南京虐殺記念館 侯曙光副館長
2008年12月13日、日本の麻生総理と中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領が福岡で首脳会談をした。だが、その12月13日は、1937年、旧日本軍が当時の中国の首都、南京を陥落させた日でもある。
翌日、筆者は、東京都千代田区にある総評会館で開かれた「南京大虐殺から71年 2008年 東京証言集会」に参加した。会場には200人ほどの人々が詰めかけていた。
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映画「南京」の上映(予告編)
まず、ドキュメンタリー映画「南京」が上映された。この映画は昨年、アメリカで制作され、アメリカと中国で上映された。批評家から高い評価を受け、日本では12月7日の福岡を皮切りに初上映となった。
映画の上演時間は約1時間半。旧日本軍の南京侵攻当時、難民安全区を設定し、中国人の保護に努めた西洋人の手記を元に、彼らの体験を語る形式で進行する。中心となる登場人物はアメリカ人女性宣教師で、大学講師をしていたミニー・ヴォートリン。作家ヘミングウェイの孫に当たるハリウッド女優、マリエル・ヘミングウェイが演じた。
そして、もう一人重要な人物は、当時の日本と同盟関係にあったドイツの南京駐在ビジネスマン、ジョン・ラーベ。難民を保護するための安全区委員会委員長を務めた人物だ。彼らを含め10数人の西洋人は、退避命令が出ていたにもかかわらず南京に残り、市民の保護に奔走した英雄として描かれている。
その他、俳優が語る手記の他、実際に被害を体験したり、目撃した中国人の生の証言が映し出される。レイプ、殺人、日本軍の蛮行はおぞましいほどだ。また、被害者だけでなく、従軍した加害兵士の証言映像も映し出される。
「当時の日本軍には捕虜を管理する能力はなく、殺害するしかなかった」、「重機(関銃)を使い、一晩で2万人をやっつけた」などである。これだけ多くの人々が、嘘をついているなど考えられないことを思い知らされる。映画のラストシーンには、靖国神社で万歳する日本人の姿が映し出される。いまも、日本人は当時とさほど変化していないという印象を与える。これがアメリカと中国で上映されたことを考えると、衝撃的だ。
《南京虐殺記念館の侯副館長のスピーチ》
映画の終了後、南京から来日した南京虐殺記念館副館長の侯曙光氏がスピーチした。筆者にとっては4年ぶりの再開となる。筆者は4年前、「ノーモア南京の会」のツアーで南京を訪れ、その時に館内の応接室で直に話しをしたことをよく覚えている。その時の様子は、筆者のブログ記事「
南京大虐殺の史跡を訪ねて」に記録しているので読んでいただきたい。南京虐殺記念館は昨年、拡張新装オープンをして、世界遺産登録を目指している。
侯氏は、この日のスピーチで主に南京占領に至る経緯と被害の状況に関して詳しく説明した。1937年5月の統計によれば、南京の人口は101万人であること、犠牲者数30万人は揺るぎないものであることを強調した。そして、締めくくりに「平和を愛する全ての人々が歴史から教訓を学ぶことを望む」と語った。
《被害女性の証言》
南京から来られた黄さんという女性が証言した。その内容を、以下に紹介する。
「元々、私は山東省の出身でしたが、父親の仕事の都合で南京に移り住みました。戦争が始まり、空襲となり、難民安全区に避難しました。最初は日本兵のことをよく知らず、警戒していなかったのですが、出くわした黄色い服と革靴を身につけた日本兵に小屋に連れ去られ、強姦されました。両親は、外にいましたが、助けることができず、母はショックで体をこわしてしまいました。また、兄は他の男性と共に連れ去られてしまいました。兄は、夜になって帰ってきましたが、それ以外の男性は帰らぬ人となりました。
その後、私はアメリカ大使館に避難しました。顔を汚くし、老婆の服を着て目立たないようにしました。大使館には昼は門番がいましたが、夜には日本兵が侵入してきて4、5人の女性が連れ去られました。彼女たちは帰らぬ人となりました。
私は、その後、18歳で結婚しましたが、夫が私が処女でないことを知ると罵り、夫の母親からも冷たく扱われました。どんなにひどい仕打ちを受けても、自分が強姦を受けたことを話すことはできませんでした。苦しみながらも、ずっと家族にも話すことはできませんでしたが、80を過ぎて証言をする決意をしました」。黄さんの勇気ある証言に敬意を表したい。
朝日新聞記者 上丸洋一氏
《朝日新聞編集委員 上丸洋一氏の問題提起》
この証言の後、朝日新聞の連載企画、「新聞と戦争」の執筆者の一人である、同社編集委員の上丸洋一氏が問題提起の講演を行った。上丸氏は、このシリーズの「南京戦」を担当した記者である。
そもそもの執筆のきっかけは、南京戦に従軍した朝日新聞記者齋藤一氏の手記を神保町の古本屋で見つけたことであったという。そこから、当時の記者が何を見たのかを探り当ててみたくなったという。「国賊朝日」と罵られる覚悟で作業に着手した。
