名古屋港水族館で飼育されていたシャチの「クー」(推定18歳、メス)が9月19日朝、死亡した
(シャチの「クー」 死亡のお知らせ:名古屋港水族館)。
シャチ「クー」は、1997年に和歌山県太地町で学術目的のために捕獲され、飼育されていた5頭のうちの1頭で、2003年から繁殖研究のために名古屋港水族館に貸し出されていた。他の4頭はすでに死亡しており、これで1997年捕獲の5頭すべてがいなくなったことになる。
写真は、いずれも「名古屋港水族館を考えるなかまたち」提供
現在国内でシャチを飼育しているのは、千葉県の鴨川シーワールドと和歌山県太地町立くじらの博物館。前者にはアイスランドから1980年代に購入した3頭と飼育下で生まれた3頭、計6頭がおり、後者には同町沖で1985年に捕獲されたメス(推定25歳)が1頭いる。
シャチはかつては鯨油や鯨肉目的で捕獲されていたが、捕鯨業にとっては他のクジラが捕れないときの代替目的もあり、いるか漁業による捕獲もあわせると1965〜1968年に4年連続で100頭を超える捕獲が記録されたあと急減。1991年からは小型捕鯨のための捕獲枠がなくなって、追い込み漁による学術調査用の特別捕獲だけが認められている。
水産総合研究センターによると、追い込み漁による捕獲は1963年以降の合計が87頭。1993年に資源的に希少種であると分類されて以降の捕獲(学術調査目的)は、1997年の1件だけ。このときに捕獲した5頭が全部死んだことになる。
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http://kokushi.job.affrc.go.jp/H19/H19/H19_54.pdf
昨・2007年のIWC科学委員会では世界のシャチの資源評価が取り上げられ、1960〜70年代の小型捕鯨による捕獲が、日本周辺の地域個体群に深刻な影響を与えたとする懸念が記された。
水産総合研究センターによれば、シャチの寿命はメスの場合80〜90歳と推定されており、生息数は西部北太平洋の北緯40度以北で7,512頭、北緯20〜40度で745頭と推定されている。系群によっては資源水準が低位の可能性があるが、数は増加傾向にある、としている。
2006(平成18)年度の資源評価から一気に4倍以上に数字が大きくなっているが、これは元データが更新されたのではなく海域の北限を規定しなくなったことなどによるもので、突然生息数が増えたわけではない。見かけの生息数を増やすことで、シャチの捕獲許可を出しやすくしたのではないかという見方もある。
国内で水族館用のシャチをこれまで供給してきたのは、太地町の追い込み漁である。世界的に見ると、現在40頭あまりが飼育下にあり、そのうち30頭近くが飼育下で繁殖したもので、元になった野生個体の供給は主にアイスランドが行ってきたようだ。
1990年代以降に野生個体を捕獲して飼育した事例は日本以外にみあたらない。世界の趨勢は飼育下での繁殖であり、さらに、いったん飼育環境におかれた個体を自然界に戻す試みすらなされている。
鴨川シーワールドのように、輸入個体を飼育下で繁殖させることに成功している水族館もあるが、国産のシャチを繁殖させた事例はない。名古屋港水族館も、繁殖研究のために太地町立くじらの博物館からクーを借り受け、冷凍精子による繁殖も検討したようだが、結局オスの調達はなされずに終わった。
また、飼育記録に注目すると、1985年に太地で捕獲された個体のうち1頭はいまでも同町立くじらの博物館で飼育されているし、2005年に死んだオスも19年以上飼育できた。12年後の1997年に捕獲された5頭が11年で死に絶えたのだから、原因をうやむやにしたまま「死にましたので補充を」とはいかないだろう。
そもそも、1993年に「学術目的でのみ捕獲を許可」とした指導があいまいで、結局見せ物・売り物としての捕獲にお墨付きを与えているだけという指摘もある
(http://sha-chi.jp/jp/log/eid8.html)。シャチの展示やショーは水族館の目玉でもあるが、シャチは野生にあって家族(群れ)で暮らしてこそという人々も多い。
毎日新聞によれば、「一番の人気者を失った水族館として2代目のシャチの飼育を検討しているか」との記者の問いに対して「まだ考えられない。今は、死んだクーから学ぶことに全力を尽くす」(日登弘・飼育展示部長)との回答があったという(2008年9月20日朝刊)。
水族館にニーズはあるに違いない。しかし軽々に捕獲して補えば、問題は国内にとどまらないはずだ。
「2代目を」という願いは、どこかのシャチの家族から子どもを1頭抜いて来い、という要求でもある。名古屋港水族館には献花台が設けられ、ヒトの親子が弔意を寄せているという。
愛・地球博の記憶が薄れぬうちに、2010年には生物多様性条約・締約国会議(COP10)も名古屋開催が決まっている。2代目を急がずに水族館のあり方を考える機会と捉えてもいいだろう。
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