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コラム

「医療辞退連盟」で後期高齢者医療制度など克服を

田中良太2008/04/23
「70歳を超えたら、いたずらに生命を引き延ばすような過剰医療を自主的に辞退しよう」。かつて守屋博・順天堂大教授が提唱した「医療辞退連盟」の考え方だ。後期高齢者医療制度での大騒ぎを考えると、21世紀版医辞連が必要だ。金銭負担の問題だけでなく、どうしたら70歳以降も健康で長生きできるのかを、ここできちんと考えたい。
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目 次
 (P.1)
 ◆1975年に発足したが……
 ◆健康な長寿のために不可欠
 ◆「病院に来るな。医者に診てもらうな」という健康指導
 ◆「欠勤の自由」を勝ちとる
 ◆漢方以外の薬も絶つ
 ◆自己流リハビリに成功
 ◆「医辞連」精神で健康で長生き
 (P.2)
 ◆「制度化」の弊害
 ◆独学のススメ
 ◆独学の成果
 ◆高級推理パズルにすぎない受験勉強
 ◆「優秀だ」という錯覚
 ◆鴎外が指摘した「駆け抜ける人生」
 ◆病院依存は不健康な長寿
 ◆厚生官僚のお粗末さは別立てで


◆1975年に発足したが……
 「医療辞退連盟(以下・<医辞連>と表記する)」をご存じだろうか。「70歳を超えたら、いたずらに生命を引き延ばすような過剰な医療を自主的に辞退しよう」という考え方の団体で、順天堂大医学部教授だった守屋博氏(1990年7月、86歳で死去)が、75年に提唱した。「保険同人」を主宰していた医事評論家、大渡順二氏(89年6月、84歳で死去)らも賛同していたはずだ。

 私自身も医辞連について知っているわけではない。インターネットで調べてみて、75年10月9日に「連盟」発足という資料が出てきたが、じっさいにどの程度の会員がいたか、活動はどうだったか、などは不明だ。会員が多く、活動が活発だったなら「不明」なんてことはないはずで、おそらく守屋氏の呼びかけにもかかわらず、「笛吹けど踊らず」で、賛同者は少数にとどまったのではなかろうか。

◆健康な長寿のために不可欠
 私自身はいま65歳。前々から、老後は「医辞連」の精神で生きていきたいと考えていた。あくまで自分自身の問題として考えていただけだが、後期高齢者医療制度をめぐる大騒ぎで考え方を変えた。21世紀版医辞連を結成しなければいけないと考えるようになったのである。

 いまの大騒ぎは、高齢者の金銭的負担をテーマとしているだけで、高齢者の健康と医療の問題はそっちのけになってしまっている。どうしたら70歳以降も[健康で](この[ ]で囲んだ字句は、ゴチックで印刷するという気分)長生きできるのかを、きちんと考えたい。そのためには、医辞連という考え方は不可欠だと思っているのである。

◆「病院に来るな。医者に診てもらうな」という健康指導
 私自身の私的な体験だが、20歳ごろ以降、「医者に行かない。薬を飲まない」を健康法にして生きている。そのきっかけは名を知ることもなかった一人の医師のアドバイスだった。

 19歳のときだが、体調が悪くなり、大学の診療所に行った。そのときまで私は、初期の結核だと言われたり、心臓弁膜症だと言われたりしていた。高校のときは、毎年晩秋から初春にかけて病院通いを強いられていた。そんなことを訴えると大学病院に回された。私は東京大学の学生だったから、大学病院は東大病院ということになる。

 いろいろ検査した上で、主治医格の医師が「君の場合は、病気を気にしすぎだ。以後、病院に行かない、医者に診てもらわない、ということを健康法にしなさい。それでいいということを私が保証する」と言ってくれた。例えば心臓については、何人もの医師が聴診器で心音を聞いてくれた。心電図も何人もの医師が見て検討したのだという。そういう作業を経て、「病気ではない」というのだから説得力がある。しかも「権威」の固まりのような東大病院である。

 私はそのアドバイスを信じることにした。学生時代、そのとおりやってみて、けっこう健康に暮らせることがわかった。新聞記者という肉体的にハードな職業を選ぶことができたのも、この医師のアドバイスのおかげだといえる。

◆「欠勤の自由」を勝ちとる
 記者時代は、体調が悪いときにはすぐに欠勤することを心がけた。体調不良はたいてい風邪ひきである。会社に電話して休み、酒でも呑んで1日中寝ていると治る。すぐ翌日出勤してキャップにあたる人に、「昨日はすみませんでした。おかげですぐに治りました」と謝っておく。そのうち酒でも呑んだとき、「体調が悪いとき頑張るのもいいが、風邪をこじらせて3日も4日も休むのでは同僚に大きな迷惑をかけることになる。だから私はすぐに休ませてもらうんです」というようなことを言っておく。これで「1日休みの自由」は確保できた。

