大学民主化運動が盛んだった朝鮮大学 (フリー素材集より)
大学の民主主義はどうなる
李明博(イ・ミョンバク)政権となって、各大学で起こっている変化の動きは注目に値するものがある。ソウル大学をはじめ、韓国の主要大学では教授再任審査を強化し、その基準に達しない教授を大学から退出させる(追い出す)方針を明らかにしている。審査強化による「再任脱落」は、日本での使用者側からの有期雇用契約更新拒否のような状態であり、教職員の退職につながる。
韓国科学技術院(KAIST)では最近、再任審査申請者6名を、延世大学では5名を基準から脱落させた。そして、梨花女子大学でも脱落者が出ているし、東国大学では学生による教授評価さえ公開し各教授の授業を点数化している。めまぐるしい変化である。
このような変化の動きは、大学生を指導する教授の研究活動に刺激を与え、また講義にも充実を呼び起こすという点から見て、評価したいところもある。韓国の大学社会では一旦教授になると、定年までの地位が保障されるというのが通例であったからだ。
ただ、問題はそうした雰囲気が各大学で悪用される余地がある点だ。要するに、大学の管理者(いわゆる当局)を批判する教授や、管理側の言いなりになっていない教授を弾圧する手段として用いられる虞(おそれ)がある。
良い意味での構造改革は、大学の社会にも適用され、それが教職員や学生らの緊張を高潮させ、大学の発展と繋がれば何よりであろう。さらに大学は未来の人材を養うところで、そのための絶え間ない国際的競争と変化を求めなければならない状況に置かれているので、そのような改革は必然的なものかもしれない。
しかし、それが構成員の合意による合理的方法と公正な基準によって進められているのか疑問を持たざるをえない。ある大学の場合は、国際学術誌に論文を掲載しなかったという理由で、1人の教授に再任脱落を決めたというが、どうも納得いかない。その教授は数少ない国内の中南米専門家で、国内学術誌に10編の論文を発表するなど、活発な研究活動をしてきただけではなく、講義評価でも最高点だったというからだ。
どのような審査基準と評価による脱落であっただろう。契約教授と言っても、業績がよければ再任するのが一般的なことである。一体何が問題だったのだろう。学生らはその教授の再任脱落について撤回を求める署名運動に入り、同僚教授らも対応策を考えるなど波紋は広がっているらしい。何かの働きによる不公正な抑圧の結果ならまさしく不幸なことであるに違いない。
何より、再任審査は必要不可欠とはいえ、その基準が公正で客観的なものでなければならないのではないか。私立学校法が大学を運営する財団側に有利に変わったと言って、権力を濫用するなら、大学の民主主義はどうなるだろうか。ソウルの名門でもそのようなことが起こっているのだが、韓国の地方大学教授の現実はもっと厳しいものである。
毎年新入生が減っていることもあって、教授の新入生募集結果を教授評価のバロメータにする学校も現れている。学校側は教授の意見を一切反映せず、学科の重要な案件を勝手に決めることもあれば、一般企業のように勤務時間をチェックするなど教授の人権を厳酷に踏み躙ることさえある。
健全な批判をする教授や学校側に対立する先生は狙いの標的になり、色々な不利益を受けざるを得ないし、学校側の企みによって同僚からも徹底的に孤立させられるので、本来、大学の主体であるべき教授の教権は侵害されつつある。
何のための教育であろうか。それで真理探究の場所、大学で人権教育が可能だろうか。はたして人間の可能性と潜在能力を培養するという言葉が言えるだろうか。
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