♪月が出た出た の炭坑節で「あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ」と唄われた二本煙突は、今でも筑豊地方のシンボルである。
だが建設から約100年が経って安全上の問題が指摘され、田川市は昨年から全面的な補修に取りかかっていた。開始後、早速、煙突の周りを囲む足場が組まれた。まるでツインビルのようで、これはこれで面白い風景をつくっていたのだが、この5月早々に作業は無事に終わり、足場が外された。
足場が外され、古い皮質が新しくなった。
補修前は、去年3月で完成から100年経つので傷みがかなり激しく、煉瓦や繋ぎ目の劣化で剥がれて落ちる危険な状態になっていた。高さ45mは26階建てビルに等しく、台風や地震による倒壊の怖れが出てきたのだ。
田川市石炭・歴史博物館のサイト
「伊田竪坑櫓と二本煙突が国登録有形文化財に登録されました」によると、
旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓と同第1・第2煙突(二本煙突)が、この年の10月2日に、正式に国の有形文化財(建造物)に登録されたこともあり、田川市は厳しい財政状態ながら、去年10月に全面的な補修に取りかかっていた。
竪坑櫓と二本煙突は、現存する明治期のものとしては全国でも最大級の規模を誇り、登録基準である『国土の歴史的景観に寄与しているもの』に該当するとして、高く評価されている。田川が誇る筑豊炭田のシンボルであり、全国的にも貴重な産業遺産だ。
この文化財の正式名称と概要は、以下のとおり。
■旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓 1基(登録番号:40−0051)
【構造】鉄骨造 【竣工年】明治42(1909)年
■旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一煙突 1基(登録番号:40−0052)
【構造】煉瓦造 【竣工年】明治41(1908)年
■旧三井田川鉱業所伊田竪坑第二煙突 1基(登録番号:40−0053)
【構造】煉瓦造 【竣工年】明治41(1908)年
(引用ここまで)
今までありがとう。旧い住まいは生まれ変わる。
これと並行して、松原地区にあった旧炭鉱住宅の住人も4月末で新しい団地に移り住み、今は無人である。よくぞ今まで我慢を重ねて住んでいたものだと思うほど朽ちている。早々に「立入禁止」の札が棟ごとに貼られたが、名残を惜しむ人々が結構訪れている。
最近、北海道で露天掘りをしている石炭が、発電用の需要を満たしていると言われている。2005年当時、年間消費量1億7,707万tのうち99%以上が輸入されていた。国内採掘量はたったの125万tである。だが、原油の高騰やオーストラリアの採炭量が水害で落ち込んだことや、中国の輸入が増えてきたことから、トン当たり1,3000円と高くなり、北海道のt当たり10,000円の価格が見直されてきたのだ。
北海道電力では道内炭坑に増産を要請し、これまでの2倍に当たる年間100万tを購入するという。このコスト安に、製鉄、製紙会社などが注視している。問題は要求される増産体制がすぐには出来ないことだ。
ならば筑豊ではどうだろうと、つい考えてしまう。無論かなりの資本投下が必要で、インフラだけでも多くの時間もかかるだろう。これはやはり国家的なプロジェクトで取り組まなければならない。また、環境の面でも石油よりCO
2の排出が増え、技術開発は欠かせまい。技術に生きる日本としては、なんとしても石炭のガス化および液化を実現して欲しいものだ。
これまで九州で生産された石炭の総量はおよそ16億tで、埋蔵量としてはまだ80億tが残っていると見積もられている。
では世界的にはどうなのか。
国際航空運送協会(IATA)や「BP統計2004」によると、石油の可採年数は41年、天然ガス67年、ウラン61年である。そして石炭はあと約192年といわれる。エネルギー資源としてはまだまだ採れるわけだ。
石炭公園にそびえる二本煙突
煙突が装いを新たにし、炭住が3−5階建てのしゃれた団地に生まれ変わった。少子高齢化はやむを得ないが、せっかくの資源を眠らせておく手はない。年はとっても、おいちゃんおばちゃんは、まだまだ背筋はピンと伸びている。貧しくてカップ酒を惜しむように飲む日々であっても、川筋気質は生きているのだ。二本煙突のようにシャキッとしているのだ。条件はそろっている。蘇らそうではないか。再生しようではないか。
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