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泥濘(ぬかるみ)に足とられないように―日韓併合100年に寄せて(2)

李喜鳳2009/12/01
前回記事:泥濘(ぬかるみ)に足とられないように―日韓併合100年に寄せて(1)

絢爛たる江戸の町民文化と、朝鮮通信使

 通信使の来聘は、全国の大名を動員して、国民に御触れを出し、国家あげての行事というものでしたが、これは徳川政権の「ご威光」を天下にあますところなく示すという国内政策でもありました。

 また、何よりも、この外交は、200年間におよぶ「日・中・朝」の平和・不戦の回廊であったといえます。

 その歓迎ぶりを、平戸のイギリス商館長、リチャード・コックスは「至るところ王者のごとく待遇」と驚嘆の言葉を記録していますが、朝鮮側としても「一芸を以って国に名のある者悉(ことごと)く従いて行く」400名余りの外交使節を整え、かつ、徳川将軍、親藩・御三家などには莫大な珍宝を土産に持っていくのですから、互いに無理を押しての決行でした。

 江戸往復の6ヶ月間は、次のようであったといいます。「朝鮮使節団の入団があると、日本の文化人たちは沿道の旅館に馳せ集まり、饗応の席上はもちろん、滞在の間に競って同文の異邦人に面会を求め、漢詩の唱酬に歓をつくし、書画の揮毫(きごう)を請い、また筆談によって中国や朝鮮の政情をさぐり、歴史や風俗を尋ね、経・史・諸学の問答をかわした」(『朝鮮』吉川弘文館)というものです。

 また一方、朝鮮からの製術官は次のように書いています。「日本人がわが国の詩文を求めること貴賎賢愚を問わず、神仙のごとくに仰がないものはなく、珠玉の如く珍重しないものはない。略。一夜の間に費やされる紙、あるいは数百幅に及ぶ…」

 ところで、朝鮮通信使を歓待したのは儒者ばかりではありません。1609年、朝鮮通信史のはじめての江戸入府、その江戸城登城を徳川幕府は将軍一代の盛儀として礼を尽くして歓待したのですが、幕府はその江戸入り行列の日、江戸市中を休日にしました。

 警備上の規制を厳しくかけつつも、市民に見物をすすめたのです。普通の人々にとって朝鮮通信使一行の行列は、公然と、じかに外国人を見るという、またとないチャンスでしたから、江戸っ子たちは、整然と並びつつも好奇の目を輝かせました。

 もう、品川から日本橋の馬喰町、浅草の東本願寺前まで、沿道には見物人がびっしりと並び、また街道沿いの海にも、見物する船が列をなして並んだといいます。

 その行列は、きらびやかに威厳を正しつつも、管弦楽器、吹打楽器、太鼓、小金、シンバルを用いて、伝統の楽曲を奏でながら堂々の行進するのです。人々は、生まれてはじめて見る異国情緒たっぷりの見ものに歓喜し、堪能したのでした。

 ここで、時代の変容を凝視しなくてはなりません。すでに世の中は、「町人の天下」という様相をみせはじめていたのです。江戸は、旗本8万騎といわれる武士たちの居住地であり、三百諸侯の大名の屋敷が集中していた日本最大の消費地でした。繁栄の象徴のように、芝居小屋があり、その店頭には胆をうばうほどに商品が美しく並べられました(参考:広重『東都大伝馬街繁栄の図』)。長く、権力に寄生してきていた、お膝元の町人が、自分たちの力を誇示するようになっていたのです。

 江戸の商人ばかりではありません。大阪商人、京都の町人、近江商人、伊勢商人、城下町商人、さらには海の豪商…などなどです。町民文化は絢爛と花開き、町民もまた「文化」を作り享受するようになっていったのです。

 どんなに江戸市民を魅了したのか!それは、その後の、「辻踊り」の流行にみることができます。町奉行所では、前々より辻踊りは厳しく禁止されていたのですが、間もなく、夜になると、大路広路に歌え、踊れとばかりに辻踊りがくりひろげられるようになったといいます。