当時の新聞記者、それも従軍記者は、現代とは違い、軍にとって不利な報道は一切禁じられていたため、記者は広報と変わらない役割を担わされていたという。軍部と従軍記者が一種の「共犯的な関係」にあった。記者は、第三者として軍の行動を監視することはできなかった。
「敗残兵の死体の山があった」などの報道が掲載されていたことから、虐殺があったことは否定できないものだという。しかし、そのことに良心の呵責を感じないのが当時の記者の心情だったと推察される。
朝日新聞は、そもそも満州事変が起こる前は軍部に批判的な社論を展開していたが、事変後、朝日新聞は「日本国民として軍部を支持し国論の統一を図るは当然の事」だとして、それまでの社論を転換する。そして、その後は軍の対外行動(侵略)を批判しなくなる。二度と繰り返してはならない歴史だが、ナショナリズムが高揚する戦時において、国家を批判することはそうたやすいことではない。イラク戦争が始まったとき、言論の自由が保障された米国において、ジャーナリズムの多くは政府を支持したし、国会で反対の意思を示したのは一人だけだった。このことからも、戦時に国家の外に立って国家を批判することの難しさがわかる。二度と戦争に協力しないためにどうすればいいのか。この課題はいつも我々の前にある。
上丸氏自身、この企画は、まだ未完で、まだまだ多くの研究を重ねたいと語り、何かいい情報があれば提供を望むと締めくくった。
筆者は、戦争におけるマスコミの責任としてJANJANに「戦争責任の一端を担うマスコミ」という記事を2005年に投稿した。挨拶ついでに上丸氏にその記事を渡した。また、このテーマを元に書き上げた自作の小説の冊子も渡した。小説は筆者のブログ上で4年に渡って連載してきたもので、以下のサイトからも読める。
「白虹、日を貫けり」
物語は、大正デモクラシーの時代から終戦までの歴史を、新聞記者の目を通して追う形となり、いわば素人なりに筆者が研究したことの集大成である。より多くの方々に読んでいただきたい。
この南京虐殺の事実の探求活動をしていて、頻繁にこんな質問を受けてきた。「あなたは自分の国の恥部を暴き出したりしているが、日本が嫌いなのか」。これは最近、騒動となった田母神・前空幕長が主張していた考えと共通するものだ。筆者の答えはこうだ。この活動をするうちに、筆者はむしろ以前より深い愛情を日本という国に持つようになった。それは、恥部であれ、生まれ育った自分の国というものをよく知ることができたからだ。
そして、「国益」という観点からいえば、これは絶対にしなければいけないことだと考える。日本は戦争を始め、結果的に相手国の非戦闘員を数多く犠牲にして、ついには敗戦した国家である。そのことは戦後、日本が国際社会で信用を回復する上で常に認識させられる事である。日本ばかりが叩かれて、と不満もあろうが、やも得ぬことと受け止め、少しでも歴史リスクを軽減し、まっとうな外交ができるようにするのが得策であろう。相手側からの感情的な攻撃もあろうが、それにも冷静に対処すべきだ。
日本と同盟を結んで同じく敗戦国となったドイツも戦後、同じように信用回復が重要な課題となった。日本に比べ過去の克服に成功した国家といわれているが、実際、戦争の傷跡が完全に癒えているとは言い難い。
例えば昨年、EU委員会の議席数を決定する会議で人口に比例した議席数の少なさを不満とするポーランドの首相が「ナチスに殺されたポーランド人の数を含めるともっと多くなるはずだ」と発言した。ドイツのメルケル首相は同席していたものの、それに対し何も言い返さなかった。それは戦後一貫して過去との訣別を国是としたドイツの姿勢を表す意味があったのだろう。
日本は、村山談話や河野談話など首相や閣僚が謝罪の弁を述べるなどしてきたが、非戦闘員の犠牲に対する個人補償などの策はあまりにも不十分である。その上、謝罪する行為がある一方で、靖国参拝などを行い、中国人などの感情を逆撫でする行為も目立つ。講和条約などの政府同士の決着では、市民感情を手当てしたことにはならない。
そして、いまは相手国の市民感情は外交をも左右する重要な要素となっている。金融危機は世界恐慌の再来といわれる今、隣国といがみ合うことは損であることは明白だ。日本としては、謙虚に且つ冷静に対処するしか道はないのではないか。
ところで、現実主義者である筆者は、憲法9条改正派である。軍隊は国家の必要悪と考えるからだ。過去の失敗を教訓とし、2度と侵略行為をしない軍隊を持つことを条項に盛り込み、軍部の暴走を防ぐため、確固たる文民統制で抑える機能を明文化した改正にすれば、今のような疑似軍隊の状態より、かえって安全であると思う。
また、人類唯一の被爆国となった経験から、世界に先駆け、憲法に非核3原則を盛り込むことを薦める。核拡散が進行中の世界情勢の中、それは人類の平和に大きく貢献するだろう。
今回の集会参加者の中に、広島で被爆体験をした男性がいた。集会後の飲み会で、その人は酔いながらこんな言葉を放った。「広島、アウシュビッツ、南京は、私にとっての三都物語だ」と。
世界の平和と全ての人民の幸福を心より願う。
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