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コラム

「国立国語研究所」の解体はなぜ?

嶋田和子2008/05/15
「国立国語研究所」が廃止となったニュースに日本語教育業界には激震が走った。今ほど国語政策や日本語教育政策の重要性が問われている時代はないという状況下、いったいなぜ?
日本 教育 NA
 国立国語研究所の存在をご存じでしょうか。この研究所(以下「国研」と略します)は、「国語に関する総合的研究機関」として1948年に発足し、2001年に独立行政法人に移行しました。国際化や情報化が進む日本社会における現代日本語の調査研究、外国人のための日本語教育の推進などを積極的に行ってきました。その成果は多文化共生社会作りに大きく貢献してきました。国研のホームページには「国研の使命」に関して、以下のように記されています。

 日本語を母語とする人を対照とした国語研究と、母語としない人を対象とした日本語教育研究を密接な連携の下に行い、現代日本語の姿と変化を客観的に明らかにすることによって、国語政策や日本語教育政策に貢献し、国民の言語生活の向上や外国人に対する日本語教育の振興に資することを使命としている。

 そんな重要な役割を担っている国研が今大きな変革の波に晒されています。2007年12月24日の閣議決定で、「独立行政法人国立国語研究所」は廃止となり、大学共同利用機関法人に移管されることになったのです。このニュースに日本語教育業界には激震が走りました。今ほど国語政策や日本語教育政策の重要性が問われている時代はないという状況下、なぜ「独立行政法人国立国語研究所」を解体し、大学共同利用機関に組み入れられなければならないのでしょうか。国研は独立した組織として存在していればこそ出来る大きな役割もあるのですが、それが文部科学省には理解してもらえなかったのでしょうか。

 今年1月以降数回にわたり国立国語研究所のあり方を審議してきた「国語に関する学術研究の推進に関する委員会」の報告(案)を読むと、国研の仕事内容はよりアカデミックなものへと傾斜していることが窺えます。民間の日本語教育機関で仕事をする私も、これまで国研と接点を持ち、留学生・就学生を2年、3年と追いかけていく縦断調査などを行ってきました。また何人もの教師が国研の研修に参加したり、データ活用の指導を受けたりしてきました。

 報告書には「研究領域」として(1)理論・構造研究(文法、語彙・意味、音声・音韻、文字・表記など)、(2)空間的変異研究(方言など)、(3)時間的変異研究(歴史など)、(4)言語資源研究(コーパスの構築など)があげられていますが、もっと人と人との関わりの中で作り上げていく研究に関する記述が見られません。それをこれまで国研がやってきたのですが、今回の報告には「日本社会におけるコミュニケーション研究」という視点が欠落しているのです。

 既に移行が決まってしまった今、せめて広くさまざまな人々の意見を聞き、「新生国立国語研究所」がこれまでやってきた活動を規制することのないような形で「移行」を実施してもらいたいと思います。

 国の言語政策は極めて重要であり、定住外国人が200万人を超えた日本社会において日本語教育政策の取り組みは、将来の日本を大きく左右する重要なことだと考えます。

 教育改革に関しても、現場の声をしっかり聞くこともなく限られた委員の中で論議され、新しい制度が始まっては消えていっています。「ゆとり教育」讃歌が始まったかと思うと、「ゆとり教育なんかしているから学力が低下するのだ」と、いつの間にか「ゆとり教育」を悪者扱いしているのが現状です。「どんな問題が、どこに、なぜ生じたのか」について十分に検証することなく反対方向に走り出すのが今のやり方です。

 教育再生会議や中央教育審議会にどれだけ教育現場に関わっている方々が参加しているでしょうか。私は、教育界で起こした失敗と同じ根を持つ問題を「国立国語研究所の移行問題」に感じてしまいます。

 今回の問題をきっかけにして、私たち1人ひとりにとって極めて重要な問題である「ことば・日本語」について、もう1度真剣に考えてみたいと思います。

 最後に、私が所属する日本語教育学会の尾崎明人会長が「国語に関する学術研究の推進に関する委員会」に出した意見書を記しておくこととします。

「国語に関する学術研究の推進に関する委員会」報告に関する意見書


(1)「日本社会における日本語コミュニケーションの研究」を推進すること

 日本語は、日本の歴史や文化、伝統の基盤をなす言語であると同時に、日本社会でもっとも広く使用され、人々の暮らしを支えている言語でもある。したがって、日本語研究は、日本語の体系や空間的、時間的変異に関する研究だけでなく、日本語によるコミュニケーションの実態調査と研究をとおして社会に貢献するという使命も負っている。

