「翁二人立」(写真はすべて筆者撮影)
●ふるさとは近くにありて……
辞書で「ふるさと」を引いてみると、真っ先に「生まれ育った土地」のことだと示される。ふるさと【故郷/古里/故里】に懐かしさを求めても、私の場合、空しい思いをするだけだった。つねに姿形を変貌させ、内部深くへ増殖し、ひとつところに留まろうとしない流転の街、東京・赤坂―――。そこが、我がふるさとなのである。
東京・赤坂と聞いて連想するイメージは、かつて高級料亭が建ち並び、永田町の主役たちが密やかに日本の政治と歴史とを動かした裏舞台で、いまはテレビ局や巨大複合施設を拠点に据えたショッピング街、飲食街、数々の高層ビルを擁したオフィス街と、概ね、そのようなところだろうか。
だが、代々この街で暮らす、ごく普通の庶民たちだって、ちゃんと存在してきたのだ。その数こそ、長らく減少の一途を辿っているとは言え。代りにいまは、ステータスの高い人たちが超高級マンションや豪奢な一戸建てを購入して、移り住むようになっている。
赤坂という地名ブランドがいくら持て囃されようとも、ここは明治以来、下町に部類される地域を伴う。その歴史は、かなり深い。私の実家は、数代に亘るしがない染物職人で、祖父母は根っからの江戸っ子だったことを覚えている。
赤坂は、東京で最も早く地上げや再開発に着手された地域のひとつである。むかしから暮らしてきた人たちが、次々と郊外へ引っ越してしまった。都心の空洞化現象と呼ばれ、子どもの数も激減した。私は、小学校生活の6年間、一度もクラス替えを体験したことがなかった。1クラスしかなかったのである。
「猩々(九代目團十郎)」
●赤坂総鎮守・氷川神社の山車巡行復活
我がふるさと・赤坂一帯で、9月14日に「赤坂氷川山車(だし)巡行」が挙行された。今年で、2回目となる「古くて新しい」神事である。
赤坂氷川神社(※1)に江戸時代から伝わっている9台の山車の修復を手がけつつ、昨年、いにしえの山車巡行神事を100年ぶりに復活させたのは、同神社の禰宜(ねぎ)である恵川義浩さん(36)。出版物の取次会社に勤務していた元会社員で、数々のプロジェクトを成功へと導いた、やり手ビジネスマンとしての豊かな経験を持つ。
(※1)赤坂氷川神社は、天歴5年(村上天皇951年)、いまの赤坂4丁目・一ツ木台地に建てられたとの記録がある。江戸・徳川八代将軍・吉宗の命によって、享保14(1729)年、赤坂今井台の現在地に現社殿を造営。翌1730年、一ツ木台地からの遷宮が為された。以来、278年に亘る長い歴史を湛えている。氏子地域は、港区元赤坂1丁目〜2丁目、港区赤坂1丁目〜9丁目、港区六本木1丁目・3丁目〜4丁目、港区虎ノ門1丁目、に及ぶ。
〔参考〕
赤坂氷川神社ホームページ
どうして、恵川さんは神職へと転身されたのか。実は、彼の父親がこの赤坂氷川神社の禰宜を務めておられ、そもそも彼自身が「神社の家」に生まれ育ったからだ。7年前、父親の薦めもあって「家業」を継ぐことを決意した。
都会にあるほとんどの神社は、境内の一部土地を売却したり、あるいは、そこでアパート・マンションや駐車場経営をすることによって得られる副収入で、どうにか社殿などの維持を図ってきた実情がある。
しかし、東京都の重宝建造物指定を受けるなど、文化財としての価値が高い赤坂氷川神社の場合、そうした「副業」で支えてゆくこと自体が制約されていた。
「神社を後世へ残すためには、一大改革が必要」と考えた恵川さんは、父親を説得。衝突を経ながらも、徐々に「自分のやり方」を認めて貰えるようになった。結婚式の執行件数を年間数件から数百件まで激増させるなど、神社としての「本業」を活性化させることに成功した。
また、山車の古い具材が倉庫の中に埋もれていたことを知っていた恵川さんは、廃れてしまった山車巡行の神事を復活させてはどうかと、かねてより考えていた。
元来、江戸の祭りと言えば「天下祭」または「御用祭」と称され、「飾り立てた山車を江戸城内へ巡行させる山車祭り」だったものが、徳川時代の習慣を払拭しようと企てた明治新政府によって、いわゆる「神輿祭り」へと強制的に転換させられてしまっていた。
恵川さんは、江戸古来の山車祭りを現代東京に復活させることで、「もっと神社を盛り上げよう」と、会社員時代に培っていた「プロジェクト屋・魂」を、再び猛然と蘇らせた。
2年前、彼は「NPO法人・赤坂氷川山車保存会」を設立。赤坂の各町内会および商店会へ積極的に働き掛け、山車祭り復活への理解を求めた。
「はじめは本当に大変でした。山車の具材が残っていることも、あまり知られていませんでしたので、町内会によって温度差があり、(資金拠出への)反対も多く、意識を変えていただくのに時間が掛かりました」と、恵川さんは振り返る。
こうして昨年、現存する9台の山車(具材)のうち「翁二人立」(赤坂新二会・所有)を修復。秋季大祭で、100年ぶりに山車巡行を復活させた。さらに今年は、「猩々(九代目團十郎)」(赤坂表一二町会・所有)を新たに修復し、去る14日の第2回・赤坂氷川山車・2台連合巡行へと漕ぎ着けた。
恵川さんの呼びかけに応えた、地元・赤坂各町内会・商店会の若い有志たちによる並々ならぬ努力、そして、最初は躊躇したものの、ついには理解と協力を惜しまなくなったシニア(年輩)世代の意気込み、それらの実り豊かな賜物である。
加えて、
赤坂に本拠地を置くテレビ局や、
元防衛庁の跡地にできた巨大複合施設も、赤坂氷川神社の氏子として山車祭りをバックアップするまでになっている。
