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文化

中村桂子さんの話を聞く〜水俣フォーラム

渡辺容子2008/01/07
12月14日午後7時から、水俣フォーラム主催で中村桂子さんの講演会が開かれました。テーマは「生きもの感覚の蘇生―生命誌と水俣から―」です。
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 12月14日午後7時から、水俣フォーラム主催で中村桂子さんの講演会(東京・青山)が開かれました。テーマは「生きもの感覚の蘇生―生命誌と水俣から―」です。中村桂子さんは生命誌研究者で、現在はJT生命誌研究館館長です。以下、講演内容の要約です。

中村桂子さんの話を聞く〜水俣フォーラム | <center>生命誌絵巻(生命誌研究館)</center>
生命誌絵巻(生命誌研究館)
●「猫も人間もうれしいものがある方がいい」
 水俣については今年の1月に緒方正人さん(注)から「同じことを考えている」とお誘いを受けて、初めて訪れました。本当にきれいな所でした。前に海、後に山があり、子どもの頃から心の中にある風景がありました。そういう美しい所で水俣病が起きたということは逆にいろんな意味を持っているのだろうと思います。緒方さんとお話した中で、最も印象的だったのは、「お金をここに置いても猫は喜ばない。おいしい魚を置けば猫は喜ぶし、人間もうれしい。猫も人間もうれしいものがある方がいい」という言葉で、私もそう思います。いろいろな体験を経てこの言葉があるのだと思います。

※注 おがたまさとさん。
 1952年熊本県芦北町女島に生まれる。漁師。水俣病認定申請者協議会の運動に関わる。1985年、自らの認定申請を取り下げ、未認定患者運動とは一線を画した、チッソ前座り込みや1万人コンサートへの抗議を実施。1996年不知火海の打瀬船で東京まで航海、2004年には、石牟礼道子氏の新作能「不知火」を水俣湾埋立地で公演。おもな関連記事:水俣病が問い続けるもの(下)その教訓は、はたして活かされたのだろうか (編集部)

 私は生きものの研究を50年間続けてきました。結果同じことを考えることになったのです。

●生きもののもつ魅力
 今の緒方さんの言葉とつながることで、このひと月の間に体験したことをお話しします。

 この国は自然が豊かで美しく、自然と接することは基本でした。六本木ヒルズが象徴する東京のありようは、この国の美しさを生かす暮らし方ではありません。日経新聞に「領空侵犯」というコラムがあります。小学校の授業に英語を取り込もうという話題が盛んだった頃に、英語も決して悪くないが、もし小学校で必修にするなら農業がいいと書きました。このグローバル社会でそんなことを言ったら無視されるだろうと思いましたが、意外に反応があって、喜多方市長が「やろうと思う」とおっしゃり、喜多方市の小学校で4月から田んぼを作り、野菜を作りました。1年生から6年生まで、農家のお年寄りに学校に来て教えてもらい、6年生が下級生を指導しながらやっています。お米も取れ、野菜も取れて、自分たちで食べて報告してくれました。秋に訪れました。

 失敗もありました。トウモロコシがうまく実らなかったのです。これはとても大事なことです。コンピュータは押せば動く、誰がやっても同じで、失敗しても機械が悪いと言っていればいいけれど、トウモロコシはおまえが悪いと言っても通用しません。生きものは思い通りにならないということが大事なことです。失敗から大きな学びがあるのです。先生によれば、今のことだけでなく、先のことを長い目でみることができるようになったということでした。

 6年生の活躍もすごいし、能力を引っ張り出したのはお年寄りで、先輩の知恵もありますが、相手が生きものだったということがよかったのです。生きものは複雑でほとんどわかっていません。学問としては進みましたが、わからないこともすごく増えました。「わからない」と言っても全然わからないんじゃなくて、「ここまではこうだけどこの先どう?」というところが生きものの持つ魅力です。6年生の言っていることややっていることを見ると、私と同じだなと思います。生きものを見ると同じものが見えてくるのです。