◆漢方以外の薬も絶つ
 30歳になったばかりのとき、兄が白血病で入院、200日近くの闘病生活の後に死亡した。骨髄移植が定着する以前で、大量の抗ガン剤を注入する以外の治療法はなかった。がん細胞となっている白血球が消え、治癒したという時期は来るのだが、大量の薬物によって肝臓が冒され、ボロボロになっている。結局、肝臓がダメになって死んでしまうのである。

 酒を飲んで、この経験を話すと、「私の知り合いもそうだった」と言う知人が多数いた。「薬は異物だから、肝臓を冒す」ということを強く印象づけられた。以後、漢方薬以外の薬はのまないことを厳重に守っている。

 ある時期、メニエル氏症候群にかかってしまった。市立病院に行って病名を告知されて、安心した。心因性の病気であることは自分の知識として知っていたからだ。それでも4、5種類の薬を出された。その薬はすべて捨てて、会社で遠慮することをやめ、先輩に対しても「言いたいことは言う」姿勢に切り替えた。短期間で治った。

◆自己流リハビリに成功
 14年前、脳こうそくで倒れ、1カ月半入院したということはあったが、それ以外はおおむね健康な生活を送っている。このときはリハビリに成功し、後遺症はおおむねゼロと言えるところまで回復した。

 その経験は
「私の脳卒中体験―自己流リハビリは楽しかった」(同時代社1995年9月)
 に書いた。ほとんど医師や理学療法士の世話にならず、自分でリハビリに成功したのである。

「医療辞退連盟」で後期高齢者医療制度など克服を | <center>「後期高齢者医療制度」に関する厚生労働省のリーフレットより</center>
「後期高齢者医療制度」に関する厚生労働省のリーフレットより
◆「医辞連」精神で健康で長生き
 その体験から考えて、「老い」を克服するためには、意識的なリハビリが必要だという結論を導き出していた。70歳代以降となれば、全身のさまざまな機能が衰えてくる。その衰えを鈍化させ、健康な日常生活を維持するためには、意識的な努力が必要になるという意味である。全身の機能を維持するため、自分自身で努力することが必要不可欠なはずだ。

 「健康な老後のためには、医者にかかる必要がある」というのが、後期高齢者医療制度について騒いでいる人たちの言い分だろう。それは全く違う。医師たちは「不健康で長生き」の老人たちを大量生産するだけだ。逆に「健康で長生き」を目指すためには医辞連の考え方が必要なのだ。

 高齢期の健康づくりは、病院や医師に依存してできるものではない。脳卒中のリハビリなどと同様、一人ひとりの個人が、自分で努力して築き上げる必要があるのだ。
◇ ◇ ◇

ご意見板

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[34062] やはり権威は認めておられる
名前:下司孝之
日時:2008/05/06 22:44
田中さんは権威のある東大病院の医師の話から説き起こしていて権威において納得されたようですね。
西洋医学の方のお話の一部から自説を展開されている点が、無理があるのでは。
もう一度聞きなおされた方がいいのではないかと思われます。

「医者に行かない。薬を飲まない」は、自分の知っている患者会の一部が主張されたことがありましたが、健康に留意して節制したところ長寿になり、ガン年齢に突き当たったので発癌する方が増えて、「医者も薬も要らん」を言わなくなっていきました。

お酒も日本薬局方では立派なお薬ですので、飲んでは自説を述べている様子が微笑ましく感じられます。

その点、私はお酒は飲みません。薬効ある煙草も吸いません。
西洋薬は一剤だけ服用しております。水虫は時々ですが良く効きます。
大学は出ていません者ですので、たわごととお聞き流しを。
言いたい放題で失礼しました。
[34059] 田中さんへ
名前:山田ともみ
日時:2008/05/06 18:12
>「個人的な体験を一般化してはいけない」ということですが、どうして自分が体験しないことを信じられるのですか?


