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コラム

大徳寺・千利休居士の毎歳忌

椿伊津子2006/03/11
豊臣秀吉の命により死を賜った利休居士の祥月命日に当たる2月28日に、大徳寺において千利休居士の毎歳忌が厳かに執り行われた。
京都 催し NA
 先月の2月28日は、大徳寺において千利休居士の毎歳忌が厳かに執り行われた日であった。

 1591(天正19)年、2月28日、豊臣秀吉の命により死を賜った利休居士の祥月命日に当たる。この毎歳忌は、利休居士の直系子孫である三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)が交代で行う追善釜がかけられる。今年は裏千家宗家が当番であるとお聞きしていた。

 午前9時半、大徳寺塔頭(たっちゅう)・聚光院において全国各地から伝統文化関係者が参列。利休居士の遺徳をしのび感謝の念をささげた。

 法要のあと、今日庵席のほか2席がもうけられ、約300人の参列者に茶がふるまわれた。私は、直門の会の一会員として三玄院に早朝から水屋つとめをしていた。法要が済んだころ、茶席には客足が多くなり、点前に出る順番が来た。

 「大宗匠とお家元ご夫妻がお入りになりました」という声を耳にして先輩に、「どうぞお点前をなさって」と言ったものの、「あなたの番ですよ」と言われ、点前をすることになる。

 写真1は淡交社カメラマンの撮影になるものである。正客が千玄室大宗匠、次客は千宗室家元、三客に家元夫人、四客は家元の亡き弟君の夫人である。ご家族でなごやかにひとときを過ごされた。

 点前をしているのが私であるが、このときの大宗匠の言葉が今も耳に残っている。

 「点前を久しぶりに見たが・・・」ここで、大宗匠の言葉が途切れたように思う。

 「…若いねえ」
 点前が若い、それは点前が未熟なことを意味する。

 利休百首のなかの一首が浮かんできた。

 「上手には 数寄と器用と功積むと この三つ揃う人ぞよく知る」(功は積まず、器用でない自分、知っているつもりですけれど)

 黙って茶碗を清め、茶を入れ、釜の湯を汲む。

「あなたは、変わらんねぇ」(はい。進歩しないまま来てしまいました。年だけとりました。点前が苦手なのは昔も今も変わっていません)

 無言の私は、20代の頃の自分にご指導をいただいた昔が、一瞬よみがえった。点てたお茶は、飲んでいただいたようであった。不加減ではなかっただろうか。

 ともかく、利休忌は無事に終り、午後水屋を片付け、私はバスに乗って家路についた。

 茶道に携わる者としては、利休忌祥月命日のこの日、ご宗家の皆さま方をお迎えして点前をさせていただいた光栄に、感動を覚えるのであった。

 それから、庭にワビスケの種類がいま咲いているので、スキヤを一輪手折り、土壁の下地窓の間に差して写真を撮った。数奇屋という名の椿の花。ありがとう、と心の中でつぶやいた。

 つくばいには飼い猫が来て水を飲んでいた。小鳥が持ってきたシダの植物が手水の石に我がもの顔に生えている。猫もわがもの顔にここで水に顔を映しては遊んでいた。


裏千家ホームページ 利休居士毎歳忌

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[16484] 最近の若い人
名前:椿伊津子
日時:2006/03/15 11:45
>黒い服=黒い人、最近の若い人は理解できるかしら? 息子は23歳です。今度聞いてみることにします。

たぶん難しいのではないでしょうか。
こうしたイメージがインプットされているのは社会常識を必要としていた年代ではないかと思います。

歴史を学び自分でものを考え社会常識をわきまえる、といえば旧い世代でも心もとないのですが、最近の若い人には先ず期待できないのではないでしょうかねえ。

かつて女子短大で授業をしていた一時期、学校側から予め「ことばは外国人に言うように解りやすく話してください」との要請があったことを思い出しました。

日本人というより外国人に解る様にというところがミソなんですね(笑)。
[16387] あるじの屑篭!
名前:佐藤順子
日時:2006/03/12 22:04
ご主人の随筆を読んできました。ご夫婦の様子が見えるようです。
黒い服=黒い人、最近の若い人は理解できるかしら? 息子は23歳です。今度聞いてみることにします。
「ケンブリッジで過ごした夏」も読みました。下宿のことなど興味深く読みました。
ケンブリッジ大学と言う名の大学はないのですね。
[16383] 関東から京都へ
名前:椿伊津子
日時:2006/03/12 20:26
田中龍作さま

私が感激した写真と記事の一つに、「レーニン廟の衛兵」がございます。
http://www.janjan.jp/world/0411/0411271048/img/photo10.jpg
http://www.janjan.jp/world/0411/0411271048/1.php?action=all&msg_id=5395#bbs

厳寒のロシアでじつに素晴らしい撮影をなさいました。
まさに記事と一体、息子の勇姿を見に来た母親たちが呼びかける声・声・声。かつては許されることのなかった政治体制が変わり、人間らしさを取り戻した一瞬の歓声までもが耳に響く想いでした。

>ジャーナリストを休んだ、京都での一時期があったから、今があります。

そうでいらっしゃいましたか。大手新聞社の記者として安泰な生活が約束される道がございましたでしょうに、禅寺へ篭られた日々は競争社会を見直す心の旅路であったように拝察いたします。

>悪友東堂一氏と知り合う…

これって日本独特の表現でしょうね(笑)。良友なんてチャンチャラおかしくって言えやしない。まあ、明治の男性が妻を「愚妻」とよぶ表現と同じでしょうか。

龍作さんのお年がわかりませんけれど、かなり古風な体質も持ち合わせてはいらっしゃいせんか?

じつはうちの亭主は見栄えのしないことでは誰にもひけはとりませんが、なぜか女房から尊敬を受けるという特技を持っております。正直な話私の書きちらす雑文などは見向きもしませんしわがHPにもまったく無関心。そんな頑固者の亭主なのに、愚妻が彼には一目も二目も置くってのもヘンなものです。関東出身の彼が京都に住み着いたのは京大に入った18歳のころからですがいまだに京都には馴染んでない風ですよ。

こんなの如何でしょう。笑ってやってくださいな。

『あるじの屑篭』
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/arujinokuzukago.html
[16359] 茶の湯と今
名前:田中龍作
日時:2006/03/11 21:54
椿様、

 田中龍作と申します。JANJANには週に一度、国際情勢を書いています。初めまして。

 私は椿様の記事もさることながら「書き込み」に心惹かれるものがあります。自由闊達でそれでいて相手にちゃんと心配りしていて。茶の湯で磨かれたものなのでしょうか。敬服する次第です。

 かつて、京都五山のある塔頭で一時期を過ごしたことがあります。折にふれ和尚様がお茶をたてて下さったので、茶席の重要さは身にしみております(といってもいまだに茶の湯の作法を知りませんが)。

 ジャーナリストを休んだ、京都での一時期があったから、今があります。でなければ、椿様の文章に触れることも、悪友東堂一氏と知り合うこともなかったと思います。

これからも都のわび・さび・雅を東京まで運んで下さい。
 
 
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