●コウノトリの里
 もうひとつの体験はコウノトリの里の豊岡です。豊岡ではコウノトリを呼び戻そうと長い間努力してきました。コウノトリは肉食で田んぼのドジョウやフナを食べるので、田んぼの中に生きものを呼び戻さなければ、コウノトリは戻らないのです。豊岡では「育む農業」といって生きものが育まれる農業をやっています。その中に小学校が仲間入りして田んぼを持っています。

 なぜドジョウやフナがいなくなったかと言えば、一つは農薬のせいですが、もう一つは水路をコンクリートにして田んぼと分けたせいです。それで水路の魚が田んぼにあがれなくなりました。木で階段を作って魚道にすれば魚は登っていくのです。子どもたちがみんなで作っています。豊岡の子どもたちはお米がとれたので何かに生かさなければもったいないということで、市長のところにいって、「給食に使ってほしい」と言いました。市長はお米を買い上げて月に2回給食に使ってくれました。

 子どもたちは次にコンビニに行って「おにぎりに使って」と言いました。これは「安定供給できるか?」と聞かれてあきらめたそうです。お米がとれてマーケティングまでやったわけです。英語と一緒に小学生に株を教えるとも言われていましたが、これは立ち消えになったのでしょうか。豊岡の子どもたちは汗水たらして作ったお米の有効な使い方を自分たちで考えて行動したのです。これは経済行為です。6年生というのはそれだけの能力を持っているのです。

●6年生はすごい
 私は6年生の国語の教科書に「生きものはつながりの中に」という文章を書いています。生きものは祖先からずっとつながっているんだ、バクテリアも同じなんだということで、生態学、遺伝学、進化……さまざまな生物学の考えをもとに書いています。このことは中学校の理科では学習指導要領に抵触するので教えられませんが、小学校の国語なら書けてしまう。抜け駆けするのは国語だと思って書いています。私はこれを書くことで子どもたちとつながっています。

 子どもたちから手紙が800通くらい来ました。とってもよくわかってくれているとわかるので返事を書きます。「ぼくはずっと生きていることの意味を考えつづけています。しかしまだ答えが出ません。先生はどうですか?」などという手紙が来ます。すごいですね。「わかりません。ずっと考えているけれどまだわかりません」と正直に書きます。

 私が「6年生はすごいな」という体験ができたのは、そういうことを考えさせる環境があったからだと思います。高層ビルやマンションで育った子どもにその能力が生まれるかといえば、生まれないと言っていいと思います。高層ビルは子どもを育てるところではないと思います。それでは、と夏休みに山や川に連れて行ってというようなことではないのです。日常の中でなければならないのです。農業は生活で遊びではありません。「生きる」ということは「暮らす」ことです。

 以前、子どもたちはさまざまな形で暮らすことに関わらざるを得なかった。ここまで豊かになってもう一度考えると、人間は生きものであることをやめることはできないし、生きものであることはすばらしいから捨てたくないと思います。みんなが生きものとして生き、次の世代もそう育っていくことを望みます。「今の子どもは……」といろいろ言われるけれど、それは子どものせいではありません。

●「生命科学」という言葉
 次に私と学問について話します。1970年に恩師である江上不二夫先生が「生命科学」という言葉を作りました。日本ではこの時に江上先生が作った言葉です。なぜ1970年にこの言葉が生まれたのか? 先生は3つのことをおっしゃいました。

 一つは生物学とは微生物、動物、植物と多様だが、一方では生命を持っているという普遍性(共通性)があるということです。生きものはみんな細胞でできていること、DNAを持っていて例外はないことが当時はっきりわかってきました。それまで微生物、動物、植物等の専門に分かれていましたが、生きもの全部を対象とする「生命科学」が必要だということでした。

 二つ目は生物学では研究の対象にならない人間を考えることです。人間も細胞からできています。「生命」という概念で人間も生きものとして考えるという考え方はそれまでにないものでした。