田中さん、
このような考えは大きくは2つの意味において間違いです。
第1に、個々の人間は、全てのことを体験によって知ることができるほどの機会に恵まれているわけではない。体験できないことを判断するために、専門家の意見を聞くのは重要なことですね。第2に、自分が「体験した」と考えていることが正しいわけではありません。「錯覚」「偶然を必然と勘違いする」などということはよくあることです。


繰り返しになりますが、あなたが「医者に行かない。薬を飲まない」を原則としてこれまでやってこられたのは、貴重な体験でしょうし、これからも続けたければそうされるのは構いません。しかし、それはたまたまこれまで大きな病気をしなかっただけなのかもしれません。たまたまではない、という根拠があるのなら、それをぜひ開陳するべきでしょう。あなたの文章を読んで「自分もそうしてみよう」と思った人がもしその後病院にいかなかったとしたら、その結果、重要な病気の治療の機会を逸する可能性の方が、その後の生涯を元気に過ごせる可能性よりずっとずっと高いと思います。あなたが「いやそうではない」という根拠が自分の体験だというのでは、あまりに薄弱でお話にならない、というべきです。あなたの文章を読んだ人に「田中さんのせいで病院にいきそびれた」、といわれたらあなたは責任をとる覚悟がありますか? 


一方、田中さんがけなして止まない「西洋医学」に基づく薬は、さまざまな背景の人が服用しても、錯覚や偶然の効果をさっぴいでも、有用性がリスクを上回ることが確認されたものである、ということを知る必要があります。
何度でも言いますが、体験しか基づかない意見を、さも重要そうに装うことの悪質性は、薬事法違反で摘発された「健康食品」商法と全く同じです。



>メニエル氏症候群だけでなく、認知症を含むさまざまな病変について脳の器質的な障害や異常が原因とされるのが、現代風であるようです。これってまさに「検査漬け医療」の結果なのではないでしょうか。
 
 
全く違います。あなたは病気のことについてぜんぜんご存じないようです。このような発現を削除しないJANJAN編集部の見識を疑いますね。
知らないのは罪ではありませんが、間違ったことを言いふらして他人に誤解を与えるのは恥ずべきことです。
[34037] 誤解があるように思うのですが
名前:田中良太
日時:2008/05/04 09:57
山田ともみ様
「個人的な体験を一般化してはいけない」ということですが、どうして自分が体験しないことを信じられるのですか?
「専門家」とか「権威」とか言われている人(たいていの場合はまず自称する、上手くアピールすることによって社会的に認知される)が言うことを無条件に信じてしまうことの方が問題だと思うのです。
 メニエル氏症候群だけでなく、認知症を含むさまざまな病変について脳の器質的な障害や異常が原因とされるのが、現代風であるようです。これってまさに「検査漬け医療」の結果なのではないでしょうか。
 注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、アスペルガー症候群など、私たちが子どものころにはなかった「障害」も問題にされるようになりました。これらの発達障害も脳の器質的な異常(あるいは障害)によるものとされます。
 私なんか小学校のころの行動を思い出すと注意欠陥・多動性障害(ADHD)に違いなかったと思います。どこまでを正常とし、どこからが異常とするかは文化の問題です。
 日本研究で知られるロナルド・ドーア氏は、「日本人にはcuriosityがない」と言っていたそうです。curiosityは普通「好奇心」と訳されますが、英語の原義では「奇妙を好む」ではない。「未知のものに接することを良しとする」といった意味のようです。
 日本の子どもが米国の学校に入る。英語もほとんどできないのだが、教師から「日本から来た」ぐらいは紹介される。そうすると機会あるごとにその子を囲んで、日本についての話を聞こうとする。これがcuriosityのようです。
 日本は逆ですよ。そういう経験をした「帰国子女」は、日本の同級生に海外の経験を語りたくてしようがない。日本の子は誰も聞いてやらない。「日本語がおかしい」とか「数学も落ちこぼれだ」とかナンクセをつけていじめの対象にする。
 ちょっと外れた人間は、「異常」と定義して、通常から外してしまう。「同質性」最優先の社会がつくる脳の器質的障害によるビョーキ。こんなもの、私は認めませんよ。
 もともと「学問」を生活から切り離してしまって、帝国大学を頂点にした「勉強」のシステムをつくったのは明治政府です。西洋の学問を翻訳したものでなければ、ホンモノでなかった。日本の農民など考えることは全部間違いだから、小学校に入れて「教化」する必要があったのです。
 自分自身の生活の中から、自分なりの生活感覚、社会意識、さらには世界観を作り上げていくという、常識的な思考法を否定し続けてきた。これが、日本の学校教育の体系ですよね。
 そこを離れて常識的な考え方をきちんと確立することが必要なのでしょう。
 小倉文三様
 例えばチベット問題で「空気を読む」ということは、チベットの問題を調べるということですか? 全然違うでしょう。何ごとがテーマであっても、自分の属する集団その他が、どういう「空気」になっているかを読むのがKYでしょう。みんなに違和感を持たれない意見しか言わない。これがKYだと私は思っているのですが、違いますか。
 まあ私は朝日新聞や読売新聞みたいに1千万人の人に読んでもらう必要はありません。視聴率と考えてみて、100万分の1%で十分です。読んでもらった人にも、「しっかりお考えになった良いご意見ですね」なんて言われたらケツの穴がこそばゆくなって困る。「アンタの言うことは間違いだ」と決め付けられて、口角泡を飛ばす議論をしようと思って書いていますので、ご批判があること自体、うれしことですが。
[33923] この世は、大気圏内ですよ
名前:小倉文三
日時:2008/04/24 06:30
 山田さんの指摘が有意義だと思います。私が、田中さんの論理に飛躍と短絡がある、というのと近いように思います。


