時代の証言〜昭和の歌声  
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時代の証言〜昭和の歌声
<最新記事>
岸壁の母
《岸壁の母》は外地からの復員船が京都・舞鶴港に入港するたびに、桟橋に立ち、息子を待ち続けた悲しい母親から生まれた。涙、涙で作られたこの歌を聴くたびに、戦争は二度と繰り返されてはいけないと思うのである。(菊池清麿)2007/02/22

歌舞伎ソング・《お富さん》のブーム
朝鮮特需で日本の経済は復興の兆しを見せていた。軽快なテンポの歌舞伎ソング・《お富さん》の大ヒットは高度経済成長への離陸であり、まるで台風のような勢いで日本中に広まった。(菊池清麿)2007/02/15
戦犯を救った望郷歌
ある日、女性歌手が歌った望郷歌が戦犯を釈放するという奇跡を起こした。その女性歌手とは渡辺はま子、美しい声と美貌は一世を風靡した。彼女の歌唱は流行歌の力が政治を動かした歴史として刻まれている。(菊池清麿)2007/02/08
歌謡曲とシャンソン
戦後のシャンソンブームは歌謡曲と密接な結びつきをもった。多くの和製シャンソンが生まれている。だが、50年代の半ばから、ラテンブームが起こり、昭和30年以後、歌謡界も大きく変貌し、その影響から、格調と哀愁の情感が漂うシャンソン風歌謡曲がその主流から遠ざかった。(菊池清麿)2007/02/01
戦後 ― 日本のシャンソン
シャンソンの歴史は古く、15−6世紀頃に誕生したフランスの民衆歌である。そのシャンソンが昭和初期、パリから帰朝した宝塚音楽学校・白井鐵造によって日本に移植され、その後、淡谷のり子が大人のシャンソンの豊かな情緒を歌った。そのシャンソンは戦後、ブームとなる。(菊池清麿)2007/01/25
タンゴと歌謡曲
情熱・躍動と哀愁に溢れるタンゴと歌謡曲は戦前から密接な関係があった。そのようなタンゴは、人々に多くの感銘をあたえ、戦前・戦後の歌謡曲の重要なレパートリーとして位置づけられたのである。(菊池清麿)2007/01/18
ハワイアンと歌謡曲
日本におけるハワイアンの歴史は古く、戦前に始まっていた。歌謡曲との関係も深かった。太平洋戦争によって禁止されたが、戦後、ハワイアンは復活し、歌謡曲にも戦前同様に影響をあたえたのである。(菊池清麿)2007/01/11
戦後・空前のジャズブームと歌謡曲
1952年、日米安全保障条約が発効すると、占領軍は駐留軍となった。米軍基地は残ったが、規模は縮小された。基地周りをしていた日本人のジャズ・バンドは、基地外で演奏するようになり、ジャズ・ラッシュが始まったのである。(菊池清麿)2007/01/04
日本の復興・独立と歌謡曲
日本は、特需景気によって日本経済が復興し、サンフランシスコ平和条約によって一応独立を果たした。安保体制始動のさなか、日本の歌謡界は、好景気を象徴するお座敷歌謡、アメリカ憧憬歌謡、ラジオ歌謡など活気づいていたのである。(菊池清麿)2006/12/28
美空ひばりの登場
1949(昭和24)の秋、美空ひばりが戦後の歌謡界に確かな一歩を踏み出した。戦後の歌謡史において、美空ひばりは重要なキーワードである。(菊池清麿)2006/12/21
戦後の民主化の息吹を伝える−藤山一郎・《青い山脈》
《青い山脈》は、藤山一郎の透明感のある美しい響きと溌剌とした躍動感あふれる歌唱によってヒットし、戦後の民主化の息吹を伝えた。日本人がもっとも好む歌曲として愛され、藤山一郎は国民栄誉賞を受賞。(菊池清麿)2006/12/14