 三つ目は社会的なこと、「科学技術の問題も生命科学で考えましょう」ということで、「きみもこういうことを考えなさい」と言われました。当時は意味がわかりませんでした。科学については考えるけれど、生命について考えるのは哲学、宗教だと思っていました。今思えば江上先生にはすごい先見の明があったと思います。

 三つ目で最初に考えたのが水俣でした。水俣病はなぜ起きたか? 有機水銀は海に流せば薄められて問題ないと物理学では考えましたが、プランクトン、魚と濃縮し、最後は人間に戻りました。当時、普通の科学者はそういうことを考えていませんでした。生物学で考えたら海の中に生きものがいれば、濃縮されるとわかったはずです。物理学に比べ、生物学は遅れていて、生物学で考える習慣は全くありませんでした。技術のことも生物学で考える社会を作らなければと言われて、その時から水俣は私の中に存在するのですが、直接研究はやっていません。考えさせるテーマとしてありました。

●「終末時計」
 アメリカ核物理学の学術専門誌の毎年1月号の表紙に「終末時計」が載っています。1950年代からです。科学は人間の幸せのためだけではなく、とんでもないこともやるという自覚からです。基本は原爆です。

 一番終末に近づいたのは1953年の米ソ水爆実験のあった年です。一触即発の感じもあってそうなりました。一番終末から遠ざかったのは1991年の冷戦終結の年です。89年にベルリンの壁の崩壊がありました。あの時の歓喜の歌は忘れられません。これから世界はすばらしくなるぞと思いました。こんな社会になるとは思いませんでした。以後、時計の針は終末の方に戻っています。2007年は1953年に一番近いところに来ています。2007年の解説には核の問題、イラクの問題と共に、地球環境問題が初めて入っています。わかるような気がします。次号では針をどこにおくのでしょうか?

●逆の点線
 私はアメリカの大統領でもないし、どうにもできずつらいのですが、子どもたちと一緒に考えたことが本当の幸せだと思います。核を持ち、エネルギーを使って暮らすより、生きものとして生きることが幸せだと思うので、そこから考えています。生きていることと技術や経済はからみあっていますが、経済優先でそのための技術という人がほとんどでしょう。しかし草の根には逆の点線もあるのです。命を一番の基本にして、そのために技術があると考えます。農業にも技術は必要です。生きるために技術を使い、その結果経済が出てくる。社会全体がこちら向きになるといいと思います。

 そうならなければ終末時計の針は戻りません。価値観を変えるより仕方ないと思います。「お金は大事」ですが、使えないほどあっても仕方ないのです。便利さは今、誰もが求めているものです。この国は科学技術基本法、科学技術基本計画によって、科学技術で生きていく国と宣言しています。科学技術は利便性をもたらすからよいこととされています。便利ってなんでしょう? 早くできる、手が抜ける、思い通りにできることです。薪を集めて、火をおこしてご飯を炊くなどはできません。スイッチを押せばご飯ができるのは悪くないです。でも問題は生きものには合わないということです。赤ちゃんがさっさと歩くのは無理。1歳は1歳として、2歳は2歳として意味があるのであって、機械は途中を抜いてもかまわないけれど、生きものは途中に意味があるのです。毎日3度ご飯を食べたり、悩んだり、くだらないといえばくだらないけれど、これが生きているということです。

 自動車を作る場合はよその会社よりも早くたくさん作る。自動車を作るのは設計図と部品によってです。「お米を作る」と言いますが、それはイネを育てる、イネが育つのを助けるということです。イネは設計図と部品では作れません。自動車より生産性は低いです。この国は自動車を作る=工業を選び、イネを育てる=農業を捨てました。自給率が40%となり、さあ大変だ、45%にしなければと言っていましたが、39%に下がってしまいました。先進国で自給率がこんなに低い国はありません。この国は先進国ではないと思います。この国の自然を見れば、その気になれば自分たちの食べるものを作ることができるのになぜでしょう? 経済優先だからです。もし命を先に考えれば自給率を上げることができます。