 朝鮮の衣装をまねて装い、鳴り物をまじえ、それは、祭りのごとしであったといいます。庶民の目と耳で吸収した朝鮮文化はそれほどに強烈な印象をあたえたのでしょう。この流れは、現在でも各地に「唐人踊り」「唐人行列」として伝えられています。

 三重県鈴鹿市東玉垣町の唐人踊り、岡山県牛窓町の唐子踊り、そして三重県津市の唐人行列は、まさに朝鮮の衣装で、朝鮮に似た楽曲で行われているものです。

 朝鮮では古くから、「梢をわたる微風の音に、からだがひとりでに動き、音は遥を奏で、奏でれば歌い、歌えば踊る。小川のせせらぎで日々に砧を打つ女の口元からは、自然に遥が流れる」といいますが、日本人も、歌舞好きの民族のようです。

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[56346] 悲哀としての知恵
名前:青木岳陽
日時:2009/12/18 21:56
李喜鳳様
外国人参政権の欄で、私は在日韓国・朝鮮人社会について少々きつい発言をしておりますが、決して個々人のパーソナリティについて言っている訳ではありませんのでご了承ください。
どの世界にも言えますが、個人を民族とかのステレオタイプに当てはめてはいけません。アメリカ人だって、中国人だって性格は十人十色であり、東京人でも関西人でもそうです。韓国の方は個人として付き合うには人懐こくて優秀な人が多いのです。
さて、「悲哀としての知恵」とはいい言葉だと思いました。
私は韓国へ行ったことはありませんが、台湾はまさに「悲哀としての知恵」を得た人々の国だと感じたことがあります。そういえば、司馬遼太郎も「台湾人の悲哀」というテーマで李登輝と対談していましたね。
台湾東部の花蓮で、チャーターしたタクシーの運転手は地元の漢族で、普段はミン南語を話します。しかし、小学校は日本時代で日本語を教えられ、その後「光復」で北京語が国語になったと語りました。だけど、花蓮はもともと阿美族の土地で、東南アジア系の人が多く、運転手さんも外来者なのです。
台北の中正紀念堂に朝早く行くと、軍帽を被ったお爺さんたちが並んでいます。巨大な扉が開くと、彼らは紹介石像に敬礼して去っていきました。国共内戦で大陸から台湾に来たまま故郷に戻れない老兵たちでした。
同じ台北市内にミャンマー街という地区があり、ここは雲南省から黄金の三角地帯に潜んでアヘン製造などをやっていた国民党兵士たちが、30年前くらいに台湾へ引き揚げて住んでいる場所で、カレー料理店などが並んでいます。
私の「中国的爺爺」は蒋介石の学生弾圧を逃れて台湾から大陸へ渡り、日本時代の教育を活かして通訳を務めました。
九州より小さな島に、何層にも重なる言語世界や政治背景、ここに生きる人たちはどうやって激動の現代史を潜ってきたのだろうと思ったものです。
[56170] 青木岳陽様。繋がりを模索していきたいものです。
名前:李喜鳳
日時:2009/12/16 01:30
日曜日、夜遅く「ご意見版」を拝見して胸いっぱいに嬉しくなりました。なぜかといいますと、
青木さんの提言は、私が、この10年間ほど追い続けていたテーマであったからです。90年代にさかんに取り沙汰されてきた「国民国家」論のパラダイムは現代的なキーワードですが、しかし、次々と新しいコンセプト(国境と国籍のあいまい化、エスニックな多元主義、地球温暖化問題…)が提出されるたびに揺らいでしまいます。もはやユートピアは想像することさえ難しいと思えてしまいます。私は、15年前にハタと気づいて以来、「フランス革命」を丹念に紐解いています。近代・現代の迷路が見えてきますね。

青木さんは、毎回、穏やかな語り口で、近代の人間の歴史について平明に、見間違いなく発言してくださり、その懐の深さに感銘をうけております。たとえば、私が、端的に語れずにはしょった部分を次のようにわかりやすく抽象化されてしまいます。

>「開化派とバックの日本寄り、守旧派とバックの清朝・ロシア寄りと立場をころころ変えながら内紛していました。支配階級の両班は李朝の悪弊である党派抗争に明け暮れていました。憂国の士はいましたが、結局は国を救えませんでした。」というように。

