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コラム

江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」

椿伊津子2007/10/06
江戸東京博物館で開かれている特別展「文豪・夏目漱石」は、貴重な個人的遺品やあたたかい家庭人としての漱石を表現しており、期待どおりのものでした。
東京 催し NA_テーマ2
 東京の両国にある江戸東京博物館で特別展「文豪・夏目漱石」が開かれていますが、それに先立って開会式・内覧会が9月25日にあり、行ってきました。開会式で聞いた主催者側のスピーチは興味深いものでした。この特別展は11月18日〈日)までです。

 開会式というと、ある緊張と期待を呼び起こすものです。それも敬慕する漱石先生の未公開資料を含め、一挙に展示される特別展なのです。ご招待状を受け取った時には、感激に震える思いでした。

 開会式場の壇上には「東北大学100周年記念、朝日新聞入社100年、江戸東京博物館開館15周年記念」とパネルが掲げられ、その下に大きく「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」と印象的なサブタイトルがぐっと引き立っています。

江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」 | 江戸博物館の夜。特別展の開会式・内覧会は夕刻に始まりました(撮影:筆者、他も)。
江戸博物館の夜。特別展の開会式・内覧会は夕刻に始まりました(撮影:筆者、他も)。
江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」 | ゆっくり観覧できたのが、とてもありがたかった。
ゆっくり観覧できたのが、とてもありがたかった。
江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」 | 言問橋は、都鳥の歌で京都につながりますね。
博物館の前方の道路側にある記念碑。この地の歴史を教えられる。
言問橋は、都鳥の歌で京都につながりますね。 博物館の前方の道路側にある記念碑。この地の歴史を教えられる。
 主催の江戸東京博物館から竹内誠館長が最初に挨拶。「東北大学は100周年、朝日新聞社入社100年、という後でわが江戸博物館は開館わずか15年ということで、どうも……」と頭をかかれるそぶりでユーモアたっぷりのスピーチでした。

 「漱石の人柄、大きさ、多くの人をひきつける魅力を見ていただきたい。実は、私は漱石については何も分かっておりません。学芸員の2人がすべてやってくれ、ここで私が偉そうにしゃべっているのは彼女たちの受け売りであります」

 そこで2人の学芸員を呼ばれ、壇上であらためて紹介されました。なんと、フレッシュな若い女性の学芸員、橋本由紀子さんと金子未佳さん。私は思わず拍手をしましたが、会場の皆さんも家庭的な空気で拍手をなさっていたようでした。物分かりのいいお父さんが娘自慢をしているような趣があってほほえましかったです。

 2番目に立たれたのは、東北大学副学長・東北大学図書館の野家啓一館長。漱石が朝日新聞入社第1作の『虞美人草』を発表した明治40年6月3日の新聞コピーを説明されました。

 「『虞美人草 一』とある記事の隣に東北帝国大学設立の辞令が掲載されていることからも、漱石と東北大学との深い因縁が……」。漱石の愛蔵した書物3000冊が東北大学にあること、漱石山脈といわれた中の小宮豊隆、阿部次郎が東北大学の教授であったこと、に続けて、漱石研究に貢献のある3人の教授を紹介されました。

 3先生が壇上にお上がりになり、深々と頭を下げられました。皆さま篤実な学究の雰囲気をお持ちでした。ただ、漱石文庫を長年丁寧に管理されてきた図書館の館員の方々にも壇上に上がって頂ければ、もっとよかったのにと思いました。

 しんがりの挨拶は、朝日新聞社の船橋洋一主筆「生誕や死後を数える例は多いですが、入社100年というのは漱石をおいては他にいない。当時の主筆・池辺三山と漱石は非常に似通った価値観を持っていた。新聞記者となった漱石は社会的なときめきと驚きを日々社会に伝えた。三山と漱石は知的大衆をつくったということです」。(関連記事:新聞記者になった夏目漱石の「京都」

 簡潔で心のこもった開会式はおひらきになり、あとは特別展の内覧会に移りました。



 「そのこころとまなざし 」。このフレーズが生き生きと感じられるのは、文豪漱石と人間漱石の、ありのままのすがたを見ることができたからでしょう。愛用した着物や家族への書簡のほか、鏡子夫人への結納目録なども貴重でした。他人への情愛ある「父のまなざし」を受けとめることができました。

