4月10日は、天皇・皇后のご結婚50周年であった。その感想を語らせる記者会見が8日夕行われ、新聞各紙は朝刊に掲載、テレビも朝から流した。
50年前は1969年。4月10日の「皇太子ご成婚」によって、「ミッチー・ブーム」なるものが起こった。愛用の「角川新版日本史辞典」(1996年11月)には「ミッチー・ブーム」の項目があった。
<1959(昭和34)の皇太子成婚によるブーム。初めて民間から選ばれた皇太子妃正田美智子の愛称からこう呼ばれた。交際のきっかけとなった軽井沢のテニスなどが話題となり、馬車での結婚パレードには沿道に50万人が集まった。テレビ各社の報道合戦で受像器の売り上げが急増、推定視聴者は1500万人を数え、戦前とは違った皇室のイメージづくりに役立った。> と語釈されている。
いったい「ブーム」と呼ばれるものが何であったのか? 語釈になっていない感じだ。「民間から」というのは「旧華族以外から」という意味だろう。それを歓迎した「世論」、パレードを見たいということで爆発的に売れたテレビ、庶民との距離がぐっと近づいた皇室……。こうした時代の変化全体を「ミッチー・ブーム」と呼ぶというところだろうか。
時代の変化のポイントは何だったのか。年表を見てみよう。岩波「近代日本総合年表第3版」は、この年3月に週刊少年マガジン▼週刊少年サンデー、4月に週刊現代▼週刊文春、5月に週刊平凡、9月に週刊時事、11月に週刊コウロンなどが創刊されたことを列記。「週刊誌ブーム」の年だったとしている。
戦前から続いている週刊誌は「週刊朝日」と「サンデー毎日」だけ。1952年2月「週刊サンケイ」、同年7月「週刊読売」が刊行され、新聞社系4誌がそろった。56年、出版社系として初めて「週刊新潮」が創刊されていた。59年になって週刊誌は、新しいメディアとして定着したことになる。
週刊誌ブームの年、59年創刊のトップを切ったのはマガジンとサンデーという2大少年誌だった。女性誌もまた57年に「週刊女性」(2月河出書房が創刊、8月から主婦と生活社刊)58年12月に「女性自身」、63年に「女性セブン」などがそろった。週刊誌というメディアは男性向けだけではなく、女性向け、子ども向けもそろっていたのである。
この直前、57年7月、岸信介改造内閣の郵政相となったのが、田中角栄だ。当時39歳で、1898(明治31)年、大隈重信内閣の文相となった尾崎行雄と並ぶ史上最年少大臣だった。58年6月まで11カ月間の在職中、57年10月、全国43のテレビ局(NHK7局、民放36局)に一括予備免許を与えた。
テレビの本放送が始まったのは1953(昭和28)年。2月にNHKが、8月に日本テレビが放送開始した。田中角栄が一括免許を与えた時点で、開局申請は約100局も出ていたという。しかし郵政官僚が明確な処理方針を打ち出さないまま、宙ぶらりん状態になっていた。民放の場合、多くは背後に新聞社の存在があり、処理を誤ると「不公平」などの批判を浴びかねないと考えていたのだという。
田中は地域ごとに処理の方針を決め、申請者全員を郵政省に呼び集めて、大臣直々に処理方針を言い渡した。その結果が民放だけでも36局という一括予備免許だった。申請者の中には「大臣案に応じなければどうなるのか?」と難色を示す人たちもいたが「行政訴訟を起こしてもらって結構」と押し切ったという。
「田中大臣主導」で、日本の役所としては珍しいスピーディーなテレビ開局免許の処理があったからこそ、ミッチー・ブームによるテレビの急速な普及が、「全国展開」したといえる。
いずれにせよ、天皇ご夫妻の50年は、テレビ・週刊誌を主役にした「メディアの時代」の50年でもあった。女性週刊誌のグラビアは皇室ものが多かったし、民放各局は週1程度の「皇室もの」番組をつくっていた。「民間から選ばれた皇太子妃」によって変化した皇室は、メディアと共に歩んだのである。
50周年当日、4月10日付「朝日新聞」は1面4段で「両陛下 今日結婚50年」という記事▼37ページ(第3社会面=記事面8段)をほぼ全部つかって<「感謝状」贈りたい 天皇・皇后両陛下 結婚50年会見>という記事を掲載した。さらに34、35ページの見開きで「ご成婚50年」の特集面としている。
同じ日発売の月刊誌「文藝春秋」は「ご成婚50周年記念大特集」と銘打っている。グラビア「天皇皇后両陛下ご成婚50年の軌跡」のほか「ドキュメント・美智子妃誕生」「母・富美子さんと密会のとき」「雅子妃 すべての悲劇の始まり」「官僚から皇太子夫妻を守れ」と4本の皇室記事、さらには特別付録「文藝春秋に見る美智子さま」と皇室ものオンパレードである。
ご成婚の年、59年の翌年、60年は安保と三池の2大闘争の年であった。いま振り返ってみれば、その「闘争」は、戦後混乱期の残滓だということなのかもしれない。56年の経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言された豊かさの時代にはふさわしくない「時代遅れのもの」だったのかもしれない。
皇室とメディアが「共存共栄」であったのが、この50年間の「豊かな時代」であったことは間違いない。しかし50年目の現時点で「共存」は間違いないが「共栄」ではなくなってしまっている。これ以後、皇室とメディアはどこへ行くのだろうか?