日本の敗戦後、もしも両国に、和解のために真摯に努力する知識人が幾人かいたならば、事態は多少違っていたかもしれません。しかし両国とも1960年代頃まで、感情の衝突を引きずったまま、極少数の学者が概論を著したにすぎません。

青木さんのご意見  >「現代は国民国家の枠組みから、新たなステージへ変革していく途中にあると思います。」には、私もまったく同感です。

まだまだ、古い秩序から自由になれない北東アジアではありますが、しかし、今日、好むと好まざるとにかかわらず、グローバルな相互依存は強まっていくばかりです。青木さんがご指摘のとおり、「危機をバネにしたナショナリズム」「対外膨張につながるナショナリズム」という閉塞感を内側から破っていく「力」が求められていると思います。脅威といっても、戦争ばかりではなく、地球温暖化の大問題が立ちはだかっています。

とはいえ、やはり「和解」へのプロセスは生易しいものではないでしょうね。世間を見渡すと、「他者との差異」にこだわってファナティックな大衆運動に傾きがちな『弱者』の心理と行動に危惧を覚えます。

こちらJANJANで放言するネトウヨもそうですが、韓国のナショナリズムもまた煽られれば日本どころではなく炎上します。エリック・ホッファーが「権力は腐敗する。弱さもまた腐敗する」といい、抑圧される側の弱者もまた、自分たちより弱い者を餌食にするときの酷薄さを決して侮ってはならない、と言いましたが…思わず諦念してしまいそうな警告ですね。

私は、実は、西洋の哲学史を学ぶなかで、日本近代の思想に出会ったのです。幕末に西洋の自然法や国際法を受容する基盤がすでにできていたことに驚きました。先人たちの地道な努力に脱帽です。そこで、その感動からこのたびの記事を書きました。

ホッブスの「自然状態」の想定、「万人のたたかい」の原理、ルソーの「社会契約論」「一般意志」は人間の不安からくる普遍的闘争にたいして、調停の可能性を取り出そうとするものですが、その「人間の自由」のための闘いが日本の近代にあったのです。

とはいえ、「足を踏む人、踏んだ人」のたとえどおり…日本には逆転して、いまなお朝鮮・韓国を憎み、蔑む人がおります。しかし、韓国には現在もなお、日本統治を経験した人が身近に暮らしていることもあって、その拭い去れない記憶を共通基盤のように共有している人々が多数いることも座視できないことです。
そのような彼らの主張を先入観でかたづけてしまっては、ますます距離は開いていくばかりと思います。彼らと触れ合ってみますと、決してペシミズムには陥っておらず、むしろそれらを「悲哀としての知恵」というように抱えていることが多いのです。そのような情感にふれあう日本人は極少数であるように思います。

「対話」が求められていますね。私たちは意識するとしないにかかわらず、社会の網の目のなかで共に生きているのですから、繋がりを模索していきたいと思います。
青木さんが、今後も、どんどん記事を書いてくださることを熱く切望しています。
私は、2月初めまで「介護」にあたっていて、思うように書くことができませんが、
青木さんのような切り口でご意見を述べてくださると、JANJANを覗くことがいよいよ楽しくなります。