 KYという言葉が問題になることが多いですが、私は、時流に流されないために、「空気は読まなければならない」と考えます。チベットの空気を読むことなく、チベット問題を語ってはいけないと思います。田中さんは、チベットの空気を読もうとせず、チベット問題から日本外交を俎上に載せました。私が、ハートがないと批判したのは、その点です。「チベット人の怒り」が論理の出発点になければ、論理は空転せざるを得ません。読者は、田中さんの論理が時々空転することに気づく必要があります。


 今の中国は、とてもわかりやすい国です。次に何が出てくるかが予想でき、そして、予想通りのものが出てくるからです。今の中国の空気を読めば、どのように考えても「内政干渉」という言葉は、無意味だと思います。私に言わせれば、物知り博士の田中さんは、中国の空気も読めていないのです。


 「大気圏外」にお住まいの田中さんが、大気圏の事象をとやかく言い、いたずらに下界の空気をかき混ぜるのはいかがなものでしょうか? 失礼ながら、山田さんが指摘するように、時々、地に足が着いていないのです。
[33921] ゲバタさんは、独断と偏見の人、だからオモシロイ
名前:安住るり
日時:2008/04/23 21:34
「大気圏外」のゲバタさんを先月末に、逗子での花見ハイキングにお招きしました。
いい天気で、ご機嫌でしたね。
それにしても、途中の酒屋で焼酎の2リットルボトルを買い込んで、お茶のベットボトルに
移してはチビチビ呑み続けておられたのには、さすがに呆れました。
あれも、独自の健康法なのでしょうね。
脳溢血で倒れたら、だれか看病してくれますか?



「独学のすすめ」は、いいですね。
毎日毎日、朝から学校に行くのが当然とされていて、どこかに出かけるのは
週末だけ、なんて、ほんとにアホらしいし、腹立たしい。


孫ができたら、ときどき勝手に学校をやすませて、いろんなところに連れて行きたい。
学校は中学まででいい。


じっさい、私の娘でソレをやりました。彼女はいま20代ですが、仕事にはまったく困りません。社会性がしっかり育っているからです。
これからの時代、「学歴」はどんどん」無価値になっていくでしょう。
[33911] 個人的な体験を一般化してはいけない
名前:山田ともみ
日時:2008/04/23 15:43
>私自身の私的な体験だが、20歳ごろ以降、「医者に行かない。薬を飲まない」を健康法にして生きている。
 

教育問題とか健康法とかは、特にその分野について専門的に学ばなくても自分の体験に基づく意見を持つ方が多いので、さまざまな意見が飛び交いがちな分野だと思います。
「健康法」に関していろいろな体験をお持ちの方がおられるのは当然で、それぞれの体験は、その体験をなさったかた個人個人には重要なことなのだろうと思いますが、それぞれの体験談は全く個人的なことですので、必ずしも一般化できることではない、という点に注意が必要ですね。
「医者に行かない。薬を飲まない」を原則としてこれまでやってこられたのは、記事の筆者の貴重な体験だとは思いますし、それを否定する気は毛頭ありませんが、「だから多くの人にもその原則は有効だ」というためにはその有効性に関する第3者的検証が必要です。 そういう検証はなにもないのにそんなことを言ってしまっては、「私はこれで癌が治りました」という体験談を元に「健康食品」を売っている悪質な業者と同じ論理になってしまいますね。個人的な体験、と、一般化できる健康法、は区別しなければなりません。
 
 
>ある時期、メニエル氏症候群にかかってしまった。市立病院に行って病名を告知されて、安心した。心因性の病気であることは自分の知識として知っていたからだ。
 

これは非常に誤解を招く不適切な発言です。めまいを症状とするのに器質的な異常が見つからず、心因性であると考えざるを得ない例があるのは事実だとしても、全て心因性といわんばかりのこのような書き方は実際にこの病気で苦しむ人を傷つけるものです。
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