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コラム

光悦忌

椿伊津子2006/02/06
2月3日は本阿弥光悦(1558−1637年)の忌日である。本来は刀剣を家業とした光悦だが、書家として工芸家として不朽の作品を遺したアーチストでもあった。
京都 芸術 NA_テーマ2
2月3日は、本阿弥光悦(1558−1637年)の忌日である。寛永14年丁丑2月3日。壽80歳。

 洛北・鷹が峰の光悦寺は光悦の死後に建てられたものだ。日蓮宗、大虚山光悦寺は、鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰、鷹峰三山の南麓にある。

 『本阿弥行状記』によれば、光悦にこの地を与えようと考えそれを命じたのは家康であった。

 或る時、「光悦はどうしているか」と伊賀守にお尋ねになり、存命なれど、異風者にて、京都に居あき申候間、辺土に住居仕り度よしと申上げた。

 権現様(家康)は次のように仰せられた。
「 近江丹波などより京都への道用心あしき、辻切追いはぎをする所あるべし、左様の所をひろびろと取らせ候へ、在所も取立べきもの也との上意なり」

 京の町衆であり既に卓越した作家であったものの、開拓できる別天地を求めていた光悦にとって、家康の命による鷹ヶ峰一帯の賜物は願ってもないことであった。辻切追いはぎが出る所であろうと、彼は雄大な自然に恵まれたこの地を愛した。

 このようにして光悦一属はここに集団移住をし、芸術村を作ったのであるが、彼の才能は芸術にとどまらず、経営、経済という方面で近代化に大きく貢献したことを、私は思うのである。光悦の真価はここにあるような気がする。

 光悦が慈悲心厚く、正義感の強い人物であったのは、数々のエピソードからもうかがうことが出来る。

参考
續近世畸人傳卷之二
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/str_07.htm

【凡そ藝のみにあらず、經濟の才もありて、鷹峰の邊に金掘るべき山を考へ、五ヶ所を得て、人民多くその益を蒙る。もとより心ばせ正しき人にてありし。

 その一事は、七月十四日にある町家へ行きたるに、常に同じく家職を營みてありしかば、悦あやしみて、「今日は貴賤となく金錢の出納に閙いそがしき日なり。なぞ斯く常にかはらぬぞ。」といふに、あるじ、「町家には利用を計るをむねとし候さぶらふ。

 今日與ふべきものを五日過ぎて與ふれば、何計りの利を得ることにさぶらふ故に、今日は心いそぎも侍らず。」といひしに、悦答へもせず、家の内の者共の面を一人一人にらまへて、「よき畜生めら。」と云ひ捨てゝ出で、それよりは再び來らざりしとなり。】(引用)

 光悦が激怒したのは、他の雇用主が金を惜しんで、職人たちに給与を遅らせたことであった。倫理に基づいた經濟こそ、彼の求めた世界であった。

 法華信徒の光悦は、理想の共同体をねがい、日夜読経三昧に入っていたという。

 光悦村は寛政11年(1799)家数が168軒・人数383人であったと記録されている。

【寛永年間洛北鷹峰を悦に賜はりしより、此處をひらきて、人家を設けたるに、若狹・丹波の通路なる故に、往來しげくなり、此の邊に山賊などいふもの絶えたり。是れより先きは、かうやうの惡黨かくれ住みて、人を犯す事多かりしとぞ】(引用)


職人を育てた芸術村 本阿弥光悦
http://www.janjan.jp/culture/0511/0511135089/1.php
光悦忌
鐘楼の屋根
光悦忌
光悦佛に焼香した後 撮影 2004/11/13
光悦忌
光悦が祀られている本堂

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[15509] 家康から信頼を受けた光悦
名前:椿伊津子
日時:2006/02/12 01:28
佐藤順子さま

これは珍説ですね。

>鷹が峰の不便な山の中の土地を徳川家康から与えられたのは、「たぶん意地悪から」と書いている人がいますが本当なのでしょうか?

当時、光悦は書家としても名声を博したいわゆるマルチ芸術家でしたから、政治家たちからも高い評価を受けていたとようです。その上、人間的に信頼を受ける人格を有していたのではないでしょうか。

土地をあたえたのは家康ですが、光悦に縁ある名工たちの存在があります。
焼き物のほうでは尾形乾山。絵師・俵屋宗達。絵のほうでは尾形光琳。
刀剣、漆芸、絵。彫刻、陶芸。作庭から建築にいたるまで、光悦に連なる名匠たちの創作活動はすばらしいものでした。

それが可能にしたのは、京都町衆、納屋衆、なのでした。
角倉了以は大貿易商。高瀬川とよばれる運河を作りましたが、嵯峨本という世界で類がないほどの美本を、光悦と共に作っています。

ご存知でしょうについ、ながながと書いてしまいました。
[15454] 光悦寺
名前:佐藤順子
日時:2006/02/07 00:51
毎年、11月10日〜13日までの4日間が閉館とのこと。光悦忌茶会が開かれるためなのですね。
紅葉の一番美しい時期に茶会なんて、しゃれていますね。
鷹が峰の不便な山の中の土地を徳川家康から与えられたのは、「たぶん意地悪から」と書いている人がいますが本当なのでしょうか?
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