M氏の娘は二人の子どもを育てながら働いている。
以前、M氏は娘に、人間はどんなことをしても食べていけると言った。すると娘は、そんなの当たり前だよと、大憤慨したそうである。M氏としては娘を励ますつもりだった。いざとなったらどうにでもなるから、と言いたかったのである。
ところが大学院を出て専門知識を生かす仕事をしたいと悪戦苦闘していた娘には、なんでもいいから安定した仕事に就いたらどうかと言われたように聞こえた。彼女はちょうど3歳児と0歳児をひとりで育てていて、これからしばらくがいちばん大変なときだった。就職氷河期世代でもあり、将来について不安が一杯だった。
女性が自由な自己実現の道を選ぶことができる社会のためにも、ワークライフバランスの実現は大切だという(stock.xchngより)。
いまの日本で、女性が子どもを育てながら仕事をつづけていくのはなかなかたいへんである。企業のほうはいい顔をしない。小さな子どもがいたら残業してくれないし、病気でよく休むから、それでは安心して仕事をまかせられないじゃないかというわけである。企業の人事担当者はよく、女性はもっと責任意識を持ってほしいと言う。たいていの場合はその上に「あなたには夫がいて、食べていくだけなら夫のかせぎで十分じゃないですか」という、終身雇用全盛期以来の暗黙の思いこみがある。
こういう環境だから、子育て中の女性が男性と同じように仕事をつづけていけるようにするためには、女性が働くことにたいする企業の偏見をなくしつつ同時に「ワークライフバランス(仕事とくらしの両立)」を実現するよりほかない。
先日刊行された山口一男・樋口美雄編『論争 日本のワーク・ライフ・バランス』(日本経済新聞出版社)は、まさしく女性に対する偏見をなくしつつワークライフバランスをすすめようというねらいの本である。さっそく読んでみた。シンポジウムをまとめたもので、パネリストの専門家が専門的な知見を駆使して論じている部分も多いので、ついていくのがたいへんだった。
しかし非常におもしろかった。なかでも圧巻は山口一男シカゴ大学教授が、多様なデータや学説を引き合いに出しながら、子育て中の女性にもちゃんと働いてもらう方がいまのような状況よりずっと経済合理性にかなうのだと論証しているところだった。
山口一男氏の名前はJanJanでもときどきみかける。最近では、さとうしゅういち記者の記事「
「同一価値労働に同一賃金を」 連続シンポジウムが大阪でスタート」(2008年3月25日)で、山口氏がご意見板に問題提起して大きな論争を呼び起こしたことがあった。興味のある方はぜひご覧いただきたい。
山口氏は「同一価値労働同一賃金」という考え方に否定的で、職務分析などを通じて同一価値労働同一賃金を実現しようとするのは、賃金を決定するメカニズムをゆがめることになる、それよりも真っ正面から、男女が同じ条件で働けるような環境をつくるべきであるという主張だった。
このときは山口氏は孤軍奮闘に近い状況で、わたしなども、どうして山口氏が同一価値労働同一賃金をかたくなに拒否するのか釈然としなかったものだ。たしかに「同一価値労働同一賃金」は劇薬である。格差是正の効果はあるが、運用を間違えると悪平等をもたらすだろう。しかしそれを一部のかたよった学者の説であるかのように言い切ってしまったら、いたずらに反感を呼ぶばかりではないか、と思ったものである。
しかし、今度この本を読んでだいぶ納得がいった。裁判闘争より経営者の意識改革を、そしてそれにそった雇用ルールを、さらに必要な範囲でポジティブアクションを、というのが山口氏の戦略なのである。
女性が自由な自己実現の道を選ぶことができる社会をつくる。そのための第一歩は、能力と意欲のある女性にたいして男性と平等のチャンスを提供することである。女性だからという理由だけでチャンスを取り上げてはいけない。冒頭で紹介したM氏の娘さんのような女性がモチベーションをもって働くことを考えたら、たしかに山口氏の唱える道がもっとも重要なのである。
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