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ノーベル賞に最も近い物理学者が闘った生と死のドラマ

中村孔治2008/07/15
「ノーベル賞に最も近い男」と言われた物理学者の戸塚洋二氏ががんで亡くなった。やはりがんを病むジャーナリスト立花隆氏との対談を雑誌で読み、戸塚氏が非常に冷静に自己の死を受け止め、実験物理学者としての方法論を、自身のがんに見事に適用していることに感銘を受けた。ご冥福をお祈りしたい。
日本 宇宙 NA_テーマ2
 『文芸春秋』8月号を7月12日、購入した。この時、すでに、戸塚洋二氏が2日前の10日に亡くなっていたとは知らず、【ノーベル賞に最も近い物理学者が闘う生と死のドラマ・がん宣告「余命十九カ月」の記録・戸塚洋二&立花隆(136〜150ページ)】を先ず一気に読んだ。

 周知のように、立花氏も既にがんを病んでおり、膀胱がん手術の体験記「僕はがんを手術した」(『文芸春秋』08年4〜7月号)を書いている。この記事を読んだ戸塚氏がご自身のすさまじい闘病記録をメールに添付して送った。その内容は立花氏が全く驚き入ってしまう程のものであったという。

 8月号巻末の「編集だより」には、本記事に対して5行ほどのコメントがあるのみで、この対談がいつ行われたか分からない。対談で「余命19ヶ月と宣告されたが、25ヶ月生きてきた」と述べておられるので、文春7月号の発行直後、多分、6月の今時分ではないかと思う。戸塚氏は対談で、「あと5ヶ月生きたいと、馬鹿な事を考えている」と言っておられた。

 この対談で私が非常に感銘を受けた点は、戸塚氏が非常に冷静に自己の死を受け止めておられる事と、自然科学者、特に実験物理学者としての諸方法論を、自身のがんの進行の諸状況の記述・解析等に見事に適用している事であった。さらに、悟りとは、「いかなる時でも平気で生きる」で「平気で死ぬ」より凄い事だ、と言うのである。私は、16歳も私より若い戸塚洋二氏に種々の貴重なものを残して戴き感謝すると共に、ご冥福をお祈りしたい。

 以下、極めて簡単に戸塚氏の略歴等を記す。

 65年東京大理学部卒。大学院博士課程を修了し、助手、助教授を経て87年教授。岐阜県飛騨市神岡の鉱山の地下約1,000mに建設したニュートリノ観測装置カミオカンデで、小柴昌俊東大特別栄誉教授とともに実験に取り組んだ。

 96年に始まった後継機のスーパーカミオカンデによる実験を指揮。宇宙から飛来する宇宙線が地球の大気にぶつかって発生する「大気ニュートリノ」の観測から、ニュートリノが飛行中に別の種類に変わるニュートリノ振動という現象を発見。ニュートリノに質量があることを突き止め、素粒子の標準理論に修正を迫る歴史的な成果となった。

 00年10月、11月中旬、最初の手術を受けた。翌01年11月、スーパーカミオカンデで大規模な破損事故が発生した。体調が悪化する中、事故原因の究明や観測再開に向けて精力的に指揮を執った。

 戸塚氏は7年前に大腸がんを発症、週1回の抗がん剤投与を受けながらセンター長を務める日本学術振興会学術システム研究センター(東京都千代田区)に通勤していた。再発と左肺への転移に続き、右肺にも腫瘍(しゅよう)が見付かり、3年間務めた高エネルギー加速器研究機構長を退職。抗がん剤による本格的な化学療法を開始していた。やむなく一線は退いたが、ニュートリノ研究への情熱は最後まで衰えなかった。

 謎の素粒子ニュートリノに質量があるとの研究成果は、クリントン米大統領(当時)が「根源的な理論を変える」と讃えた。また、宇宙に広く分布する暗黒物質の正体を考える上でも注目を集めた。

 小さいときは成績が悪く、人付き合いも苦手だったが、恩師の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授(81)なる名馬喰に見出された。小柴氏は「戸塚君は大学院入試の筆記試験は合格点に達しなかった。しかし、研究者に必要なのは既存の知識ではなく意欲だ」等と採用した当時を振りかえったという。

 小柴氏のノーベル物理学賞に繋がり、また戸塚氏が施設長を務めた、思い出の東京大宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設の現在の施設長は鈴木洋一郎氏。「スーパーカミオカンデの成果は、戸塚さんの強いリーダーシップがあってこそ生まれた。研究への姿勢は非常に厳しく、いいかげんな実験解析など絶対に許さない人。いい意味で怖い先輩だった」と言う。

 また1人、極めて優秀な、しかもかなり若く有為の人材が逝った。重ねて心よりご冥福をお祈りする。

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[35870] 戸塚さんを見出した、名伯楽・小柴氏に付いて。
名前:中村孔治
日時:2008/07/20 13:47
先日、幾つかの事項に関し、何れ日を改めて書きたいと述べました。


