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四川大地震の震源地を訪ねて(1) [全2回]
四川省の旅、成都空港から車で1時間ほどの所にある民間の四川大地震博物館を訪ねた後、翌日の10月8日には、いよいよ四川大地震の震源地の「ブン川県(さんずいに文)の映秀村」を訪れた。
タクシーをチャーターし、高速道路を使って1時間ほどで順調に映秀村の出口を出たのだが、そこでタクシーは止まってしまい、写真を貼り付けた紙を持っている人達から運転手が何やら声を掛けられている。
何事かと思いきや、高速道路の出口から震源地に入る道路は、住民や工事用の車しか通れないように規制されているので、震源地を見たい人は自分達の車が案内するという話であった。こちらはそのために来たのであるから止むを得ない、100元(およそ1300円)を払って住民の車に乗って見て回ることにした。
倒壊した中学校(撮影すべて筆者)
まず見たのは、校舎が無残に倒壊している「旋口中学校」。ここでは地震発生から1年経った今年の5月12日、胡錦涛国家主席も参加して追悼式典が行なわれた場所。校舎を記念として残すため、地震の発生時間を示した大きな石の時計も作られている。
倒壊した校舎は2年前に完成したばかりだという。校門の前では地元の少女が地震の状況が撮影してあるというDVDを売っていた。CCTVや地元のテレビ局が放映したものであれば買う必要はないので、どんな内容かと尋ねた所、地元住民が撮影したものを編集したものだというので購入。北京に戻ってから見てみると、まだ軍隊の救助隊が入る前に、住民達自らが学校の校舎の下敷きになった子供たちを救出する生々しい場面もある迫力十分のものであった。
墓石には亡き子供の写真
村の小高い所に上がると公共墓地がある。その日は今にも雨が降りそうな天候であったが、訪れる人は絶えず、菊の花などを供えて犠牲者の冥福を祈っていた。公共墓地の脇には墓石が建てられており、亡くなった子供や家族の写真が貼りつけてあるお墓が目を引く。
ズタズタに切断された「百花大橋」もそのままの状態で残されている。川を渡っている部分は、恐らく全部崩れ落ちてしまったのであろう、今は建設中の新しい橋の橋桁しか見ることが出来ない。
崖から落ちてきた大石
崖から落ちてきた大きな石には、「512震源地 映秀」と、チャイナレッド色の文字が書かれていた。地元では、大地震の震源地ということを前面に打ち出して、観光客を呼び込もうという動きが見られ、「映秀震源地遺跡遊覧図」という看板も立てられていた。また震源地から吹き出たものだという小石を売る露店もあった。
時間の都合もあって震源地には1時間ほどしか居なかったので、被災住民が今どんな生活をしているかなど全体的な様子までは分からない。ただし案内をしてくれた地元の少数民族チャン族の女性の話によると、地震で娘を1人亡くした彼女は、今は別の場所で借家に住んでおり、仮設住宅ではない本格的な住宅が完成すれば、そこに移り住むことになっているが、それは早くても来年の旧正月以降になるという。
今回の震源地の旅では、観光案内をしたり、地震のDVDを売ったり、震源地の石碑がある場所などで観光客相手に果物や小石を売る商売をしている地元住民の姿を見かけることが出来、被災住民がたくましく復興後の生活を再開しているという印象を受けた。
案内をしてくれた女性の話によれば、国慶節休みの前半には外国人を含む多くの人がここを訪れており、そうした外部の人たちが今も関心を持ってくれることは嬉しいことだと言う。また住宅の建設や橋の復旧工事には、日本人専門家も加わってくれていると話していた。
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