文明は日進月歩。しかし文明の利器がより高度になればなるほど人間は忙しくなる。洗濯もおなじだ。
数年前、洗濯機を一槽式全自動に替えたら洗濯がうそのように楽になった。それまでは水洗いがすんだら脱水槽に移し、脱水がすんだらハンガーに掛けて乾かし、乾いたら取り入れていた。その作業工程がめでたく全部なくなった。
天気のぐあいを心配することもなくなったし、洗濯物をピンと伸ばして掛ける手間もなくなった。わたしは子どものころから不器用というかいい加減な性格で、洗濯物をちゃんと伸ばさず掛けてしまう。すると、しわくちゃのままパリパリに乾いてしまう。そういうのを「わかめ干し」と言うそうだが、それでよく叱られたものだった。洗濯機を全自動にして、叱られる心配もなくなった。
とはいえ依然として失敗はなくならない。このあいだうっかりシルク混紡のシャツを洗濯してしまったら、光沢が失せて縮んでしまった。2万円もした大事なシャツだったのに。
最近の家電製品はまことに高性能になったが、その反面使い方が難しいし思わぬ故障も起こる。わが家の洗濯機のばあい、乾燥するとき洗濯物にゴムのような臭いがつくことがある。故障の相談をするほどでもないし、かといって臭いがつくのは嫌だしと、これがけっこう心理的な負担になるのだ。 おなじような経験をした人もけっこういると思うがどうか?
子どものころ、洗濯や炊事などの水仕事をする主婦の手は荒れていた。皮膚がざらざらになって、あかぎれができていて痛々しかった。家事の電化がすすんでどんどん変わっていったが、それでも70年代の主婦の手はやはりけっこう荒れていたように思う。いま中年女性の手はすっかりきれいになった。
子どものころの洗濯はものすごく大変だった。たらいに洗濯板をかけて、手でごしごしやっていた。洗濯物を絞るのも力仕事だったし、洗濯はなかなかの重労働だった。だから毎日は洗濯しなかった。もちろん、いまのように毎日下着を着替えるなどということもなかった。いまはどの家庭でも毎日何回も洗濯機を回している。
そういうことを考えると、洗濯は楽になったが、洗濯にかける時間は減っていないだろうと思う。文明が発達すればするほど忙しくなるというのはこういうことだ。