ホテル・カリフォルニア
◆1976年発売。
アメリカンロックの金字塔。
ドン・ヘンリーのハスキーボイス。
むせび泣くツインギターの絶妙の掛け合い。
歴史的名盤。
イーグルスには、アメリカンロックの最高傑作と評判の「ホテル・カリフォルニア」(1976)という曲がある。誰でも知っているような大ヒット曲だ。
その名盤「ホテル・カリフォルニア」から今回の「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」(2007)に至る間に、アメリカという国家が、どのように変貌しただろう。
このふたつの曲の間で、31年間という歳月が過ぎ去ったことになる。
「ホテル・カリフォルニア」の時代(60年代後半から70年代半ばにかけての時代)、それはアメリカの希望の星だったケネディ大統領が介入したベトナムが、泥沼化の様相を呈し、混沌とした状況にあった。強いアメリカを志向する国家の意思に対し、武器を持たぬ若者たちは、長髪にギターを抱え、ロックやフォークソングに平和への願いを込めて、多くの曲を作った。
「ホテル・カリフォルニア」は、反戦の歌ではない。しかしどこか戦争のにおいが感じられる歌だ。アメリカの中にあって、温暖な地中海気候の西海岸にある「ホテル・カリフォルニア」は、オアシスのような夢の場所だ。
歌は、夜の砂漠のハイウェイを走っていると、
幽かなホテルの明かりを見つけるところから始まる。
それでも、男は、それが天国なのか、地獄なのか半信半疑で、
このように呟く。
This could be Heaven or this could be Hell
これは天国かも知れないが、地獄かもしれないぞ
それほど当時の若者の心は傷つき生きる目標を失っていたのである。この辺りの若者の心を良く捉えている映画に、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979)がある。ベトナム戦争の中の狂気を描いた大作で、名優マーロン・ブランド扮するカーツ大佐が激しい戦争の中で狂気となり、ベトナムの奥地で王国を築き上げ、これをCIAの命令で特殊工作員らが暗殺に向かうというストーリーだった。
ラストシーンでは、ベトナムのジャングルでナパーム弾が炸裂し、音が消えて、ドアーズの「ジ・エンド」という静かな曲が流れ渡るシーンは、未だに眼に焼き付いていて離れない。吐き気を催すような戦争の現実を見せつけられる強烈な映画だった。ベトナム戦争の現実の一端が、間違いなくそこにはあったと思う……。
まさに「これは天国かも知れないが、地獄かもしれないぞ」というフレーズは、疑い深くなったアメリカの当時の若者の心情を代弁する言葉だったのである。
ホテルに宿泊した若者も、もしかするとここは、天国のように見えるが地獄ではないかと思い始める。
20世紀初頭、アメリカはヨーロッパ人から「新世界」と呼ばれるようになった。そして文化の中心地は、フランスのパリからアメリカのニューヨークへと、いつの間にか遷都されてしまったかのような動きが起きる。
世界中の富者と知者と芸術家が、この国に集まり、砂漠の中には、オアシスならぬ「ホテル・カリフォルニア」を建てることが簡単にできた。ハリウッドは、砂漠の中にできた映画という人工世界を生み出すメッカだ。
しかし、アメリカに慢心という暗雲が忍び寄る。力への過信だ。ベトナムへの軍事介入は、アメリカという国家の限界を露呈させた事件だった。特に1968年2月、世界最強のアメリカ軍が、北ベトナム軍と解放戦線による「テト攻勢」で戦争の主導権を奪われたことは、アメリカ政府だけではなく、アメリカの国民に大いなるショックを与えた。
アメリカ国内でも、反戦活動が盛んになり、日本でも故小田実氏らがべ平連活動を行い、アメリカの力の政策を批判した。1968年以降、パリで始められたベトナム和平会談は、長い紆余曲折を経て、ついに1973年、合意され、死傷者のべ227万人のベトナム戦争はアメリカの敗北で終結となった。
アメリカは、軍事力という力に頼った外交の限界を嫌と言うほど味わわされた。それにもかかわらず、古くなった軍事力を一定期間で償却するごとく、ベトナム戦争終結後も湾岸戦争(1991)、今回のアフガニスタン侵攻(2001)・イラク戦争(2003)と、ほぼ10年毎に戦争を開始するという結果になっているのである。
イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」には、ベトナム戦争後のアメリカ社会の喪失感と期待と不安の入り交じったような複雑な思いが鏤められている。それが多くの人の心を打ったものと思われる。
「ホテル・カリフォルニア」の歌詞に、男が、ベル・キャプテンに「ワインを持ってきて」と頼むと、「1969年以降、そのサービスはなくなりました」と告げられるシーンがある。現実だろう。この頃、若者の間には、強い厭戦気分が蔓延していた。