 英国への航路を図にしたパネルや購入した原書の展示もよかったです。ロンドン時代の蔵書500冊を知るにつけ、満足な食事もとらず書物を買い求め勉学に打ち込み、病に苦悩した漱石に涙の出る思いでした。細かい書き込みがあるものは暗い照明のなかで読むのは困難でした。拡大したパネルがあれば有り難かったのにと思いました。とにかく漱石の全容を伝えるのは大事業です。

 公式ガイドの執筆もほとんど学芸員おふたりの手になるものですが、辛口の評者の「オリジナルなものでなくダイジェスト。会場の記述にも間違いがかなりあった」との声もありました。しかし、若い世代が漱石にこのような真摯な取り組みを行ったということに、私は驚きを禁じえませんでした。これだけすばらしい資料をふんだんに見せていただいた展覧会に、心から感謝したいと思います。

 老婆心から申しますと、「江戸東京博物館、東北大学編」となっている以上、もっと互いに相談をされ、入念にことを運んでほしかったと思います。ガイドブックの「漱石略年譜」は西暦のみで和暦の併用がなく、江戸と銘うっているにしてはキリスト生誕を基にした西暦だけというのはいかがなものか、と思ったのも正直なところです。

拙サイト:
仙台へ 東北大学『漱石文庫』を訪ねて

ご意見板

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[30473] [30460] 漱石展に行ってきました
名前:椿伊津子
日時:2007/10/15 11:48
矢山様

ご意見板がどうも不具合のようで昨夜から書き込みが出来ない状態でした。今度は無事でありますように。


OMNに飛んで拝見してきました。
わかりやすく面白い記事をお書きになりましたね。全体を把握された上で2点に絞られているのも成功していると思います。
先ずおもしろいと読者に受け容れられることが最も重要でしょう。


お書きになった内容は、漱石の言説としてよく知られたものですが、漱石を知らない多くの読者に具体的に書かれていることはアッピールするでしょう。


1、明治40年5月3日付け朝日新聞に漱石の「入社の辞」、マイクロフィルムの写真もいいですね。ご努力がしのばれます。


私がコラムの最初に書いたのが、やはりこの内容を取りあげたものでした。(新聞記者になった夏目漱石の「京都」)
https://www.janjan.jp/column/0601/0601087460/1.php


拙稿では朝日の主筆・池辺三山と漱石の価値観がよく似通っている点は書いたのですが、入社の辞については極めて不十分な記述でお恥ずかしい限りでした。


ただ、矢山さんの記事の中に事実とはやや相違するニュアンスがありますので申し上げておきます。


>池辺三山から「入社しないか」という話があり、


漱石を朝日に迎えることは、すでに読売が漱石に入社を依頼し、固辞された後でもあり、朝日新聞社はいわば三顧の礼を尽くして漱石に入社への交渉に当たったのです。
村山社長自ら漱石を京都に住まわしたいとの願いも、この件のみは漱石の固辞にあい実現しませんでしたが。


>、漱石は村山社主に直接書簡を書いて身分を保証するよう要求し、ちゃっかり「他の社員並みに盆暮の賞与は頂戴致し候」と、しっかりと肝心な要求はしている。


それまで日本では出版業界で契約ということが行われていませんでした。英国で合理主義を見てきた漱石は、わが国で最初に契約を認めさせた先駆的な言論人でありました。今でこそ、「ちゃっかりと」などとユーモラスに言えますが、なかなか言えぬことを言い、雇用関係を明文化したのは画期的な事であり、漱石の先進性には感謝しなければならないのです。


2、博士号辞退の事件は、当時から賛否両論ありました。文壇では評価よりは批判的な目が多くありましたが、新聞の読者は拍手喝采をして漱石を支持しました。
まさに新聞の読者である「知的大衆」が漱石に力を与えたといって過言ではありません。


しかし、こうした事件は漱石の神経をすりへらし持病の胃病を悪化させました。心血をそそいで作物を執筆し続けた漱石の高い志が今、受け継がれて行くことが求められるのですね。

矢山さんのこの度の力作に、私は敬意を表したいと思います。ますますのご健筆を!


