堀田力さん(5月15日、さわやか福祉財団で)
後期高齢者医療制度の廃止法案が国会に提出されたが、「廃止論は出してもらっていいのだけれど、それじゃあ、あなたどうするのという問いに対する答えがないわけだからこれでは回答にならない」と堀田さん。お年寄りが尊厳を保てる社会の実現を目指す多角的な議論と実践に、国を挙げ垣根を越えてとりかかるときだと訴える。今回のやりとりは以下の通り。
―これからどう対応していくか
だから廃止論は出してもらっていいのだけれど、出す方も言う方もわかっているが、それじゃあ、あなたどうするのと、元に戻してあの若い人たち、現役世代にどんどん負担を増やしていって悲鳴を上げさせていってどうするのという問いに対する答えがないわけだから、これは回答にはならない。
でも出してもらって、そこからもう一度議論し出して、そしてじゃあやっぱりここには税金入れざるを得ないというところまできて、そこから負担のありかたをどうしようかと、2段階でしっかり国民の前で議論してもらうことが必要だ。
そのためには、もっと合理的な負担能力に応じた案はこういう案だという案をいくつか政党が提示するのが筋だと思う。それができないなら行政の方で厚生労働省で提示しないといけない。
▼市区町村にも権限を与えきめ細かな対応を
具体的に基本理念はもう後期高齢者は払えない人は払えない、払える人に払っていただくという、この能力に比例した方式を作らなくてはいけない。が、そのときにそれを具体的には市区町村が一番よく知っているわけだから、市区町村に減免したり決める権限を与える。いままでそれを決めていたのだが、今度の制度はそれを都道府県レベルにしてしまったので、もっと市町村にきめ細かくすることも考えなくてはいけない。
市区町村は自分のところの高齢者の生活のあり方の問題だということで、もっともっと高齢者の中に入っていって、その意見を聞き実践に応じた案を提言しなくてはいけない。
それから難しい問題が出てくる。仕組みの問題で、いままで高齢者は世帯主、だいたい長男だが、これの扶養者になって、いわば全く収入のないものとして扱われていたが、今度の制度はそこを切り離して個人単位にした。世帯単位と個人単位がすっきり整理されていない。
これは介護保険制度でもそうなのだが、一方では世帯主がお金持ちだったら本人は全然お金がなくても負担してもらいましょうという考え方がある。と同時に、個人単位だから扶養者でなくて個人で資産たくさん持っている、個人名義の資産があるときは負担してもらいましょうという考え方がある。この世帯単位と個人単位の両方が混在している。
▼負担は世帯単位か個人単位か―も国民的議論が必要
それで割合に自民党のなかのどちらかというと古い人は世帯単位でやれという考えが強い。だが、このごろの若い人たち、それと割合新しい高齢者は個人単位でいこうという考え方が強くなっている。
だから老いては子に従えというので、この扶養者というのはうるわしい家族関係だととらえるか、それとも子供が扶養者というのはそれで良いが、高齢者になってからも扶養される、全部子に依存して経済的にも恩恵にあずかる、そういう考え方でよいのか。
そこはやはり高齢者としてそれまで積み上げてきた資産はあくまで自分のものとしてしっかりと維持して、支援受けるのは経済的に支援を受ける、そこははっきりしてということだ。今みたいにぐじゃぐじゃで、家族のなかでもそこは踏み込まずうるわしい家族愛でゆきましょうという仕組みで良いのかというと、かなりそれに反発する人たちも増えてきている。
かつてはもちろんそれでやってきた。現に世帯があって家父長がいて経済面でもそれでやってきたが、今は実態がかなり違ってきている。ここをどう整理するのかという問題も、どう公平に分けるかという形で出てきてしまう。
これは一度国民的にしっかり議論しないと大問題だ。すごく考え方が違う。地方と都市部でも傾向として違うし、地方のなかでもいろいろ違う。これは結局、高齢者の生き方、老いては子に従ってやっていくか、収入はなくなっても自分のことは自分で責任を持ってやっていくか、そこにもかかってくる。どんどん状況が変わり、意見も変わってきているから、しっかり議論してやらないと、勝手に厚生労働省がここのところは個人単位、ここは世帯単位でなどという、そんな決め方で国民が納得するはずはない。やっぱり議論が足りない。
それが突き詰めていくと高齢者の生き方の問題にもなるから議論が要る。難しい議論だ。
―自助、共助の社会作りとの関連についてはどう考えるか?
