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沖縄・伊江村誕生100周年 盛大に記念式典〜シンボルの城山を背景に歌と踊りで祝う 

比嘉康文2008/04/05
村制施行100周年を迎えた伊江村は1日、島の中央に屹立する城山(ぐすくやま)を背景にした野外ステージで記念式典を開き、村民200人が祝った。中でも、7年ぶりに復活した民俗芸能「城の前」(ぐすくヌめー)は、島の東と西とで異なるので、2つの芸能が演じられ、華やかな踊りや歌が続いた。
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沖縄・伊江村誕生100周年 盛大に記念式典〜シンボルの城山を背景に歌と踊りで祝う  | <center>村制100周年を祝して城山をバックに踊られる「かぎやで風」</center>
村制100周年を祝して城山をバックに踊られる「かぎやで風」
 村制が施行されて100周年を迎えた伊江村(大城勝正村長)は1日午後1時から島の中央に屹立する城山(ぐすくやま)を背景にした野外ステージで記念式典を開き、村民200人が歌と踊りを披露して祝った。1908年に村政が施行されてから伊江村は100歳になったとして記念行事が行われ、村民をはじめ沖縄本島に住む村出身者らが多数参加、村はお祝い行事で盛り上がった。

 伊江村は、沖縄本島北部の北西洋上に浮かぶ周囲21.16kmの離島だ。また、本部港から定期船で30分ほどで行ける東シナ海のピーナツ型の島でもある。人口は約5000人。記念のくす玉は、島に住む100歳以上のお年寄り4人と大城村長がテープを引いて割った。村民100人が参加した「かぎやで風」の祝いの歌で記念式典が開幕、島の代表的な民謡「砂持節」「クサトゥ節」などが三線、琴、太鼓などで演奏された。つづいて民俗芸能が次々と披露された。

沖縄・伊江村誕生100周年 盛大に記念式典〜シンボルの城山を背景に歌と踊りで祝う  | <center>7年ぶりに復活した民俗芸能の「城の前」を踊る女性たち</center>
7年ぶりに復活した民俗芸能の「城の前」を踊る女性たち
 祝賀の余興は児童生徒からお年寄りまで参加して演じられ、盛んな拍手がおくられた。特に各集落に伝わる民俗芸能は式典の参加者の注目を集めた。7年ぶりに復活した民俗芸能「城の前」(ぐすくヌめー)は、島の東と西とで異なるので、2つの芸能が演じられるなど華やかな踊りや歌が続いたが、その昔、島から旅に出ていく夫や恋人の無事を祈って歌われる「アヤメ歌」が披露されると、会場はおごそかな雰囲気に包まれた。

 伊江村は離島村だが、沖縄で2番目に学校が開校したところとして知られている。明治初期、島から船で本土に出かけた村人が「これからは学問の時代だ」と説き、自分の土地を学校用地として寄贈したのが開校を早めたという。敗戦後、島の63%が米軍基地。その土地接収に反対した闘争は全国的に知られている。朝鮮戦争の勃発で真謝(まじゃ)の集落の民家と農地が銃剣とブルトーザーで接収され、村民は非暴力による闘争で抵抗した。

 闘争の中心になったのが阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)氏。米軍と対峙するときには「手には何も持たず、耳から上には上げない」など独自の闘争規定をつくり、それを守り続けてきた。島には日本軍が造った飛行場があり、米軍はそれを改修して使用、軍用機からの物資の投下訓練、パラシュートの降下訓練などを実施した。また、米兵の発砲で青年が撃たれるなどの事件、降下訓練に伴う事故などが発生し、多くの犠牲者が出た。

 アメリカの従軍記者で人間味あふれる記事やコラムで名高いアーニー・パイルは1945年4月18日、伊江島に上陸したとき日本軍に狙撃された。その記念碑前では毎年、死亡した日に最も近い日曜日に米軍は慰霊式典を行っている。非暴力闘争のシンボルの団結小屋、土地闘争に関連して阿波根さんらが収集した模擬爆弾などが展示されている「わびあいの里」は修学旅行コースの一つで、県内外の多くの生徒が訪れている。

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