 日本社会は、日本語を母語としない日本人および外国人の増加によって急速に変わりつつあり、日本語の母語話者と非母語話者がコミュニケーションを行う場も確実に広がっている。大学共同利用機関は、このような日本社会の現状と将来に対する深い洞察力をもとに、日本語を母語としない人々の日本語も含めて、日本社会における日本語コミュニケーションの研究を推進すべきである。そのためには、「日本語コミュニケーション研究」を新しい国立国語研究所の重要な使命と認め、研究領域の1つとして独立させるべきである。

(2)独立行政法人国立国語研究所の廃止に伴う問題点を明確に指摘すること

 今回の政府決定により独立行政法人国立国語研究所は廃止され、日本の言語政策を支える公的な日本語研究機関は存在しなくなる。一方、欧米や韓国、中国などの国々では国家政策的な観点から言語研究、言語教育(自国語・外国語)に関する総合的な施策を企画立案している。政府の今回の決定は、言語政策に関する世界の趨勢・社会と時代の要請に逆行するものである。

 「国語に関する学術研究の推進について」報告(案)は、日本語の学術研究を推進する立場から書かれた文書であり、独立行政法人国立国語研究所を大学共同利用機関という学術研究機関の中に位置づけ、その運営体制および研究組織のあり方に関する基本方針を述べたものである。したがって、この報告(案)では国語政策、日本語教育政策の立案に資する資料、情報の収集、分析という、これまで国立国語研究所が担ってきた政策研究上の役割についてはほとんど言及されていない。

 独立行政法人国立国語研究所の解体がもたらす問題点を指摘し、国の言語政策立案に必要な措置について貴委員会としての見解をより明確に表明すべきであると考える。

ご意見板

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[34354] 遠い祖先から戴いた、貴重な精神文化を子々孫々に繋いで戴きたい。
名前:中村孔治
日時:2008/05/24 16:23
大体1960年代の終わり位迄は、TVアナウンサー達が、「トランジスター」と発音すべきところを「トランジスタ」と短く原稿を読む事例が極めて多く、非常に気になっておりました。


そんな事を含めて、些か、細かい事項に付いて、先回、コメントさせて頂きました(最近、半導体製品は集積化が進んで、「トランジスタ」は殆ど耳に致しません。しかし、昔の話で、この言葉出た時そんな発音をする可能性もありますが・・・。


さて、今回は本記事における、主要な問題点と思われる事項に触れたいと存じます。以下<>内の文章が先ず私の気になるところでした。


<・・・日本語の母語話者と非母語話者がコミュニケーションを行う場も確実に広がっている。大学共同利用機関は、このような日本社会の現状と将来に対する深い洞察力をもとに、日本語を母語としない人々の日本語も含めて、日本社会における日本語コミュニケーションの研究を推進すべきである>、


<一方、欧米や韓国、中国などの国々では国家政策的な観点から言語研究、言語教育(自国語・外国語)に関する総合的な施策を企画立案している。政府の今回の決定は、言語政策に関する世界の趨勢・社会と時代の要請に逆行するものである>


及び<この報告(案)では国語政策、日本語教育政策の立案に資する資料、情報の収集、分析という、これまで国立国語研究所が担ってきた政策研究上の役割についてはほとんど言及されていない>


等々の文章を見るにつけても今回の、日本政府の措置に対する疑念が高まるばかりです。


日本の政府並びに官僚達は、一体、日本国民を今後どの様に導いてゆく積りなのであろうか?と、疑念が涌いてきます。


短い期間ではあったが、私は、エレクトロニクスの講義に並行して、中国東北で、日本語教育をさせて頂いた体験もあります。したがって、上記の<>内の第一番目の文章の趣旨が良く判ります。


また、中国では1940年頃、毛沢東がすでに提案したと思われる簡体文字は「中国の文字改革は世界の文字に共通する音標文字の方向を目指すべきである。これは即ち漢字を逐次音標文字へと変革して、音標文字に変えて行くことである」との彼の考えに立脚していたと思います。