そこで、小柴氏面目躍如の受賞時、受賞者一同の談話会でのご発言等々に付いて以下【】内に書かせて戴きます。この年田中氏もノーベル賞化学部門受賞されました。


【 2002年12月のノーベル賞物理部門・受賞後、現地で、小柴昌俊氏<当時76歳>と化学部門田中耕一氏<当時43歳>が、他の受賞者達5〜6名と同じテーブルに着き談話をされた。


その実況が、一時間程の番組としてTV放映流され、私は録画してある。その中に、非常に示唆に富んだ内容があり、将に戸塚洋二氏の名伯楽である小柴氏の真骨頂の現れた発言であると思うので、極簡単に触れたい。


発言の順番は、アメリカ人等が口火を切って、研究における苦心や勘所を、一人3〜4分程度、スピーチをした後、場合によっては出席者が、質問を行ったり、簡単にコメントをした。


小柴氏に順番が廻ってきた。氏の英語はかなり滑らかであって、母国語でより、雄弁と思った。彼の実験科学の仕事に対する謂わば哲学がにじんでいたと思う。また、その発言は全体的に非常に謙虚であって、次の「」内のような発言―「ノーベル賞を得て嬉しい。しかし、幸運にも我々が発見した内容は、早晩他の人によって、必ず見出されていたのでもあろう」も含まれていた。


これに対して、物理か化学部門の受賞者である、利巧そうな、鼻筋の通った、また大柄で、非常に権威のありそうな一人の学者が、皮肉を籠めて発言した。


その内容を要約すると―「確かに、画期的・新発見研究論文を猿でも書き得るのではなかろうか?例えば、タイプライターを与えて、殆ど無限に近い回数叩かせたならば、画期的発見論文をものす事が出来るであろう」といった内容であった。


当時、「芭蕉の名句も、出鱈目にキイを叩いていると出来るかも?」と友人達と、私も冗談を言い合った事があった。勿論、それが若し、あったとしても何等文学的価値のない事は百も承知の上であった。


ところが、こんな席上でしかも受賞者の発言である。これに対して、「これを、ノーベル賞受賞の驕りに毒された一科学者の発言」と解したのは私のみではないであろうと思っている。


勿論、小柴氏は少し微笑んだのみで、全然取り合わなかった、と記憶する。


やがて、田中氏に発言の順番が来た。氏も英語圏での生活は長かった筈であり、英語は堪能と思うのであるが、極めて控え目なご発言であって、それに対して質問やコメントは誰もしなかったと記憶する。


私の以上の諸記憶と記事―<猿が「CHANGE!」−人種差別広告では?―海形マサシ2008/06/24>の内容と、同レベルの問題でないとは認識しているものの、アメリカにおける人種差別の諸問題と、上記は全然切り離し得ないものであると思っている。


さて、話は変わるが、小柴氏の業績に大きく寄与し、ノーベル賞の授賞式に現地にまで同道した、浜松ホトニクスの晝馬輝夫社長<旧制浜松第一中学校卒‐私の一級先輩。本社や工場訪問等々、何度と無く御付き合い申上げた事有り。1947年 浜松工業専門学校卒>は、戸塚洋二氏にとっても、特筆すべき人物である。


また、小柴昌俊氏<昭和20年4月、一高入学前、明治大学工学部前身の専門部一年生・同年1月退学>は共に工学系統の洗礼を受けており<勿論、経営に、或いは、物理現象で、理論面の素養もあるであろうが・・>、実学的気風を根底に有していると思われる。


御二人の生れは、私と殆ど違わないのであるが、我々の小学生から中学生時代に掛けては、今とは大分少年達の気質も異なっており、何時か時間的な余裕を見出した時に、適当な記事若しくはコメントとしてJANJANの何れかに書きたいとも思っている 】
[35801] 時は今日 場合は此所と 心がけ あととさきとは 天に任せて
名前:中村孔治
日時:2008/07/16 12:23
平成二十年七月十日、身罷られた、故戸塚洋二さんの死を悼みて詠みたる、挽歌‐長歌並びに反歌、三首。



< 長歌>


若き日ゆ 富士の高嶺を 仰ぎ見て 育ちし君は 村(むら)肝(きも)(むらぎも)の 心の内に 不滅なる ものを得たらむ、


敷島の 大和の国の 武蔵野に 学舎(まなびや)高く 聳へ立つ 東京大学大学 恩師たる 小柴教授は 馬喰の 最たるものにや 師計らひて 職ドイツに得たり、 


師を継ぎて 以後い勤めに 現身(うつそみ)の 限りを尽くす、吾は知る 君把握せり ニュウトリノ 変身の様、


い勤めに 厳しきかりきも 君は良き 夫(つま)にてありき 愛(うつく)しみ 家なる妻子(めこ)を、 妻子(めこ)もまた 君を慕ひき はた君は 同胞(はらから)にいと 優しかりきと、