「ヒッピー」と呼ばれる、世の中をドロップアウトして勝手気ままに生きる若者が現れたのも、この時代である。彼らは必ずしも反戦思想を持っている訳ではないが、ドラッグなどを常用し、言ってみれば従順でもないが、反抗的でもない若者たちを指す言葉だった。「イージーライダー」(1969)という映画は、このような若者の生態を、ロックの強烈なビートに乗せて撮った作品で、アメリカンニューシネマの代表作とも呼ばれる。
この頃のアメリカの若者たちは、日本の団塊の世代と同じ意味で、「ベビー・ブーマー」と呼ばれた。第2次大戦が終了した1940年代後半に生まれた世代である。イーグルスのメンバーは、丁度この世代に当たる。中心メンバーのドン・ヘンリーは1947年生まれ、グレン・フライは1948年の生まれだ。
さて「ホテル・カリフォルニア」という歌が佳境となる。
天国と思われた場所が突然一変する。
ここからは、ベッドに入って見た夢のエピソードだ。
「Bring your alibis」(アリバイを持ってきてください)と声がする。
それは鏡の部屋の中にピンクのシャンパンを前にした女性の声だった。
彼女は、「私たちは皆ここの囚人なのですよ」と囁く。
やがて会食が始まると、目の前には、
次々と生きた獣がテーブルに現れ、
皆この獣にナイフを刺すことをためらうのだ。
たまらず、男はドアを探して逃げだそうとする。
でも、慌てて逃げたためかドアが見あたらないのだ。
すると、後ろから「落ちついて」と夜警の男が呼び止める。
そしてこのように言うのだ。
「私たちはあなた方を収容するようにプログラムされているのです。
だからあなた自身は好きな時にチェックアウトできますが、
けっしてここを離れることはできませんよ」
夢とは言え、強烈な強迫観念が、この歌には潜在していることになる。美しいと思って停泊した「ホテル・カリフォルニア」が実は収容所だったというのは、どこに行っても、逃げ切れないというベビー・ブーマー世代の当時の追い詰められた心が、この歌の中心に存在することになる。
同時に、この「ホテル・カリフォルニア」という言葉に象徴されているものは、アメリカそのものだということだ。
ハリウッドやラスベガス、ディズニーランドなど、アメリカの富は、人工的ながら、人間の一時的な目線を釘付けにするところがある。例えばあの中国の文豪魯迅(1881−1936)が、ウォルト・ディズニー(1901−1966)の制作したアニメーション映画のファンだったというのは有名な話だ。
映画ひとつをとっても、一度アメリカが制作を始めると、巨大な産業となって、圧倒的な物量と新技術を駆使し、世界中を席巻し、世界中の富をかき集めるマシーンと化してしまうのである。最近の流行り言葉に「グローバリゼーション」がある。今や世界の映画市場は、アメリカ映画に市場を占有され、それ以外の国の映画はほとんど窒息してしまいそうだ。まさに「グローバリゼーション」は「世界のアメリカ化」と言っても大げさではない。
だが冷静に考えてみれば、ハリウッド映画に登場する建築物はハリボテで、見かけの美しさはあるが、その本質は虚像であって、残念ながらホンモノではない。娯楽の都市ラスベガスでの饗宴ぶりは、一見旧約聖書の「ソドムとゴモラ」を思わせる熱狂ぶりだ。これを現代文明の象徴として考えれば、人間がエデンの園から追放され、荒涼とした砂漠を旅した旧約聖書の頃とさほど変わらないということにもなる……。
結 語 ベビー・ブーマー世代から未来へ
「ホテル・カリフォルニア」のテーマは、アメリカが自信を喪失した時代、若者たち(ベビー・ブーマー)の自国アメリカへの不信感を歌った歌であったと言えるだろう。
それに対し、「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」は、ベビー・ブーマーたちが、年齢を重ね、自身が社会の第一線を退く立場となった今、自分が関わってきたアメリカ社会というものに、責任の一端を感じ、ローマ帝国を築いた「シーザーの亡霊」というフレーズに象徴されるように、知の使い方を考えるようにと諭していると考えられる。
そのメッセージ性が、(アメリカに対し)力に頼る「帝国への道」を捨てて、「噛まれたリンゴ」の「カミ痕を見なさい」というフレーズによく表れている。また「世界中の知恵も愚者には使えない」というのはアメリカの政治的リーダーたちへの強烈な皮肉(アイロニー)だ。
アメリカ人というより地球上に生きるすべての人間にとって、「エデンの園からの長い道」というテーマは、真の知を掴むための人類史そのものだったのである。
”今こそ私たちは、エデン追放の時に、神によって与えられた「知」という宝物を見つめ直し、未来へ向かって、それを行使すべきではないか!?”
私には、イーグルスの最新アルバムが、そんな声として深く心に響いてくるのである。
まさにこのアルバムは、ベビー・ブーマー世代が、アメリカの若者へ向けた「魂の叫び」ではないだろうか。もちろん同時に、全世界の未来を担う若者へのメッセージなのは言うまでもない。 (了)