浦安にまだ『青べか物語』の名残がのこっていたころから、東京地下鉄東西線を走ってきた5000系電車が本年度末で同線より引退する。1月27日、深川工場では車両撮影/工場見学の会が行われ、大勢の家族連れらで賑わった。
総武線の貨物列車をD51型蒸気機関車が牽引し、浦安にまだ『青べか物語』の名残りが残っていたころから、東京地下鉄東西線を走ってきた5000系電車が本年度末で同線より引退する。
アルミ車(第90編成)の引退が目前となった1月27日、東京地下鉄の深川工場(江東区塩浜)では車両撮影と工場見学の催しが行われ、大勢の家族連れやカップル、鉄道ファンらで賑わった。ざっとみたところ、家族連れ6割、ファン4割といった構成で、ファンの彼氏についてきた彼女風の女性には少し驚いた。
昭和の頃にはこの種の催しで、ファンの彼氏についてくる女性などいなかったような気がするし、何より鉄道ファンといえばもてない男性の代名詞といった観もあった。僕が高校の頃から、何となく鉄道ファンをやめてしまったのも、そのことと無縁でないような気がする。(写真はすべて、クリックすると大きくなります)
賑わった車両撮影会
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休日の遊園地なみの人出
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もうじき引退するアルミ車(第90編成)この日は車内を利用して写真展が行われた
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05系ボルスタレス台車
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05系のモーターなど
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05系の車輪
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写真展より
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遊園地と見まがう工場内
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車体吊り上げの実演
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1966(昭和41)年に生まれ、4才の頃から東西線沿線に住み続けている僕にとって、いわば同い年である5000系電車20両の引退には感慨もひとしおだ。電車の寿命は、ちなみに40〜50年である。しかし、鉄道ファンだった小中学生の頃、この東西線5000系は「いつもの東西線の電車」という感じで、とくに愛着はなかった。
1970〜80年代はまだ、たとえば東急目蒲線・池上線・田園都市線を旧性能電車といわれる旧3000系が走っていて、僕はそれらの方に関心があったし、(当時)営団5000系は400両以上もあったから、同じく東西線を走っていた(当時)国鉄301系(54両)と比べて珍しさに欠けた。
「営団5000系」といえば、国鉄103系、東武8000系、京王帝都6000系、東急8000/8500系などとならんで、やたらに両数の多い平凡な通勤型電車だったのである。鉄道ファンの注目もさほどあつめていなかったように思う。何より営団地下鉄(現・東京メトロ)の車両で言えば、次の6000系電車(千代田線で現在も活躍)が画期的で斬新だったので、とくによくもわるくもない5000系は目立たない地味な存在だった(今から考えると、性能などは国鉄301系と同等だから、それなりにいい電車なのだ)。
事情が変わるのは1990年代からだ。営団地下鉄のみならず、東京都営地下鉄、大阪市営地下鉄、名古屋市営地下鉄などは次々と車両を取り替え始めた。大人になってあちこちに仕事で出張してみると各地の電車は、小中学生の頃に乗ったこともないのに何となく覚えていた電車ではなく、ぴかぴかの新しい新車となっていた。浦島太郎のような気分を味わった。
21世紀も近づくと、東海道新幹線の電車も0系や100系でなくなり、300、500、700といった系の電車となって、ますます出張では浦島太郎のような気分となった。出張から新幹線で帰ってきて、大手町から地下鉄東西線に乗り、電車が5000系だとホッとした。なんだか昭和が残っているような気になった。冷房化などの改造はされたが、5000系の外観や内装は、僕が小学生の頃からあまり変わらなかった。
東京という大都会は、かつては第二次世界大戦前後の面影も、随所に見かけることができたのだけれど、バブル経済とその崩壊の頃から、街のあちこちから「昭和」が失われていったような気がする。よく考えると高度経済成長期の産物なのだが、営団地下鉄(現・東京メトロ)5000系電車は、いつのまにか僕の中で、東京に残り続ける「貴重な昭和」となっていった。
その5000系電車がついになくなってしまうと、東京にはもう「僕の昭和」が一つも残っていないような気がしてしまう。3月末に引退予定のステンレス車(第59編成)は、インドネシアで第2の人生を送る予定となっているが、もうじき引退するアルミ車(第90編成)の行く末は未定らしい(参考:
ウィキペディア、など)。鉄屑やアルミ屑の再生市場が価格堅調なら、スクラップにされてしまうのかもしれない。
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