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05年8月22日に愛知県岡崎署で開かれた殺人事件の容疑者逮捕の記者会見で容疑者が20才なのに氏名が発表されなかった。 今から3年前の02年6月23日夜8時過ぎ、JR岡崎駅から自転車で帰宅途中の女子大生・下村麻由美さん(当時19才)が、自転車で追いかけて来た若い男に首や胸などを刺されて殺害された事件があった。自宅まであと200メートルのところだった。目撃者によると、犯人は中学生ぐらいから20才ぐらい、身長160〜165センチの小柄でがっちりした体格、オレンジ色の半袖シャツに黒のズボン姿だった。 犯人は現場に、犯行で使った物とは別のナイフと脱げたサンダルを残し、裸足で自転車に乗って逃げた。自転車を使っての犯行であることや目撃証言から近隣に住む中高生の可能性が考えられた。遺留品のナイフには指紋が残されていた。警察は両親や本人の了解を得た上で、事件現場付近の高校に生徒の指紋採取の協力を求めたという。 約3500人の協力が得られたというが、その中に指紋が合致する者はいなかった。時間が経てば経つほど犯人逮捕は難しくなる。警察は目撃情報の他に、現場に残されたサンダルのDNA鑑定を今年の2月、名古屋の大学に依頼した。逮捕の決め手はこのサンダルだった。サンダルから検出されたDNAの型が任意提出を受けた容疑者の家族のDNAの型と一致した。警察は8月22日、事情聴取に踏み切った。男はサンダルが自分のものであることを認め、事実関係も間違いありませんと認めた。逮捕された20才の容疑者は事件当時17才の高校3年生だった。 犯行当時17才であっても逮捕時が成人であれば司法手続きは成人と同じように扱われる。しかし少年法61条の規定に「…少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を…掲載してはならない」とあることから、捜査機関から氏名・住所などの発表はなかった。 この20才の容疑者は動機について「受験したかった」「むしゃくしゃして人を殺す気で家を出た」「偶然若い女性が目に付いた」という、その対象がたまたま下村麻由美さんだった。男は確実に実行するためなのか、自宅から持ち出した果物ナイフと拾った折りたたみ式ナイフの2本を用意していた。受験を控えてムシャクシャしたから人を殺すという思考に納得できないものを感じながら、この男が卒業した高校を訪ねた。 対応した校長は意外なことを言った。この男は就職クラスだったのだ。2年生に進級する時に進学クラスと就職クラスに分かれるのだが、この男は1年の時から就職を希望していたし、担任との面談や親を交えた3者面談の席でも進学したいという話はしたことがなかった。学校では無遅刻・無欠席。口数が少なく、おとなしい目立たない子だった。成績は中の中程度。事件のあった6月23日以降も変わった様子はなかった。担任も特にエピソードはないという。 03年3月に卒業して電子部品関係の会社に就職したのだが、2年経った今年の1月に大学受験のための調査書を作って欲しいと連絡があり、その後合格したかどうかは連絡がなかった。現在、愛知県外の短大の1年生だということは合格していたということになる。事件を起こしたのは高校3年の6月23日。校長の話を聞いていて、「受験したい」と「殺人」の結びつきが解けたような気がした。 この高校には7月になると企業から求人の連絡が来ることになっている。この男は就職クラスを選んだものの、ある時期から大学に進みたいと考えるようになったのではないだろうか。しかし、親にも担任にもそうした気持ちを言い出せぬまま事態は進行した。事件を起こす6月23日の1週間後には具体的に就職先を決めなければならない状況だった。自分の気持ちと思い通りにならない現実の間で、誰にも知られず欲求不満を肥大化させた結果が、あの取り返しのつかない事件につながった。そんな気がしてならない。 逮捕翌日の05年8月23日、自宅を訪ねてみた。周辺にはすでに何人かの記者が所在なげに立っていた。玄関先に出てきた夫婦は20才の容疑者の両親だという。「息子がご迷惑をお掛けして申し訳けありません」。父親は深々と私に頭を下げると、「おかしいと思うことがあったのですが、息子を信じたかったのです。これから警察で、そのことも話してきます」と話した。父親は事情聴取を受けるため警察に向かうところだった。 おかしいと感じたことは無かったのか母親に聞いてみた、母親は自分の息子だから信じていたとハンカチで涙を押えながら車に乗り込んだ。私は「おかしいと感じたこと」が気になった。運転席に乗り込もうとする父親に、おかしいと感じたことだけでも教えてほしいと頼んでみた。父親は「サンダルです」テレビで公開された犯行現場に残されたサンダルの映像を見て、息子が履いていたものと同じだったから聞いてみたという。 息子は「自転車に乗っていて、転んだ時にサンダルが脱げた。古くなっていたのでそのまま捨ててきた」と言った。「ということは裸足で帰ってきたということでしょ。そんな誰が聞いても嘘と分かるような事を言うのです」これはおかしいと思って息子を問い詰めたところ、兄弟に「それじゃ犯人扱いじゃないか、家族を信用しろ」と言われ、それ以上聞くことができなかった、という。 「6月23日の1週間前に母が亡くなりましたが、母の命日は忘れることがあっても6月23日は忘れたことがありませんでした。事件現場はよく通るのですが、そこを通るたびに心の中で手を合わせてきました」父親は、最後は涙声になりながら申し訳けありませんと話した。事件を起こした当時、自分の息子が大学に進みたいという気持ちを言い出せないまま大きなストレスを抱え、それが殺人にまで及んでしまったことに、まったく気付いていないようだった。後で分かったことだが、息子は05年8月21日家族全員が事情聴取された後、家族に犯行を打ち明けていたという。 この父親は事件以来3年余の間、疑念と不安を抱えていた。自分の息子が殺人事件の犯人ではないかという拭い去ることが出来ない疑念。逆に息子を信じたいと思う父親の心情。狭間での精神生活は、想像を絶する苛酷なものだっただろう。この父親もごく普通の人として、これまでの人生は犯罪とは無縁の所で真面目に生きてきたのではないかと感じた。 疑念と不安を解消することは、自分の息子が殺人者であることを確認することに他ならない。この父親はそのことを知っていたからこそ何もできず苦しんできたのだろう。踏み込めなかった「弱さ」を責めることは簡単なことかもしれないが、涙ながらに容疑者の父として答えている姿を目の前にして「なぜ、警察に相談するなりしなかったのですか」という質問を私は飲み込んだ。 同時にもうひとつの思いが私の中にはあった。ある日突然、愛娘の命を奪われた被害者の両親にとって、同じ3年余の年月はどのようなものだったのだろうか。「まゆちゃん、捕まったよ」仏前に報告したという麻由美さんの父親、英一さんにとっては「なぜ娘が……」「どうして…」答えが見つかることもないし、麻由美さんが帰ってくることもない。あの日から立ち止まったまま、仕事に集中できない日が続いたという。親として守ってあげられなかった申し訳なさから自分を責め続けたという。そして「思い出してしまうから」未だに事件現場には行くことができないでいる。 ◇ ◇ ◇
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