23日、成田空港で起きた米貨物大手フェデックスのMD11機炎上事故の映像は、繰り返しテレビで流された。<貨物機で良かった>と感じたのは、私だけではあるまい。亡くなった機長と副操縦士の生命を軽んじる訳ではないが、旅客機なら大惨事となるはずだった。
成田空港が開港したのは1978年5月。それから40年余を経過して初めての死亡事故だから、歴史に残る「事件」だろう。しかし翌24日付朝刊で社説のテーマにとりあげたのは、以下の3紙だけだった。
▽読売=貨物機炎上 突風に対する備えは万全か
▽東京=成田着陸失敗 解明急げ初の死亡事故
▽産経(主張)=貨物機炎上 気象の急変に対応怠るな
1紙で代表されるのは乱暴だろうが、読売社説の結論部分は以下のとおりだ。
<安全が第一である。刻々と変わる気象状況に応じた機長や管制官の判断は、極めて重い。
気象台と空港、機長との気象情報の伝達や指示は、的確・迅速に行われているだろうか。異常気象に対処する機長らの教育訓練は十分だろうか。この点についても総点検が重要である>
タイトルから推測できるだろうが、東京、産経の主張も同じことである。原因を究明し、突風など異常気象対策を確立せよというところにある。
社説ではなく1面コラムのテーマにしたのが2紙ある。毎日の「余録」と日経の「春秋」だ。末尾のセンテンスを紹介しよう。
<余録=成田空港では初の航空機の死亡事故というが、これから乗機の着陸のたびにこの事故の映像が頭をよぎるのはかなわない。原因を究明して、どんな月の風であれ(※注参照)虚を突かれる余地のない対策で乗客の不安をぬぐってもらいたい>
<春秋=航空機や操縦システムがいくら高性能になっても安全を脅かし続ける「気象の罠」をどう避けるのか。映像と原因の調査で新しい教訓を得るのが、命を落とした乗員2人に報いる道でもあろう>
(注)この余録は冒頭「3月の風」から書き出している。「3月の風だけでなく」「どんな月の風であれ」という意味だろう。
《(注)終わり》
どうしてこんな考え方しかできないのだろうか? とあえて論説委員諸兄に問いたい。あの場面、機長は「着陸は100%安全とは思えない」と判断して、上空での待機を続けるべきだったはずだ。
<異常気象や風対策を確立せよ>という主張は、<どんな気象条件でも、着陸中止は選択しない>という姿勢につながるのではないか? これはむしろ、今後も事故が起き続ける航空界の体質を温存することになる。
読売社説の末尾は、
<安全が第一である。刻々と変わる気象状況に応じた機長や管制官の判断は、極めて重い。
中国の古典に「進むを知りて、退くを知らず」とある。常に進む人をほめたのではなく、逆に退くことの大切さを知らない人を愚かだとする言葉だ。「可を見て進み、難を知りて退く」という言葉もある。
自然の力はたいへん巨大なもので、人間の知恵では克服できない場面も多い。
航空輸送のメリットは速さにある。それを犠牲にするのは忍びないのかもしれないが、あの場面は、着陸を見送り、上空での待機を続けてほしかった>
となるべきところだろう。
航空貨物の競争力は速さから生まれるのだという。例えばアフリカ西方の大西洋上で漁獲されたマグロは、ナイロビから空輸される。船便とは比較にならないくらい早く着き、換金されるのも早い。金利を考えると航空輸送こそ合理的なのだそうだ。
着陸を断念し、上空での待機を続けることで、「速さのメリット」がちょっぴり失われる。それでも「安全優先」であるべきだという乗員に対する教育こそが、欠けていた。事故の背景にはこうした航空会社の体質があったはずだ。
新聞の社説やコラムでは、貨物でも露呈してしまった航空会社の「速さ優先体質」を指摘し、批判すべきだったのではないか?