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2007年も、新暦ではあと数日で終わろうとしている。今年の干支である「猪」と来年の干支である「鼠」との干支動物の「引き継ぎ式」が私の住む大阪では例年のように「通天閣」の展望台で行われた。 「干支」などは、多くのアジア諸国でも親しまれているものなのだが、「農暦」を重んじる私からすれば、日本だけに少し他の国と解釈に誤り(あるいは異同)があり、それは近現代により顕著なので、この場を借りて少し解説的に紹介してみたい。 紀元前(西暦)1600年頃・殷の時代から中国では天干(十干)と地支(十二支)とを組み合わせて60日周期で日を数えていた。後に、月や年もそれらを組み合わせた暦を使うようになった。それが、いわゆる「農暦」(中国暦)である(nong li・太陰太陽暦の一つ)。 太陰太陽暦の一つ・中国暦は「万葉の昔」(6世紀頃)に日本にも伝わり(当時の元嘉暦)、1500年あまりもの長い間「和暦」となって、幾度かの改定を経ながらも、日本の人民大衆にも親しみを持って使用されていた。 しかし日本では、明治5年12月2日(西暦1872年12月31日)当時の宰相・大久保利通らによって、旧暦(当時は天保暦)は迷信的であるとして廃止された。 もう少し詳しく書くと、明治5年12月2日は西暦1872年12月31日であった。明治政府はその翌日を明治6年1月1日として、以後、太陽暦(グレゴリオ暦)を公式採用した。つまり、明治5年は12月2日までしかなく、28日早く「大晦日」をむかえたわけである。このことは当時の「日本政府」が「西洋文明」にたより、日本の「近代化」を図ることを目論んでいたためであろう。 彼らは西洋文化を盲信するあまり、長い伝統と歴史がある太陰太陽暦の使用を禁止し「旧暦」として片隅に追いやり、今日に至っている。現在まで、日本ではもともとキリスト教の暦である「西暦」に無理やり「農暦」(中国暦)の基本となる天干地支(十干十二支)を結びつけて使用している。本来「農暦」の1月1日から天干地支が変わる。 だが、日本では西暦の1月1日から、つまり約1月も早く、その年の地支を使い始め、「年賀状」にもその絵柄を描いたりする。また「四柱推命」などの「占い」にも西暦による「誕生日」を使用したりするので、3600年以上もの伝統があるとされる「農暦」によるものと整合性はない。 下記に参考として天干地支について簡単に紹介する。天干=十干とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸である。また、この十干は陰陽五行説の「木・火・土・金・水」と結び付けて、それを「陽と陰」と言う様に分けている。 陽 陰 「木」 甲 乙 「火」 丙 丁 「土」 戊 己 「金」 庚 辛 「水」 壬 癸 地支=十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥である。 十二支もまた、陽と陰に分けられている。 陽支・・・子、寅、辰、午、申、戌 陰支・・・丑、卯、巳、未、酉、亥 それぞれ、陽支には陽干、陰支には陰干が付くことになっているので、5×12=60通り となるわけである。これが一巡して「還暦」となる。 中国では十二支については後漢の光武帝の時代(西暦25〜57在位)に王充が著わした「論衡」という書物の中に記述されている。このような昔から、「時刻」あるいは「年」を数えるときに上記の十二支に子鼠・丑牛・寅虎・卯兎・辰龍・巳蛇・午馬・未羊・申猴・酉鶏・戌狗・亥猪と動物をあてたのである。 ただし、日本ではこの暦が中国から伝来した5世紀ころ家畜として「ブタ」を飼う習慣がなかったので、この「猪」という動物を当時日本にも生息していたブタの原種である「INOSISI」(中国語では野猪=ye zhuという)と誤訳してしまったのである。 ただ現代中国でも、若い人たちは自分の干支をすぐ答えられる人は少ない。 「鼠」年への干支の変更は本来、2008年の2月7日の「農暦」の元旦から行われるのがこの歴史ある文化の「正しい」ものとなる。生まれ年などで占いを行うのは当然この「農暦」によって計算された生年月日によらないと、4000年の歴史がある「四柱推命」も整合性のないものとなる。 こうした歴史的文化に対しての解釈・理解がまさに「日本流」なのかもしれない……。 |