ジャガイモの花
今年、2008年は「国際ポテト年」だ。単なる語呂合わせの類いではなく、国際食糧農業機構(FAO)が食糧安全保障、貧困の克服、農業システムの持続可能な集約化などの研究開発を、主として、ジャガイモの栽培、利用を通して、考えなおそうという、真剣なキャンペーンだ。出来秋を迎え、我が家の菜園からも、たくさんのジャガイモが採れ、コロッケ、肉じゃが、ポテトサラダと日を置かず、食卓に登場してくる。タイミングよく岩波新書から山本紀夫氏(国立民族学博物館名誉教授)の「ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争」が刊行され、一読、感銘を受けた。
このコラムVol.7「
緑の季節到来−山菜採り、菜園作業スタート」(07年5月)でも紹介したが、もう十数年前から、自宅より約5km、札幌と江別市の境界付近にある農地の一角(約90m
2)を借りて、野菜を作っている。ジャガイモと枝豆(大豆)が主力で、ジャガイモは約3か月と短期間で収穫出来るので、その後に石灰を撒き、肥料を入れ、漬物用の秋播きダイコンを栽培する。これがわが菜園の三本柱で、あとホウレンソウ、スナックエンドウ、小松菜、春菊、インゲン、ニンジンなど十種類ぐらいを栽培している。
札幌地方の農作業が始まるのは、雪が消え、畑の土が乾いてから、例年大型連休のころ。その時期をにらんで、半月ぐらい前に、野菜つくりのベテランである知人から、種イモを送って貰う。天気の良い日は、マンションのベランダで日光催芽させる。気温の下がる夕方は、段ボールの箱に仕舞い、朝、また出す。これを十日余り繰り返し、芽を2つ以上付け、40−50gに切り分け、切り口に草木灰をまぶし、(陽の当たらない)物置の中で乾燥させる。
掘ったジャガイモ
ジャガイモは、ナスやトマトと同じナス科の植物なので連作を嫌う。狭い家庭菜園では植えつけ場所のローテーションを組むのに苦心する。長靴の踏み跡(25−26cm)間隔で植えつけ、覆土し、足で踏んでおく。堆肥は植え付けたイモとイモの間に入れてやる。芽が10cmぐらいに伸びたら、丈夫な芽を2、3本残し、芽欠きすると、均質なイモが採れるのだが、自家用なので、不揃いでも構わない。そのままにして、土寄せだけ、してやる。6月下旬になると、薄紫色の水仙に似た花が咲く。葉が枯れる7月下旬から、収穫出来る。秋まで残しておいても良いのだが、後に秋播きダイコンが控えているので、8月の天気の良い日を選んで、イモを傷つけないよう、小さな熊手で、潮干狩りのような要領で堀りあげる。気候変動(冷夏や干ばつ)にもあまり左右されず、手間のかからない有り難い作物だ。
さて、「ジャガイモの来た道」に戻ろう。ジャガイモの原産地は、よく知られているように南米アンデス高地である。コロンブスの新大陸到達をきっかけに、16世紀始め、アメリカ大陸からヨーロッパ大陸に持ち込まれた。最初は「聖書にも出てこない作物」と気味悪がられ、観賞用の花として細々栽培され命脈をつないだ。
やがて、(気象条件や土壌のせいで農作物に恵まれない)イギリスと海を隔てたアイルランドで、食物としての価値が「再発見」され、一気に普及して行く。エンバク(牛乳をかけたオートミール)に代わって、主食となったアイルランドでは1845年、英国ワイト島で発生した疫病が伝播し、生産量が激減、死者100万人を出すという史上稀にみる大飢饉に遭遇する悲劇も生んだ。
日本への伝来は、16世紀後半。鎖国政策の下、唯一、長崎の出島で交易を許されていたオランダ人が持ち込んだ。当時、オランダは、インドネシアのジャカルタに東印度会社を設立し、東洋貿易の拠点にしていた。ジャカルタは、わが国でジャガタラと呼ばれていたので、ジャガタライモの名がついたというのが通説だ。
長崎に渡来したジャガイモが、北海道に持ち込まれたのは、まだ蝦夷地と呼ばれていた1706年。幕末の探検家、最上徳内が持参したタネイモを道南地方で栽培させた。時代は下って1907(明治40年)。函館郊外に農場を持つ川田龍吉男爵がアメリカのマサチユーセッツ州から、数種類の種イモを取り寄せ、試験栽培させたところ、「アイリッシュ・コブラー」という品種が北海道の風土にマッチし、収量も多く、味覚も良いことが分かった。この品種は、「男爵イモ」として全国に広まり、今でも作付け量No.1(約25%)である。渡島管内七飯町には「男爵薯発祥地」の記念碑が建っている。
世界中の生産量は3億1,500万tで、稲、小麦、トウモロコシに次ぐ第4位の食用作物である。うち我が国の生産量(2006年統計)は、264万t。北海道は203万tと75%超で断トツだが、2位は意外にも温暖地の長崎県の10万t強。日本の食糧自給率が先進各国の中で最低の39%に落ち込み憂慮されているが、ジャガイモも例外ではなく、1986年(昭和61年)の407万tをピークに下降線をたどっている。
ジャガイモには、米や小麦など穀類には、ほとんど含まれていないビタミンCやミネラルに富み“地中のリンゴ”とも呼ばれる。「イモのように太る」という言い方があるが、これも偏見で、可食部100gで比較すると米168cal、小麦149calに対し84calしかなく、ヘルシーな食品であることが分かる。
優れた食物であるにもかかわらず、脇役に甘んじてこなければならなかったのは、水分を80%も含んでいるので、(澱粉やポテトチップなどの加工品を除けば)保存に難があったためだろう。道内の一部農家では、雪中貯蔵の試みが始まっている。使っていない牛舎やサイロに雪を詰め、発芽期の4月から7月ごろまで、貯蔵期間を延ばして出荷するもので、食材高騰で悩む学校給食などで、歓迎されている。各地のJA単位で、もっと大規模に取り組んで欲しい。
「ジャガイモの来た道」の著者、山本紀夫氏はジャガイモの原産地ペルーのリマに本部のある国際ポテトセンター(CIP)に客員研究員として3年間出向された経験をお持ちの学究。「(戦中、戦後)輸入が途絶し、節米を強いられ、ひもじい思いをしたのは、たかだか60年前のこと。小麦やトウモロコシなどの穀物価格が高騰して食料供給に不安を感じる今こそ、過去に学び、食料源として大きな可能性を秘めるジャガイモなどイモ類の長所を見直し将来に向けて準備をしておく必要があるのではないか」と警鐘を鳴らしておられる。
引用文献:
・山本紀夫「ジャガイモの来た道-文明・飢饉・戦争」(岩波新書)
・北海道新聞(08年7月19日夕刊)「世界を救うジャガイモ」
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