屈折10年の熱唱と絶頂のオカッパル人気
デビュー後「屈折10年」でようやく《湯の町エレジー》のヒットによって、近江俊郎はスターダムにのし上がった。オカッパル・岡晴夫とともに戦後歌謡界のスター歌手の仲間入りを果たした。(菊池清麿)2006/12/07
「長崎の鐘」―藤山一郎・平和への祈り
東京芸大出身のクラシックの正統派・藤山一郎の品格と格調のある歌唱で《長崎の鐘》が全国に流れた。戦争の過ちはくりかえしていけないと、平和への祈りがこめられていた。(菊池清麿)2006/11/30
戦後歌謡・新たな世代の活躍
戦後はいよいよ大正世代が大きく台頭した。岡晴夫、近江俊郎、田端義夫、小畑実、津村謙、竹山逸郎などが美声を響かせヒットを放った。(菊池清麿)2006/11/23
敗戦の虚脱を吹き飛ばすブギのリズム
ブギのリズムは敗戦によって打ちひしがれていた国民の虚脱感を解放した。戦前からすでに実験していた服部良一のブギは、戦後開花し成功したのである。《東京ブギウギ》は新たな時代の息吹を伝える起爆剤だった。(菊池清麿)2006/11/16
歌謡曲に見る戦争の傷痕
戦後の傷痕が社会派歌謡を生み出した。《星の流れに》はその代表である。戦争がすべて悪い−菊池章子のぶっきらぼうなブルース調の歌が女性の無限の恨みを歌い上げた。(菊池清麿)2006/11/09
戦後歌謡の復活・戦前派歌手の活躍
昭和22年に入ると、藤山一郎、ディック・ミネ、渡辺はま子、二葉あき子、淡谷のり子、灰田勝彦ら戦前の大スター歌手が復活の狼煙をあげた。戦後の歌謡曲が本格的にスタートした。(菊池清麿)2006/11/02
占領軍の進駐とジャズの復活
占領軍の進駐が戦前から隆盛していた日本のジャズを復活させた。この息吹のなか淡谷のり子、ディック・ミネ、灰田勝彦らのモダンな歌謡曲も甦った。(菊池清麿)2006/10/26
闇市と復員船に響いた歌声
闇市に響く明るい歌声、それは岡晴夫の《東京の花売り娘》であり《青春のパラダイス》である。復員船からおりてくる復員将兵が口ずさむ歌は田端義夫の《かえり船》だった。哀調のあるメロディーは人々の涙を誘った。(菊池清麿)2006/10/19
廃墟からの歌声・リンゴの唄
廃墟から流れた明るい歌声、それは並木路子が歌う《リンゴの唄》だった。混乱と虚脱、頽廃に包まれた人々の心に生きる希望をあたえた。(菊池清麿)2006/10/12
名歌手たち、それぞれの終戦
戦争のさなか歌い続けた歌手たちは、それぞれの終戦を迎えた。その後、国民栄誉賞の途を歩むもの、シンデレラのごとくスター歌手になるもの、GHQの政策で持ち歌が歌えず不遇を耐え忍ぶもの、さまざまだった。(菊池清麿)2006/10/05
太平洋戦争中の歌謡曲
太平洋戦争のさなか、銃後の人々や戦地の兵士は、戦時色を感じさせない歌謡曲をむしろ求めた。(菊池清麿)2006/09/28
太平洋戦争直前の歌謡曲
太平洋戦争直前、SPレコード歌謡といわれた流行歌・歌謡曲は、映画主題歌を中心に全盛期を迎えた。日本調系・外国系に豊か音楽が奏でられた。(菊池清麿)2006/09/21
藤山一郎(ポピュラー)・増永丈夫(クラシック)二刀流の復活
テイチクで古賀メロディーのヒットによって、経済事情も解決し、コロムビアへ復帰後、藤山一郎(ポピュラー)と増永丈夫(クラシック)が復活。芸術と大衆において己の音楽を追及した。(菊池清麿)2006/09/14