ふみづきの とうかと言ふに うたてしや 君の訃報に むらぎもの 心を悼み 君惜しみ ひづち泣けども 逝きし君 返さん術(すべ)なく、 


在りし日の ありし事ごと 常(とこ)永遠(とわ)に 忘れ得なくに 今またさらに 逢ふよしを無み。



<反歌>


い勤めに 全霊籠めて 成果あぐ 君は不滅の 大丈夫たり


妻子(めこ)に同胞(とも)に 優しかりける 亡き人の 忘ら得なくに 歳経ゆくとも


君がゆく 遥かなる道 黄泉に 妙なる樂と光り満つらむ
[35793] ニュートリノの速度
名前:村上久三郎
日時:2008/07/16 00:06
 私は宇宙線のことは専門外ですので、よく分かりませんが、静止質量が有限な物質が、光速で飛ぶと仮定しますと、アインシュタインの特殊相対性理論により、「飛んでいる時の質量」が無限大になります。
 従って、特殊相対性理論によりますと、有限な質量をもつニュートリノの速度は光速以下になりそうです。ただし、私の知識は何分古いので、現在は間違いの可能性があります。
[35780] 別府記者の質問の意図は?
名前:陶山としか
日時:2008/07/15 20:49
ネットで検索すればすぐ出てくることかと思いますので、もしかしたら、ニュートリノは左巻きスピンしか存在しないから、質量はないのだということをおっしゃりたいのでしょうか?
そうだとすれば、ここの記事でも言及されているニュートリノ振動の説明はできませんし、それ以上の何か議論をお望みなら、ここはあくまでもインターネット新聞ですので、学会なりなんなり、そちらでご質問された方がいいように思います。
追悼記事を肴に、あれこれ議論したり、あるいは茶化してみたりするのは、故人に対して非常に失礼なことかと思います。
[35777] 再度コメントを後日、追加いたします・・。コレマデ、別府記者に詩人の魂を感じていたのですが・・。
名前:中村孔治
日時:2008/07/15 18:25
本記事の内容に関連して、ここに登場の二人の師弟と、東京大学の同学科卒業等で、学歴上、非常に密接な関係にあった人達―企業時代に私の周辺にいた、先輩・同輩・後輩達―何れも御二人にも勝るとも劣らない極めて優秀だった人達に付いて、何れ書きたいとも存じております。


また、小柴氏がノーベル賞受賞時に、他の受賞者<物理や化学部門>の人達とされた会話の中に、非常に示唆に富んだ内容がありました。この小柴氏の真骨頂の現れた会話等々に付いても、何れ日を改めて書きたいと存じております。


そこで、折角、別府さんが、私の記事にコメントされましたので以下【】内の文章を書いておきます。従来別府記者を尊敬申上げてきました。


従来、氏の文章に何か詩人の魂をも感じていました・・・が。


【 <イランに関するバラク・オバマへの公開書簡に署名を別府有光2008/07/10>等の記事には大いに感心。


はてさて、同記者がモニカ・ルインスキーに言及されました。本記事とは大分、オケントチガイでは?


彼女が大統領に変えられたかどうか?本性発揮かどうか?―如何でもよいのでは?


さても、モニカ・ルインスキーなるユダヤ人女性は、先ず米国でインタビュー時、日本の同世代の娘には絶対に真似出来ない、堂々とした応答態度とか?


このインタビューで2000万ドルは稼いだとか?


さらに、ダイアナ妃の自伝を書いた、イギリス人作家による『モニカの物語』―大統領との関係の暴露的本が書店に並ぶ始末。


その上、イギリスのテレビ対談にも出演しているようで、朝の出勤途中のラジオではその内容は「テレビジョン・バイヤグラ」などとイギリスでは評されたるが如し。


何もイギリスという外国まで行って、アメリカの恥を堂々と暴露して、稼ぎまくるとはね?・・と。


フェミニスト・グループも開いた口がふさがらないとか?


またまた、したたかな女として、彼女への同情票は少ないとか、ETC,etc, ETC,etc,・・・】
[35771] ???
名前:別府有光
日時:2008/07/15 14:04
私が持っている四十年前の百科事典にはニュートリノの質量はゼロとなっています。あれは理論的なものかと思っていたら、最近ではニュートリノに質量があるのは定説みたいですね。ところでニュートリノの速度は光速のままか知らん?誰か知っていたら教えて。
それからクリントンが根源的に変えたのは「宇宙の理論」ではなくて「モニカ ルインスキーの人生」
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