しかし、遺産は遺産として非常に高く、評価しており、中国の多くの古典が市中の書店の棚に並んでいるのも見、実際に購入も致しました。また、種々の古典は学校で講義もされており、従来の貴重な精神文化を子々孫々に繋いでゆく姿勢が覗われました。


昨今の日本での凶悪犯罪の多発の状況を見るに、日本人の良き精神文化が失われつつあるような気も致します。


勿論、中国においても、犯罪はありますが、例えば、老人や女性に対する労り方は日本より遥かに上であろうと存じております。しまいは、若干、横道に逸れました。


最後に、遠い祖先から受け継いできた貴重な財産である、日本語を守り、更には醇化するよう、政治家や官僚が真剣に取り組んで貰いたいと念願し、終わりと致します。
[34277] 国語?
名前:別府有光
日時:2008/05/20 00:21
国語と言う表現はヨーロッパの潮流と、植民地台湾の経営の経験から、それまでの日本語に変わって出てきたものだと聞いている。日本は植民地を失ったのだから、もう国語を止めて、日本語に統一したらいいんじゃないでしょうか?
[34202] 本記事は重要な問題に言及され、大いに勉強になりました。
名前:中村孔治
日時:2008/05/16 11:59
そこで今回は、村上久三郎記者のコメントにかんして、特に以下の<>内に要約した事項のみを取り上げたく存じます。


<工学用語に違和感を感じる。1960年代頃は「コンピューター」等々、英語に近いカタカナ用語を使用していたが、70年代以降は「コンピュータ」等々となった>


此れは私も若い電子工学関連の研究者であった頃の事ですが、多分、当時の「学術用語選定作業委員会」とか云うところで学者・先生達が決めたように記憶致します。


当時から非常に気にしている事ですが、例えば、NHKの主要な番組と思しきものの放映で、多くの主力アナウンサー達の読みが、文字通りの「コンピュータ」、等々であったことです。最近は大分良くなっているのではないでしょうか?しかし、文字どうりの読みの方もかなり、いるようです。


当時、委員会の学者・先生達は、あくまでも読みは、「コンピューター」であると考えていたのですが、徹底しなかったようです。


私は、前NHK会長の橋本氏<私の卒業した旧制浜松第一中学校が新制浜松北高校に変って後の卒業生・私の16〜17年後輩。技術畑の出身>に、老婆心ながら同窓会ででも合う機会があったら注意したいとも思っていたが、遂に彼の現役時代に直接言う機会を逸しました。しかし、所謂文系出身の友人達の何人かには、この件を述べた記憶があります。


他にも、本記事に付いて、コメントしたい事が多いのですが、目下多忙にて後に譲り、今回はそれ等を割愛させて戴きます。
[34197] 用語
名前:村上久三郎
日時:2008/05/15 23:45
 私は国語研究所を含め、この記事に関する分野は全くの素人ですが、私は理工系大学生用の「技術書」および「工学英語」に関する教科書の著述を専門としています。最近、以下のことを感じることがあります。
@私は、1970年代、米国におりましたが、10年ぶりに帰国して、工学用語に違和感を感じるものがあります。まず1960年代頃は「コンピューター」「モーター」「メーカー」などと英語に近いカタカナ用語を使用していましたが、最近の大学教科書には「コンピュータ」「モータ」「メーカ」と書くようです。私は「変だな」と思いつつ書いています。
A理工系教科書には、専門用語をひらがなで書くことを要望されることがあります。例を挙げますと、昔の「ハンダ」「ルツボ」は「はんだ」「るつぼ」と書くのが望ましいようです。また「例えば」を「たとえば」と書き、「その時」を「そのとき」と書くよう出版社から言われることもあります。
B国語のどうい機関の、どういう委員会メンバーが決められのか分かりませんが、@に関しては、英語力がある方が入っていなかったようにも思っています。Aに関しては、ひらがなを使用すると、逆に文章が分かりにくいことがあります。
「弁慶がナギナタ・・・」を「べんけいがなぎなたを・・・」では分かりにくいものです。
 私の感じでは、1940−1960年代に比べ、最近の用語は退化したように思うことがあります。
 嶋田先生は、今後何かの機会に、「工学系カタカナ用語の見直し」と「ひらがな用語の見直し」をご提案されることを希望致します。特に@に関しては、英語読みを大切にされた方が良いと思います。
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