村の子どもたち 〜ヒンドゥークシュ山中にて〜 (撮影:長島義明)
◆写真家・長島義明
あの男が、写真集を上梓した。その披露と出版記念写真展のオープニングを兼ねたパーティが、昨週末(12/13)開かれた。大阪市内の夕刻のギャラリー。通りに面した大きなガラスのウインドウが迎えてくれる。フロアは互いの肩がふれあうほどの賑わいである。酒はビール、焼酎、ワイン、日本酒、肴は寿司、餃子、コロッケ、焼き鳥、サラダにチーズ。やってくる客の差し入れで、にわかごしらえのテーブルが盛り上がる。あの男ににつかわしい写真展の始まりである。
この男、写真家・長島義明(66歳)。
今年初めの拙稿でおつきあいを願った
「カストロを撮った男」その人である。
その稿で、彼が30年ほど前にアフガニスタンを旅して撮った作品集「平和だった頃のアフガニスタン」について紹介した。風景も、人々の笑みも、そして心もが、平和であったころのアフガニスタンである。が、そのわずか2年後(1979年)のソ連軍によるアフガニスタン侵攻を経て、2001年の9.11テロを機に始まったアメリカ軍の空爆。アフガニスタンに硝煙の絶えたことはない。メディアが伝える混沌の様に、長島の胸はしめつけられた。彼は憑かれたように、「平和だった頃のアフガニスタン」と冠した作品展を全国各地で開いた。ただひたすらに、あのころのアフガニスタンである。写真家・長島義明の告発である。
本稿での重複をはぶくためにも、写真家としての彼の片鱗にふれた先の稿
(「カストロを撮った男」・動画併載)を、いま一度開いていただければありがたい。
◆約束の写真
言葉足らずであったが、作品集「平和だった頃のアフガニスタン」は彼の手作りであった。作品群を1冊にまとめたものではあるが、どこかの出版社が手がけて市販されたものではない。作品の一枚一枚を台紙に合わせて1冊に綴じたものである。表紙の角がほつれ、少しの手アカもいなめない。でも、そのためか妙に手になじむ。
手作りの写真集「平和だった頃のアフガニスタン」(以下は、三国章・撮影)
彼としては、アフガニスタン踏破の金字塔として、写真集の形で出版したい気持はあった。あの手作りの作品集を抱えて出版社にあたったが、手ごたえは鈍かった。
本稿の冒頭に掲げる写真に注目していただきたい。旅の途中で立ち寄ったヒンドゥークシュ山中の小さな村で出会った子どもたちである。村人から満腹の馳走にあずかったあと、別れぎわに撮ったものである。長島は、子どもたちにひとつの約束をした。「もう一度ここにやってくる。その時、撮った写真を持ってくる」と。事実、再訪は彼の願いであった。その旅でアフガニスタンを撮りきった、という充実感はなかった。むしろ汲めども尽きぬ渇きのようなものを感じていたのだ。
だが、戦場と化した彼の地は長島をはばみ続けた。そして、30年の歳月をはさみ、抗しがたく忍び寄る自身のうちなる衰えもあったであろう、子どもたちとの約束は未だ果たせていない。
“約束の写真”と長島義明氏
◆アフガンへの“確かな思い”
この1枚の写真に託された約束について、ふと彼がわたしに話したことがある。件の「カストロを撮った男」で長島にインタビューした後のことであったと記憶する。
「わし、あの写真を持ってアフガンに行こうと思う……」その時わたしは、彼のはるかなる思い≠ニしてしか汲み取ることができなかった。それから1ヶ月ほどもした頃だったろうか、彼から1通のメールが届いた。それには、ゆるぎない彼の確かな思い≠ェ記してあった。了解のもと、以下にそれを付す。
『さて、私ごとですが、あるデパートが私のアフガニスタンの写真を見て、すごく興味を持たれました。来年になりますがそのデパートで写真展をする事になりそうです。まだ、決定ではありませんが。
それまでに僕はアフガニスタンの子供達との約束を果たすべくアフガニスタンへ行くつもりです。おそらく今年の秋ごろになるでしょう。30年前の小さい約束です。僕がその約束を果たしたとして、アフガニスタンの人達になんの役にも立ちません。医療を届ける訳でもなく、食料を届ける訳でもありません。
ただ、僕の30年間と彼等の30年間と、その間に経験した出来事を確かめたいのです。
すごく私的な行為です。まだ先の話ですが様々な事が決まりましたら連絡します。
では、またの機会に。 長島』※2008.3.7受信
アフガニスタンの情勢に疎くもあり、かるはずみにも、わたしは賛同のメールを打ち返した。その後アフガニスタンの状況は悪化の一途をたどる。ご承知のとおり、8月にはペシャワールの会の日本人男性の殺害事件が重なった。
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