恵川さん、「元やり手ビジネスマン系」神職の力量発揮である。
こうして、都心・赤坂の街おこしは、時代を反映する形で活気あるものとなってきた。
元気に山車を引く子どもたち
●伝統文化としての神社を守る
「私は神社を残したいんです。それだけなんです。お金儲けなんかじゃありません」と、赤坂氷川神社の若き跡取り神職、恵川さんは強調する。どれだけ資金を得ても、全部、社殿などの高額な維持費として消えてしまう。「お賽銭で儲けているんだろうって、子どものころは、イジメられたものですが……」と、彼は笑う。
「都会では、ひとつの(神主の)家で20から30もの神社を預かっているのが現状です。これでは先行き、日本の伝統文化である神社は、衰退する一方……。神主は、もっと危機感を持たなくていけません」
各神社の自助努力と言っても、ケースバイケースである上、限界は見えている。地域と社会全体で神社維持を支援してゆく取り組みが求められている。
明治以降、いわゆる国家神道の考え方から、天皇神格化を徹底させるための道具として、伝統的な神社の数々までもが歪んだ形で利用されてきたことは否めない。
国家神道の中核だった靖国神社と伝統的な神社とは、その由来も意味もまったく別物である。混同してはいけない。
もとより、教義も教典も持たない神道は、宗教の定義からは外れており、むしろ日常生活の中で静かに根を下ろした日本の伝統文化のひとつとして、冷静に評価されるべきではないか。
現に、正月になると日本全国で、延べ約9000万の人々が、神社仏閣へ、何らかの形で初詣に出掛けると言われる。
政教分離は当然のことだが、硬直化した政教分離意識によって、国も自治体も、神社の”伝統文化としての維持にさえ”距離を置き、肝心な問題処理や困難の克服を、ことごとく個々の零細神社経営者に任せきり、といった実情に、私たちも目を向けなくてはならない。さもないと、神社が滅んでしまうかも知れない。
●未来のふるさと
9月14日。あまりに変貌を遂げてしまい、もはや大して懐かしくは感じない赤坂の街を、私は、2台の山車それぞれに付き添い、半日かけて、ゆっくりと巡り歩いた。
今年の秋季大祭は”かげ祭り”なので神輿は出されなかった。神輿渡御のない祭りは、いまひとつムードが盛り上がらなかったので、ここしばらく、私は他の用事にかまけて、「ふるさと赤坂」へ足を運ぶことさえ怠けていた。
しかし、神輿はなくても山車が出るのなら、また、こうして祭りを切っ掛けに、ふるさとへ戻ってみるのも良い。
これまで、町内会と商店会が力を合わせて、みんなで赤坂を盛り上げようという気概が生まれることはなかった。オフィスビルばかりになって、居住者が激減してしまった町内会は、「地域力」が失われ、神輿の担ぎ手を確保できず、肩身の狭い思いをしていたそうだ。
だが、山車が出ることによって、人数の少ない町内会も祭りに参加できるようになった。ある町内会の老会長さんは、「自分が生きているあいだに、またお祭りに参加できるとは思っていなかった。山車があることは薄々聞いていたが、こういう形で復興するとは感無量だ」と、涙を流して喜ばれたのだという。
偶然、私は赤坂で開業して70余年という写真屋さんのご店主と、進み行く山車の傍らで、ばったり再会した。
「なにしろ僕らには、ふるさとがないからねえ……」と、ご店主は、しみじみとした口調で言った。
「……僕は賛成ですよ、こうやって山車祭りが復活するのは。遅いぐらいに感じます(笑い)。むかしから住んでいる人なんて、ほとんどいませんから、賑やかになるのはいいですね。若い人たちが頑張ってくれることが、嬉しいですよ」
伺うと、ご店主は私が卒業した小学校の大先輩だった。その小学校は、疾うに廃校となっており、いまでは養護老人施設に様変わりをしている。
写真屋さんのご店主は、
「いずれは、僕もまた、そこへ戻るんでしょうかね? 小学生のときに通った場所へ、今度はヨボヨボの要介護老人になって……」
そう戯れに言われたのだが、私は答えに窮し、微笑み返すのが精一杯だった。
赤坂の街でも、間違いなく高齢化は進行する。そして、地元で暮らして何十年という人たちは、どんどんと少なくなり、いつかは必ずいなくなってしまう。
赤坂の街は、今日も明日も絶え間なく変貌を続け、見たことのない建物、初めて見るお店、そして知らない人たちで満ち溢れる。
だからこそ、赤坂氷川神社のような伝統文化の拠り所―――心を癒すオアシスが、大都会には欠かせない。如何なる形であれ、赤坂の街を「ふるさと」だと言える人間がいる限り、再興した氷川山車巡行祭りは、これからも途切れなく、そしてますます盛んに受け継がれて行って欲しい。
山車を引く大人たち
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背景は、赤坂Bizタワー
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山車を引く子どもたち
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乃木坂にて
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氷川神社へ帰還した2台の山車
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