なお、引用された拙稿のなかの冒頭の
「元大手の新聞記者でいらしたYさんからお便りがまいりました。」
とあるのは山○さんというジャーナリストの先輩です。いつも学ばせていただいている方です。

[30460] 漱石展に行ってきました
名前:矢山禎昭
日時:2007/10/14 21:56
 漱石展に10日と12日に行ってきました。東京帝大を辞めて、朝日新聞に入社した話と、博士号辞退の2つの“事件”にフォーカスしてオーマイニュースに記事を書きました(http://www.ohmynews.co.jp/news/20071013/16070)。


 明治40年5月3日付け朝日新聞に漱石の「入社の辞」と題する署名記事が載っています。両国の江戸東京博物館から築地に朝日新聞本社へ廻って、マイクロフィルムからの全紙大のコピーをもらってきました。それを見ると漱石の肉声を聞くような実感がわいて来ます。記事いわく、「新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。・・・新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である」とか、「食ってさえ行かれゝば何を苦しんでザットのイフのを振り廻す必要があろう。やめるなと云ってもやめえてし舞ふ」と。


 漱石は大学を辞めて、朝日新聞で創作に専念できるようになってよほど嬉しかったのでしょう。その記事にも、すぐに京都に遊びに行って、「故旧と会して、野に山に寺に社に」行き「教場よりは愉快であった」と書いています。その件については椿さんの「夏目漱石の縁(えにし)祇園と多佳女」と題する記事http://www.news.janjan.jp/column/0707/0706308105/1.phpを引用させていただきました。


 博士号辞退の話も面白いですね。文部省から授与するから出頭せよという書簡を受け取って、漱石は「小生は今日までたゞの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持って居ります。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります」と云って、きっぱりと辞退していますね。前例のないことで、文部省はいったん決めたことは取り消せないと云い、漱石は辞退は取消さないと云って問題になったそうです。漱石の面目躍如たるものがあります。
[30369] あの世の漱石先生と?
名前:椿伊津子
日時:2007/10/08 16:45
矢山様


お書き込み有難うございました。


>東京帝大が文学博士号を授与しようと言ったが漱石は辞退したそうですが、展覧会ではその心意気を実感できないでしょうか。


漱石の反骨という面を仰っているのでしょうか。全体の展示で非常に学問を尊重し探求した「学究」の漱石と、それが世俗の名誉・利益を求めるものでなかった漱石の心は充分見ることが出来ると思います。


その反面、落語を愛好した諧謔といいますか、江戸っ子気質の『坊っちゃん』そのままを彷彿とするユーモラスな面もございます。


多くの若手の作家・画家を見出しその才能を開花させたプロデューサー的な面も見落としてはならないものでしょう。漫画家の岡本一平が描いた漱石像の数々はなかなか味わい深いものです。


記念日として「漱石の日」があるということで、先日ある漱石研究家の方から問い合わせを受けました。矢山さんがお書きにって居ます博士号辞退の日が「漱石の日」となっていることで、一体誰がそんなことを勝手につけたのですか?というお話でした。


私は、2月22日がニャーニャーの語呂合わせて「ネコの日」となっていることを申し上げ、世間で冗談のような感じで流布されているのでしょう、と。まあ、私などは軽い気持ちで記念日ということも聞き流しているのですが、そうではない方々もいらっしゃるようです。


ネットで検索しますと、「日本記念日学会」と「日本記念日協会」というのが二つ出てきました。前者は趣味の会のようです。後者の場合は申請に費用を要するようで以下のように出ています。


「1991年、「日本記念日協会」が設立され、独自に記念日の認定制度を設けた。協会に記念日登録の申請書を提出し、審査に合格したものだけが登録認定され、日本記念日協会のホームページで公開される。」

したがって漱石に関しては「漱石忌」のみ一件で妥当と思いました。


>もしお目にかかる機会があれば、「吾が輩は猫である。名前はニャー」なんて書くつもりはなかったでしょうか、とおたずねして見たいものです。


ああ、あの世でのことでしょうね?
この件に関しましては、私、まだその心境に至っておりませんので、どうもあしからず(#^.^#)。
[30351] 早く行きたい漱石展です
名前:矢山禎昭
日時:2007/10/07 01:04
東京帝大が文学博士号を授与しようと言ったが漱石は辞退したそうですが、展覧会ではその心意気を実感できないでしょうか。


流石(さすが)とか単簡(簡単)などは漱石の言葉遊びのなごりだそうですが、それがほんとうなら、漱石は茶目っ気もあったのでしょうね。あちらへ行って、もしお目にかかる機会があれば、「吾が輩は猫である。名前はニャー」なんて書くつもりはなかったでしょうか、とおたずねして見たいものです。失礼しました。^^

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