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20年の悲願、インドに平和祈念の仏舎利塔

福田徳郎2008/01/01
インドの首都デリーで日本山妙法寺の世界平和仏舎利塔の落慶式典があった。この塔は日本山妙法寺山主だった藤井日達師が発願した。その弟子の尼僧・堀内克子さんの20年間にわたる修行がインドの人たちの心を動かした。
インド 宗教 NA_テーマ2
 昨年11月14日、インドの首都デリーで日本山妙法寺の世界平和仏舎利塔の落慶式典があった。その日はちょうど、インド独立運動の指導者で仏舎利塔ゆかりの故ジャワハルラール・ネルー初代首相の誕生日だった。インド・ラプラスタ公園の一角に仏塔が聳える会場には来賓のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマをはじめ各国外交官、デリー州首相、各州総督など政府関係者ら千人が参列した。

20年の悲願、インドに平和祈念の仏舎利塔 | インド在住21年の堀内克子さん。(写真はいずれも大麻豊氏提供)
インド在住21年の堀内克子さん。(写真はいずれも大麻豊氏提供)
 式は日本の仏僧によって執り行われ、高さ31mの塔頂から五色の散華が降りそそぎ、塔内の仏像が除幕された。ダライ・ラマは祝辞で「お釈迦さまの人類への慈悲と奉仕は世界中の人々にとって最も必要な教えで、このデリーの地に平和仏塔が建ったことを喜び、一緒に祈ります」と語った。

 仏舎利塔とは仏教を広めた釈迦の遺骨(仏舎利)の一部を納めたストゥパと呼ばれる塔。紀元前5世紀にインドで初めて建てられたからインドが発祥の地なのだ。日本の寺の五重塔などはその形態を受け継いだものとされる。

 デリー平和仏塔建立の願いは、インド国内に多くの平和塔を建立してきた日本山妙法寺山主だった藤井日達師(1885−1985)の生前最後の願いだった。

 日達師は1933年にインドに渡り、故マハートマ・ガンディーと会見した。英国の植民地だったインド独立を願うガンディーと意見が合致し、彼の運動を祈念した。ガンディーはその後、毎朝の長い祈りの最後に「南無妙法蓮華経」と唱えるのを日課としたという。

 1979年、日達師は「ネルー国際理解賞」を受賞、それを機にデリーのガンディー廟近くに非暴力のシンボルとして平和塔の建立を要望した。が、インド政府は「国家的聖域に当たる」として一仏教僧の提案が受け入れられることはきわめて難しかった。

 日達師の多くの弟子の1人に堀内克子さん(69)という尼僧がいる。インドに留学してヒンディ語を学び、長年にわたって師に付き添っていた。師の没後、願いを叶えたいとインドに渡る。86年に平和仏塔建立を誓願し、デリー市内のガンディーゆかりの修行宿からヤムナー川畔のガンディー廟との間の往復2kmを毎暁、うちわ太鼓を打って歩き、大塔建立の祈念を続けた。20年間1日も休まず、暁暗のデリー市内に小さな太鼓の音が響き続けていた。

20年の悲願、インドに平和祈念の仏舎利塔 | <center>デリー大塔の落慶式</center>
デリー大塔の落慶式
 これを見守っていたインドの人々の心が20年目に動き出し、克子尼にインド国籍が贈られた。04年、時の副首相でヒンドゥ至上主義の党首L.K.アドヴァニ氏の全面的な協力で塔を建てる土地が無償で貸与された。塔の建設費として蓄えた克子尼の貯金は、基礎工事だけですべて消えた。工事中断寸前、思いがけない善意の浄財が日本からいくつか加わって救われた。

 今後、塔のまわりには日本庭園が併設される計画だ。平和仏舎利塔の西方には大統領官邸や国会議事堂がそびえている。克子さんはガンディー廟に毎朝の祈りを続けるとともに、平和仏塔から非暴力の祈りが広がることを願っている。

20年の悲願、インドに平和祈念の仏舎利塔 | <center>祝辞を述べるダライ・ラマ</center>
祝辞を述べるダライ・ラマ

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