ハワイ生まれの江戸っ子気質・灰田勝彦
ハワイ生まれの江戸っ子気質の灰田勝彦。立教のハワイアン時代から裏声は絶品。ヨーデルを交えた歌声は、戦前・戦後の歌謡ファンを魅了した。(菊池清麿)2006/09/07
異色歌手の登場:岡晴夫と田端義夫
歌謡曲の創世の時代は、声楽家、音楽学校出身者、もしくは、学士卒で占められていたが、SPレコード歌謡も成熟してくると、広く庶民層からも歌手になるものも登場した。(菊池清麿)2006/08/31
古き花園のブルースを歌う・二葉あき子
音楽学校在校中、奏楽堂で増永丈夫(藤山一郎)の独唱を聴いて、感動。その後レコード界へ。戦前戦後の歌謡史を飾るヒットを放つ。(菊池清麿)2006/08/24
抒情的なバリトンで一世を風靡・伊藤久男
伊藤久男は、日本の流行歌の歴史において、リリクなバリトンで抒情歌の分野を確立した。戦前は戦時歌謡で声価を得て、戦後はラジオ歌謡で名曲を歌いあげた。(菊池清麿)2006/08/17
花も嵐も踏み越えて・《旅の夜風》―霧島昇
花も嵐も踏み越えて、映画『愛染かつら』の主題歌・《旅の夜風》でスターダムにのし上がった霧島昇。その後古賀メロディーもヒットさせる(菊池清麿)2006/08/10
美貌の歌姫−シナの夜・渡辺はま子
渡辺はま子は、官能歌謡・《忘れちゃいやよ》で有名になった。その美貌と可憐な歌声は永遠である。(菊池清麿)2006/08/03
昭和モダンの哀愁・妖艶なソプラノ―淡谷のり子
昭和モダンの哀愁を魅力的に歌った淡谷のり子。日本で最初に大人のシャンソンを歌った歌手でもある。クラシックを基調に豊饒な歌唱で戦前・戦後の歌謡界の女王として君臨した。(菊池清麿)2006/07/27
古賀政男・テイチク黄金時代
ビクターから、藤山一郎をテイチクに招き、古賀政男との黄金コンビが復活。《東京ラプソディー》を始め、つぎつぎとヒットを放ち、古賀メロディー第二期黄金時代(テイチク時代)を迎え、流行歌王としての地位を確立した。(菊池清麿)2006/07/20
なぜか忘れぬひとゆえに・楠木繁夫
テイチクに迎えられた古賀政男は、早速、「藤村一郎」という歌手を楠木繁夫として再生させた。楠木繁夫は、《緑の地平線》を歌いスターダムにのし上がる。爆弾のような情熱を持って歌う歌手だった。(菊池清麿)2006/07/13
昭和モダンの不良青年―ジャズシンガー・ディック・ミネ
昭和モダンの不良青年・ディック・ミネは日本最高のジャズ歌手。その魅力を歌謡曲に伝えた。外国ポピュラー曲、古賀メロディー、ブルースと幅も広かった。(菊池清麿)2006/07/06
ジャズの魅力を伝える・藤山一郎
ビクター専属時代の藤山一郎が、ジャズへの熱い情熱をもっていたことはあまり知られていない。藤山は、流行歌のみならず本名増永丈夫で芸術的な純歌曲、リートにも深い造詣をしめしたが、ジャズ・ソングも相当数吹込んでいた。ジャズの魅力を伝えている。(菊池清麿)2006/06/29
ポピュラーソングと昭和モダンの香り
1933年から35年にかけて、日本では洋画の主題歌や、外国のポピュラーソングにその曲のイメージにマッチした日本語の歌詞をつけて歌った曲がヒットした。(菊池清麿)2006/06/22
不動の魂・東海林太郎そのデビュー
昭和モダンの中で活躍する歌手、藤山一郎、松平晃らに割って入ってきたのが、東海林太郎。早稲田を出た後、満鉄に勤務した変わり種。が、歌手への道をあきらめきれず、挑戦を続け、1933年「赤城の子守唄」で大ヒットを飛ばした。東海林太郎時代の幕開けだった。(菊池清麿)2006/06/15