 もうひとつ先進国でない理由は、一極集中です。これは開発途上国に起こる現象です。高層ビルは人間には合いません。考えるための計算ですが、1億2000万人を47都道府県に均等に配分すると1県250万人になります。すべての機能がそろって暮らしやすい都市の規模は50万〜60万が最適なので、それを中心にした暮らしが考えられます。私の職場は関西にありますが、東京にいるのとは違うことを考えます。多様性です。地方分散は豊かさの基本だと思います。

●つづいていくこと
 最近では子どもも「つくる」と言いますが、子どもは「生まれる」ものです。以前は「恵まれる」と言っていました。子どもは生きものなので、面倒くさく、時間がかかり、思い通りにならないものです。一方では思いがけないことがあるということで、それが生きものをみる楽しみでもあります。生きものを基本にするとはそういうことです。

 生きものは何を大事にしているのでしょうか? つづいていくことです。「私がよければいいじゃない」ではありません。そうやって38億年つづいてきました。地球環境問題は便利さのために生きものがつづかなくしているということです。北極の砕氷船のDVDを見ました。映っている絵は全部海で氷はプカプカ浮いているだけで、なぜ砕氷船が必要なのかというものでした。小さな氷の上にクマの親子がいました。あのクマたちはつづくことができるのでしょうか? 映画「北極のナヌー」も見ました。クマは危ういところに置かれています。今までつづいてきたクマたちが人間の勝手のためにつづいていけないとしたら、悲しいです。「それでも別にいいんじゃない」という人の方が多いのではないかと気になります。

 生きものと機械は持っているものが違うので、機械を先にすると生きものは生きられません。生きものを先に持ってきませんか? 今の経済の中では答えは「NO」になってしまいます。私たちは経済のために生きているのでしょうか? 経済は生きるためにあるのに、逆になっています。これを解決しない限り、地球環境問題は解決しません。機械は「進歩」しますが、生きものは「進化」します。アリもいるしゾウもいるけど、どちらが上ということはありません。アリはアリでゾウはゾウです。

●私たちの中にある38億年の歴史
 生きものは細胞でできていて、DNAを持っています。生きものの祖先は一つで、38億年前に海で生まれたと考えられています。それが38億年かけてさまざまな生きものに展開してきました。すべての生きものは38億年の歴史を持っているのです。このことはDNAを調べればわかります。もちろん皆さんも38億年の歴史を持っています。バクテリアもアリもヒマワリもイモリもキノコもみんなそうです。みんな38億年を抱えながら一緒に暮らしている仲間なのです。その生きものが暮らしにくいなら、私たちも暮らしにくいのです。人間だけが外にいると考えており、「使ってやろう」と考えているけれど、これは間違っています。人間も中にいるのです。38億年の歴史はちょっとやそっとで変えるわけにはいかないので、それをわかってどう生きましょうかと申し上げているのです。

 人間だけ科学技術を持っていますが、人間も自然の中にいる「ヒト」です。人間は自然を壊し、いまや地球環境問題まで来ています。典型は水俣病です。私たちの中にも自然があります。内なる自然です。私たちはそれも壊しています。身体的にはアレルギーなどに現れており、心の問題としては時間や関係に現れています。私は心も壊れているんじゃないかなと思います。「忙しい」は心が壊れるということです。のんびり育った子の中にすごい子どもがいるのです。ミヒャエル・エンデの「モモ」はみんなの言うことを聞いてくれる女の子ですが、時間銀行に時間を貯蓄するようになってから、忙しくなって関係が壊れました。

 地球環境問題と心、体の問題は同じです。両方を一緒に考えなければ答えは出ません。まじめに考えれば答えは出るのに……。子どもには時間と関係を与えておかなければならないと言うのは当り前のことです。フィンランドはちゃんとやっています。点数をよくするにはせっせせっせと勉強するのではなく、ゆとりがあればよくなるのだと信じてあげればいいのにと思います。あっちこっちクルクル回らされている子どもたちはかわいそうです。

