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コラム

顔見世千秋楽 雨のなかに 中村勘三郎襲名披露

椿伊津子2006/12/31
12月26日は、京の風物詩である顔見世興行(南座)の千秋楽の日でした。日本の宝がここにもあると、今年も私は思ったことでした。
京都 舞台 NA_テーマ2
 12月26日は、京の風物詩である顔見世興行(南座)の千秋楽の日でした。

 ネット検索での顔見世サイトから電話予約を入れたのがつい先日。便利なのはいいですが利口な席はすべて満席。結局残っているのは値段のイタイ一等席になりました。まあ、ご祝儀と思えば……とアキラメ顔。私が見た昼の部について書いてみることにします。
当たる亥歳 吉例顔見世興行 東西大歌舞伎
十八代中村勘三郎襲名披露公演
(昼の部 10時30分開演)

第一、猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)
第二、寿曽我対面 (ことぶきそがのたいめん)

第三、義経千本桜 道行初音旅(みちゆきはつねのたび)佐藤忠信実は源九郎狐
第四、義経千本桜 川連法眼館(かわつらほうげんやかた)佐藤忠信実は源九郎狐

第五、お染久松 浮塒鴎(うきねのともどり)女猿曳き
猿若江戸の初櫓/寿曽我対面
 猿若とは初代勘三郎のことです。かぶき踊りの出雲の阿国と猿若が京から江戸へ下る、芝居はここから始まりますが、歌舞伎の根源をいみじくも謂っているわけです。

 出雲の阿国と猿若が江戸へやって来ると、材木商・福富屋が思案に暮れています。将軍家への献上物の蓬莱を悪者の妨害を受け運べなくなったのです。すると猿若は得意の音頭で仲間内と手車を曵かせ目的を達することができたのです。

 かくして奉行の知遇を得て、材木商・福富屋の寄進で日本橋中橋に芝居小屋の櫓を上げるまでが歌舞音曲によって繰り広げられるのでした。

 芝居の中には「京から江戸へくだった」というセリフがありました。上洛といえば京の都へ上がること。江戸時代は皇居が京にあったのでこの言い習わしが自然だったのですね。状況が変わった今でも依然として存在感ある言葉です。

 勘太郎の猿若、七之助の阿国。勘三郎の長男である勘太郎と二男七之助の二兄弟の活躍は目を見張るものがありました。

 ところで、昼の部の最後のお染久松 浮塒鴎(うきねのともどり)に出てくる「女猿曳き」が、じつは最初の出し物、猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)と関わりあっているのです。
義経千本桜 道行初音旅(みちゆきはつねのたび)
 これは『義経千本桜』の四段目に当たります。静御前が忠信を供にした道中を綴ったもの。

 季節は春、吉野山中に義経が身を隠していると耳にした愛妾・静御前は、供の忠信とはるばるやって来ました。休息をとる二人は、ともに義経から賜った“着長の鎧”と“初音の鼓”を義経の姿と見立てて恋い慕います。(勘三郎の忠信に藤十郎の静御前という大顔合せです)

 勘三郎の忠信はじつはキツネが化けているのですが、親キツネの皮が張られた“初音の鼓”を慕い、静が鼓を打つと必ず現れるという設定。時々みられるキツネの振りが愛らしさと哀れをかもしだす勘三郎の名演技でした。
義経千本桜 川連法眼館(かわつらほうげんやかた)
 『義経千本桜』の四段目に当たり、佐藤忠信が実は狐の化身であったと判明し、義経がキツネを許してやるという結末です。

 兄・源頼朝と不仲になった義経が匿われている館。そこへ家臣・佐藤忠信が入来する。義経の前へとやってくると不思議なことが……。独特の台詞術や、早変わり・欄干渡りなど、ケレンでも魅せる義太夫歌舞伎の名作の一つとして有名です。(勘三郎の忠信、仁左衛門の義経、翫雀の駿河、橋之助の亀井、勘太郎の静)

 当時、兄頼朝から謀反というあらぬ嫌疑をかけられた義経。人間界では骨肉の争いが繰り返される現実をキツネの親子の情愛と対比させた脚色は、テンポも速く批判精神が縦横にみられる面白さです。

 すべてを理解した義経、静御前は子キツネが慕う“初音の鼓”を与えます。嬉々として森に帰って行く源九郎狐。西から東へと歌舞伎の立ち位置の変化も見所といえます。

 白い独特の衣装でキツネを熱演する勘三郎。アクロバットありそれはもう大変な重労働です。連日連夜全く手を抜くことなく、8時間労働以上の働きをする役者さん達には頭がさがりました。夜の部に比べると配役が総じて若い感は否めませんが、中村一門の披露という意味で先ずはお祝いを申し上げましょう。

 日本の宝がここにもあると、今年も私は思ったことでした。(本稿は、顔見世公式サイト解説などを参考にしました)


関連記事:世界遺産に登録された歌舞伎 顔見世で坂田藤十郎襲名披露
◇ ◇ ◇
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中村勘三郎襲名披露の幕
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雨の南座 顔見世千秋楽
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伝統を守る南座の屋根

