司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公のほかにも、明治の松山にはたくさんの偉人がいたことを紹介するパネル展「星雲の志を抱いて〜明治の偉人たちのメッセージ〜」に10月10日行ってきました。
これは、「松山を楽しもうキャンペーン 城山公園オータムフェスティバル2009」の一環でした。
参照:
「松山を楽しもうキャンペーン 城山公園オータムフェスティバル2009」 松山市のHP
昨年も今回の会場である松山城ロープウェイ東雲口駅舎2階(この会場でやるのは12日まで。10月14日から坂の上の雲ミュージアム2階ホールに移り、31日まで。開催時間10:00〜17:00 入場無料)で「松山を楽しもうキャンペーン 城山公園オータムフェスティバル2008」の一環として『チャップリンの日本−チャップリンの秘書は日本人だった』展を見に行っていましたので、今回も一連の企画の中で何かには参加してみようと思っていたのです。
パネル展示は、展示人物の1人である新田長次郎が大正12年(1923)に膨大な設立資金の大半を寄付して創立となった松山大学の学生サークルNPO法人松山大学学生地域創造研究所Muse(ミューズ)が調べたものを中心にしたものでした。それぞれ学生が調べたこと(A3で1枚にて功績の内容と展示内容を紹介したものを配布)には、私が知らなかったことや曖昧にしていたものがありました。
新田長次郎の地域貢献の資金の源となった皮革関係事業から派生した現在の会社の製品が展示されていました。
松山大学創立時に市の予算で資金の支出を行った当時の松山市長である加藤拓川(姉の子供が正岡子規)の展示では、「拓川」の名は郷土の川である「石手川」(手へんに石で拓)を意味していたことを知り、本当に郷土を愛していた人だったのだなあと思いました。
正岡子規を介護した妹の律の展示では、子規の死後、和裁の教師となったことも初めて知りました。
日露戦争の時の従軍体験(乃木希典将軍の旅順攻撃に参加)を本として著わした桜井忠温の『肉弾―大孤山の旭旗』と今回、紹介されていた(秋山真之が参謀となった日本海海戦に参加)水野広徳の『此一戦』を同じ書物として勘違いしていたことに気づかされました。桜井忠温の本はどちらかと言えば日露戦争はすごいものだったということを伝えるための手段に使われたと思いますが、水野広徳の本は後に彼が海軍軍人を辞めて反戦・平和運動をすることにつながっていたものですから、意味合いは違っていたのです。
その他、明治に17歳で単身アメリカに密航し、未開の地であった北極圏を探検した和田重次郎や、会場で複製が展示されていた商業デザインを日本で確立した杉浦非水。日本の時代劇の父である伊藤大輔がポスターや映像で紹介されていました。
パネル展示の他にも、小学生が夏休みの自由研究としてこれら7人の功績などを調べたリポートと偉人に宛てた似顔絵付き手紙も展示されていました。司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公である正岡子規、秋山兄弟とかよく知られている人物を自由研究するところを今回、あまり知られていない人物に焦点を当てた作品に新鮮味がありました。「現在はパソコンで執筆活動をするので楽になったけれども、子規の介護をしながらそれを手伝った妹の律は大変だったと思います」という感じで現代っ子らしい手紙を書いているものが多く見受けられました。
私も人物に焦点をあててということではありませんでしたが、中学校の時でしたか、グループ学習で故郷の史跡を調べたことがあります。その時は調べ方・まとめ方を試行錯誤でやっていたので、あんまり満足のいくものはできなかった記憶があります。それに比べると、最近の小学生の自由研究の作品は私には同じ年齢の時だったらできなかったことをしているなあと思い、素晴らしいと感じました。
会場の入口に今回展示があった7人と同時代に生きた愛媛の他の偉人が、いつ生まれいつ亡くなったのかのパネルの展示もありました。そういった星雲の志が形になって今の松山があるのだという感じで、新井満氏作詞の「この街で」(歌詞をプリントしたものも会場で配布)が会場内に流れていました。「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」というフレーズもある松山から生まれた歌で、作品を見るのにピッタリの選曲でありました。
参考:新井満氏の「この街で」・
松山市「ことばのちから」イベントで生まれた歌「この街で」について松山市のHP