」と言う。
今、里山が身近なものになってきている。里山の風景をみるとある種の懐かしさを感じる。哲学者の内山節氏は「ノスタルジアだと説いた時代があった。とりわけ、戦後の発展神話が信じられていた時代には、振り返ることは、失われていくものへの郷愁のように思われていた。しかし、いまでは、人々はそれとは違うまなざしを与えている。それは発展神話から解放された人々が、人間の戻るべき世界を探しはじめたからであろう。」と述べている。
人々が里山を見る目は、ブームよりもっと地に足の着いたものだと感じる。季節が循環するように、高度成長期以前の私たち日本人が自然に抱いていた思いを探しているようでもある。共生と言わなくても、自然と人間とが相互性を持ちながら暮らしを営んだきたことを。仰木の人々のお地蔵様に対する思いは、私たちに大切なものは何かを語りかけているようである。
※資料
「今森光彦とめぐる里山の四季」別冊太陽日本のこころ117(2002年4月平凡社発行)
(中江啓介)
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お地蔵様の祠には、数多くのかわいいよだれかけが奉納されている
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