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[23609] 洋の東西を問わず面白い芝居は面白い
名前:忍野タカユキ
日時:2007/01/01 00:41
『お染久松 浮塒鴎(うきねのともどり)女猿曳き 』での贔屓役者(勘三郎・藤十朗・・・)の引き倒し(たぶん即興かな?)は面白かった。
藤十朗の女関係のやり取りなんて、(旧)雁治郎のゴシップを逆手にとって爆笑ものでした。
演じているのが名跡の身内だからなおのこと(きっと勘三郎・藤十朗の襲名があったからこその即興ですね)。

歌舞伎というと僕が子どもの頃は『古典芸能』と敬遠する人が多いけど、現在の勘三郎・八十助の世代が「所詮お芝居だから・・・」と壁をぶち破ってくれたおかげで楽しめるようになりました。
謡曲と舞踊を織り交ぜたお芝居なんて、歌とダンスで演じるミュージカルと同じだもんね。
[23599] その道の達人と信頼感
名前:椿伊津子
日時:2006/12/31 22:14
田中龍作様


たのしいお話を有難うございました。活躍されてた若かりし日の思い出、当時どんな記事をお書きになっていたのでしょうか。

>う〜ん、口の堅さは流石です。


そうですねぇ。かがいの女性は信頼を受けるのが生命ですから、その点は立派なものです。人間としてずいぶん忍耐があった上での処世術でしょうか。

あのぉ〜〜、政治家やお役人、学者さん、ジャーナリストの方々に見習ってはいただきだけないものでしょうかね(*^_^*)


龍作さんはご存知ですから言わずもがなですけれど、一般の方々のために役者さんのご紹介を以下に…。


猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)
勘太郎の猿若、七之助の阿国、弥十郎の勝重、愛之助の福富屋、吉弥の福富屋女房。


寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
我當の工藤、秀太郎の舞鶴、翫雀の十郎、橋之助の五郎、扇雀の大磯の虎、孝太郎の化粧坂少将、進之介の鬼王、亀鶴の小藤太、薪車の八幡。


お染久松 (おそめひさまつ うきねのともどり)
芝翫の女猿曳お梅、橋之助の久松、七之助のお染。



三代目中村橋之助(さんだいめ なかむら はしのすけ、昭和40年(1965年)8月31日 - )

父は七代目中村芝翫、兄は九代目中村福助。また姉・好江の夫が十八代目中村勘三郎で、勘三郎が主演するコクーン歌舞伎でも多く出演している。


中村 翫雀(なかむら かんじゃく)

歌舞伎の名跡の一つ。現在でも上方系と認識されている名跡であり、四代目中村歌右衛門の系統から中村鴈治郎家に伝えられて現在に至る。屋号成駒屋。
昭和33年生まれ。父は四代目坂田藤十郎、母は扇千景。両親曰く、「できちゃった結婚の元祖です」。弟は三代目扇雀。



片岡仁左衛門 (15代目)

前名は片岡孝夫(かたおか たかお)。今も「仁左衛門」より前名の「孝夫」と呼ぶ人は多い。現代の歌舞伎を代表する人気歌舞伎俳優。すらりと背が高く色気のある二枚目。『女殺油地獄』の与兵衛が絶賛され、五代目坂東玉三郎との孝玉コンビが人気を集めるなどの実績から、長男の継承が多い中で三男にして片岡仁左衛門に抜擢された。爽やかな芸風で義太夫狂言の立役はもちろん、江戸と上方の役を演じわけ、南北物、新歌舞伎まで得意としている。
長男は歌舞伎役者の片岡孝太郎。


参考 ウィキペディア(Wikipedia) はてなダイアリー 他
[23596] お知らせありがとうございました。
名前:椿伊津子
日時:2006/12/31 21:26
忍野タカユキ様


コメントを拝見してすぐにテレビをつけました。
昼の部の途中からでしたがビデオに録画してもらいました。
いずれゆっくりした時に観劇をと、楽しみにしています。

[23595] “八十助さんとは一緒にお稽古しとったんどす”
名前:田中龍作
日時:2006/12/31 20:03

玉稿拝読しました。

 
 京都には幾つも華がありますが、南座は華の中の華ですね。何度か取材に行ったことがあります。といっても都の芸能文化の粋である歌舞伎そのものではありません。歌舞伎役者が歳末助け合い募金をする、などという社会ネタでした。

 
 取材する各社の記者は「尾上」を「オノウエ」と発音する輩ばかりです。

 
 それでも松竹のはからいで一幕見せられます。いやでも南座の赤絨毯を踏まねばならないのです。否が応でも「かがい」のお姐さんたちと顔を合わせることになります。歌舞伎役者たちとは兄妹以上のつきあいがありますから。

 
 「きょうは勘九郎(当時)さん(の取材)どすか?」

 「いや、いえ〜、そ・そんないい話ではないんです」と小生。


 歌手や政財界人などの所業はよく小生の耳に入れてくれたお姐さんたちですが、歌舞伎役者のことはトント話してくれませんでした。やはり身内なのです。

 せいぜいが「(先代の)仁左衛門さんは廣島屋さん(松島屋なのに廣島屋とはこれいかに?)」など行きつけのお茶屋さんの屋号くらいでした。

 
 「(舞の名手)八十助(現・三津五郎)さんとは、(井上流で)一緒にお稽古しとったんどす」は大リップサービスでした。

う〜ん、口の堅さは流石です。
[23585] 今NHK教育テレビで見てま〜す
名前:忍野タカユキ
日時:2006/12/31 14:30
4時まで放送してま〜す。
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