古賀メロディーのスランプ
《東京音頭》に完敗した古賀政男は藤山一郎無しの状態でスランプに陥る。だが、伊豆の伊東温泉で傷心を癒し、新たな決意に燃えていた。(菊池清麿)2006/06/08
「ええじゃないか」の昭和版・《東京音頭》の熱狂と狂乱
《東京音頭》は、神宮球場のヤクルトの応援風景でお馴染みである。ヤクルトファンは毎回傘を開いて盛り上がるのだ。最近ではロックにアレンジされて東京各地で若者の踊りも見られる。現代においてもその熱狂ぶりを伺える。(菊池清麿)2006/06/01
サーカスの唄・松平晃の登場
ビクター専属テナー藤山一郎の対抗馬として、ライバル会社のコロムビアは松平晃を売出した。古賀メロディーの《サーカスの唄》はヒット。新たな青春歌手の登場だった。(菊池清麿)2006/05/25
僕の青春・ビクター専属テナー藤山一郎
現代において、東京芸術大学出身のポピュラー音楽家は少なくない。だが、昭和の初期は考えられなかった。そのような時代、藤山一郎はクラシックの香りと気品・格調を大衆音楽にもたらした。(菊池清麿)2006/05/18
「忘られぬ花」−江口夜詩メロディー
1932(昭和7)年の晩秋、《忘られぬ花》というロマッチックな抒情歌謡がポリドールから発売され、ヒットした。(菊池清麿)2006/05/11
ビクターの新鋭作曲家・佐々木俊一
昭和7年、佐々木俊一はビクターの新たなヒットメイカーになり、同時に小唄勝太郎神話が出来上がった。ビクターは藤山一郎が歌謡界から去っているあいだに巻き返しを図ったのである。(菊池清麿)2006/05/04
坂田山心中の哀歌「天国に結ぶ恋」
昭和モダンの「翳」が目立ち始めた頃、《天国に結ぶ恋》は哀歌として世に広まった。(菊池清麿)2006/04/27
酒は涙か溜息か―藤山一郎音楽学校停学事件
古賀政男と藤山一郎の合作芸術・《酒は涙か溜息か》は一世を風靡。だが、レコードが売れすぎて、藤山は音楽学校を一ヶ月の停学処分。(菊池清麿)2006/04/20
ジャズの香り―無国籍歌謡の人生・宮川泰
ジャズやカンツォーネに影響を受け、ビートルズに触発された宮川泰は、いい意味で日本の音楽を無国籍化し、現在のJ・ポップにいたる大きな流れの源を築いた。(菊池清麿)2006/04/13
モダン都市東京の風景―昔恋しい銀座の柳〜東京行進曲
波乱にとんだ人生をおくり、朝のドラマ『いちばん星』のモデルとなった佐藤千夜子が歌った《東京行進曲》は、小説や映画とのタイアップも功を奏して、昭和のはじめに空前のヒット曲となった。(菊池清麿)2006/04/06
もの哀しいジャズのリズム―君恋し
《君恋し》は、レコード会社が流行歌を企画制作した最初のヒット曲としても意義のあるものであった。映画も製作された。(菊池清麿)2006/03/30
昭和流行歌の幕開け《波浮の港》
昭和流行歌の開幕を飾ったのは「波浮の港」。佐藤千夜子に続き、「われらのテナー」藤原義江も歌って、大ヒットとなった。藤原義江は欧州でオペラ修行を積み、豊かな声量と美声で世界的な人気歌手になった。後に歌謡曲から離れ、日本オペラの育成に努めた。(菊池清麿)2006/03/23
紅白歌合戦の創世記
第一回紅白歌合戦の白組トリは、藤山一郎だった。平和の願いをこめながら《長崎の鐘》を高唱し、白組を勝利に導いた。(菊池清麿)2006/03/16