保険はそもそも共助だ。共助の要素が強い。共助が実際ぐーっとなくなったから、その基本精神を作らなくてはいけない。それは何も保険制度だけで共助といっても助ける気持ちがなくなったら、利己主義になってしまったら、共助など出てこない。それはもう、子供の頃の教育で人同士助け合うというものの考え方をつくる。社会へ出てからも競争はもちろん大事だが、競争以外のところで助け合うとか、競争でも助け合うところは助け合うとか、そういう生き方一般につながる感覚の問題だ。いろんなところで助け合うという社会にしていかないと、保険だけでは議論ができない。
▼助け合いが全体にかかる費用を減らす
税金だけでいこうというのが、まさにもう共助はいらない、自助と公助だけでいきましょうというのが税金の政策だ。共助は税金だけでやるというのは冷たくなってしまうから、やっぱり助け合いの気持ちでそれぞれ出し合ってやる部分も残しておかなきゃいけないのじゃないのと。ただそれだけでやれなくなってきたら税金も入れて公助も入れていくしかないのかなあと。今度の後期高齢者の問題はそういう問題だ。
助け合いだけでは無理だから半分は保険でいって、半分は公助の税金を入れてもらう。しかし半分のうち1割はやっぱり自助で、高齢者全体としても自助で、高齢者にも負担をしてもらいましょうと。自助、共助、公助と組み合わせたわけだ。
―ボランティア活動の役割について
それを厚くすれば、医療費が出る前にもっとボランティア活動とか助け合いの活動で、後期高齢者にも出来ることに参加してもらって、そして、病気にならないようにする。生活習慣病にならないようにする。それが医療費を減らすことだ。そういう部分は生き甲斐であり助け合いだ。それによって全体にかかる費用を減らそうという、そこがもちろん大事だと思う。
―尊厳ある生き方を目指すには?
基本は高齢者がいかに誇りを持って生きることができるかだ。それから言えば、高齢者が自分でがんばってというところが必要だ。そういう意味から、何でもかんでも人にやってもらうというのでは自尊心がなくなる。やっぱり高齢者が全体では1割くらいを負担するというのは良いと思う。
それから医療にかかるときに、自分は今も払っている、あるいは今は払えないけれど昔は払ってきた、だからこういう状態になっている。だから堂々とかかるという。医療がただだから得しようというのではなくて、自分の場合は今はかからざるを得ないけれども、今は助けてもらっているけど、若いころは全部やってきたという誇りを持って高齢者がかかれるように。そこはしっかり誇りを持って医療を受けてもらう。
それも、医者の言いなりになるのではなくて、自分で自分の最期は決める。そういう医療にかかるときの選択の幅を広く増やすことが大事だ。
後期高齢者医療制度はそういう選択の幅を大事にしていく。医療にかからずに、むしろみんなと楽しくやっていきたいという、そういう福祉との関係、ボランティアとの関係、生き方が非常に大事になってくるから、医者は勝手に医療の面からだけ決めずに福祉と連携しボランティアとも連携して決めなさいという制度を後期高齢者は取り入れている。この制度をつくるときに私も参加した。
▼お年寄りの尊厳ある生活を目指す総合的視点を
そういうことをしたことに対して医者に診療代を払う、点数をつけている。そういうふうにして尊厳が保てるトータルで生活が少しでも彼らの意向に沿う仕組みにしている。その点は大きな進歩だと思う。
―財源の壁にどう向き合うか?
やはり、一番基本的なところでお金が足りないというところに行き当たってしまう。お金の問題は社会保障が切り込まれているところが基本だ。
そうすると、すぐ消費税アップかということになるが、その前に道路にあのお金を持っていって良いのか、少しこっちに持ってくるのか、そこの選択の問題だ。これはいま選択できるわけだ。道路が大事か、命が大事かという、そこをきちんと議論がやっとされるようになったから、しっかり言っていいのではないか。
改めることはしっかり改める。そのときに全体についての議論をもういっぺんしっかり国民の前でわかってもらえるようにするということが大事だと思う。
(「後期高齢者医療制度〜何が問題か」完)
※このシリーズは堀田さんへのインタビューの話をまとめる形でつくっている。
今回の分は5月15日に収録。映像制作はstudio LENTO(撮影・編集 鶴崎燃)