●「虫愛ずる姫君」
 最後に「虫愛ずる姫君」のお話をして終わります。「愛ずる」はたった一語で生きる基本を表わす言葉です。この姫君は眉を剃る習慣のあった時代に眉を剃らずゲジゲジ眉で、お歯黒もせず白い歯で、髪の毛が邪魔だから耳にかけているようなナチュラリストです。この姫は変わり者で病気かもしれないと言われますが、そうではありません。毛虫はチョウチョになったらはかないのであって、本当の生きる姿(本質)は毛虫の方にある、そう思ってみたらこの虫はすばらしい、そう言っている姫です。物事をよーく見つめ、時間をかけて大事にした時に生まれる愛があります。この愛は「love」ではありません。もっと深い愛です。「生きている」を見つめることによってどうやって生きたらいいのかはおのずと見えてくるということを教えてくれるのです。

※当記事の内容は、中村桂子さんに確認していただきました。(筆者)

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[32045] 子どもはコントロールできないいきものです。
名前:渡辺容子
日時:2008/01/09 21:18
山口さん、ありがとうございます。

「生きものは思い通りにならないということが大事なことです」
それなのに、現在の日本の親、社会は子どもをコントロール(支配・管理)し、それをさらに強化するばかりです。だからほとんどの子どもたちはストレスでいっぱいです。子どもたちは本来の力を埋もれさせ、表面的なことだけに右往左往させられ、課題をこなすだけで精いっぱいです。いいえ、それすらできない子どもがたくさんいます。なぜ大人はこのことをわからないのでしょうか? 子どもを解放&開放してやらなければ、この国に未来はありません。
(子どもたちと30年近く接していた者より)
[32001] 素敵な記事です
名前:山口一男
日時:2008/01/08 05:38
渡辺さん
  とても素敵な記事ですね。ありがとう。中村さんの思想の広がりがよく伝えられています。心に残ることばが多くあります。
  「生き物は思いどおりにならないということが大事なことです」。
  そうですね。他者や自然を利用しようとする人が増えていますが、本当に計らねばならないのは共生です。他者も自然も自分の思い通りにならないという認識に欠けたひとが増えると、その社会は崩壊してくると思います。
  「命を一番の基本にして、そのために技術があると考えます。農業にも技術は必要です。生きるために技術を使い、その結果経済が出てくる。社会全体がそちらむきになればよいと思います」
  命が最優先、そのことを忘れて科学・技術が進んで行くことの危惧。経済学者のアマルティア・センも人的成長(Human Development)のために経済発展があるので、経済発展のために人的開発があるべきではないといっています。何が基本で優先か、それはまず命であり生き物の成長であるというのは、大切な思想であると思います。
  「最近はこどもを『つくる』と言いますが、こどもは『生まれる』ものです。子どもは生きものなので、面倒くさく、時間がかかり。思い通りにならないものです。一方では思いがけないことがあるということで、それ生き物をみる楽しみでもあります。生き物を基本にするということとはそういうことです」
  産児制限ができるようになったことは良いことですが、そのせいで子供を「つくる」と言う発想が、妊娠・出産だけでなく、育児にまで波及していることが問題です。でも実際は思い通りにならない、だから面倒で負担だ。仕事との両立の難しいわが国の雇用・職場のあり方や男女の家事・育児参加の不平等、が原因の一端であるとしても、そういった「思い通りにならない育児は面倒で負担だ」と感じる人が増えたことが少子化のもう一つの大きな原因かも知れません。意外性、発見、学習、成長そういったポジティブな面の喜びが、生き物との関係にはついてくるのですが、思い通りになることや予測可能なことのみを重視する人が増えているのかもしれません。それは社会的には成長も止まることなのですが。

  
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