[56032] 国民国家の時代2
名前:青木岳陽
日時:2009/12/13 23:14
現代は国民国家の枠組みから、新たなステージへ変革していく途中にあると思います。李さんのような多様なバックボーンを持つ人たちといかに共生していくか、という課題もあり、地球温暖化防止のように一国家では解決できない地球規模の問題も共有されるようになりました。ナショナリズムを振りかざすだけではやっていけない時代が来ています。
しかし、冷戦すら終わった現代に、未だに第二次大戦を引きずる五常任理事国が幅を利かせている国連には幻想は持てません。当面はアメリカ一極集中がだめになったら、G20といったところでしょうか。
EUもまだ模索中のようですし、東アジア共同体(と書くと、親中韓みたいに言われるのでしょうか?)に至っては、中国や韓国が国民国家の形成が遅れたばかりに苦渋を舐めた経験から、官民でナショナリズムを煽るありさまです。まず、ナショナリズムを卒業しましょう。
中国はアヘン戦争以降、欧米日列強の国民国家に蹂躙されたので、孫文以来現在まで、強い国民国家を作りたいという強い願望があります。もともとはアメリカの中国移民排斥運動や日本が押し付けた21条要求から始まる中国侵略によってナショナリズムを刺激され、中国人意識が生まれました。中国共産党が抗日戦争の記憶をこれでもかとばかり繰り返し煽るのは、国家危機に際してのナショナリズムを支配の正統性にしているからです。
韓国は日帝支配下で両班が没落し、さらに朝鮮戦争で大混乱に陥ったことから、国民国家化ができた面があるのではないでしょうか?(すみません、韓国は詳しくないのですが)いずれにせよ、前に記したように日本のしたことは正当化できません。靖国神社も今更何だかなあです。しかし一方で、いつまでも「親日派名簿うんぬん」などとやっているのも同じ像の裏返しではないですか?
危機をバネにしたナショナリズム、人口拡大・国力増長期には対外膨張につながるナショナリズムを抱える国民国家のあり方・民族の考え方はそろそろ見直してはいかがですか。
[56029] 国民国家の時代(1)
名前:青木岳陽
日時:2009/12/13 22:33
李喜鳳様
帝国主義が跳梁跋扈した時代は、国民国家形成の時代でもありました。ご存知の通り国民国家はフランス革命で生まれたものです。封建的身分制度の廃止や国民皆兵、国語、義務教育などは近代戦争遂行に役立ちました。革命を鼓舞した血生臭いフランス国歌、それに刺激されたドイツ民族の統一機運に貢献したグリム童話、イタリアにも愛国少年の物語がありましたね・・・欧州市民革命は自由や平等といった普遍の理念を生みましたが、同時に各国ナショナリズムの高まりや国力の爆発による対外膨張を伴いました。これはどの国でもそうです。この国は良い、この国はだめ、というのでなく、国民国家とはそうした性格なのでしょう。
明治維新の頃の日本人は、世界の潮流を読んで、あっさりと封建制度を捨てました。支配階級の武士が起こした革命なのに、自ら四民平等を唱えて特権を捨て失業してしまったのです。一時は英国が薩長、フランスが幕府を支援しましたが、幕府があっさり引き下がり、国家分裂の危機を避けています。(戊辰戦争や不平士族の反乱はありましたが)
その後は、井上ひさしの「国語元年」にあるように、標準語ひとつとっても紆余曲折を経ながら、明治中頃には国民国家が形成されていきました。
もちろん、琉球やアイヌの人々には迷惑な話だったでしょう。日清・日露戦争に熱狂し、近隣諸国を蔑んで喜ぶ国民や、大国意識を煽る新聞もありました。ずいぶん野蛮で好戦的な姿に見えますが、国民統合の過程で起きた必然的な事象だったと思います。現代的な視線から、当時の日本だけが特別好戦的で冒険的だったと断罪はできません。
さて、当時の李朝朝鮮では、国王の父と王妃が開化派とバックの日本寄り、守旧派とバックの清朝・ロシア寄りと立場をころころ変えながら内紛していました。支配階級の両班は李朝の悪弊である党派抗争に明け暮れていました。憂国の士はいましたが、結局は国を救えませんでした。(安重根のような攘夷テロリストではありませんよ。幕末日本で尊皇攘夷テロが国を救えましたか?
こんな中で、国難に立ち向かうために封建的身分制度を自ら廃止して、宗主国に頼らない独立国にしようとする支配階級が李朝にいたでしょうか?東学党農民も同胞だと思っていたでしょうか?
日本のやったことは正当化できません。しかし、国内政争に外国やそのライバル国を引き込んでしまう、国際情勢を読めない、国防力の不当な軽視、といった点が国を滅ぼしたことも忘れてはいけないでしょう。
さらには、高麗が元朝と明朝に挟まれ、李成桂のクーデターで滅んだときも、そうして成立した李朝が明朝と後金(清朝)に挟まれて、満州族の侵攻(胡乱)を受け、清朝に屈したときも、同じように内紛によって外国の介入を許してきた歴史もあったのです。
現代の国民国家については次に話します。
[56004] 訂正が入れられないのはなぜ?
名前:金丸剛
日時:2009/12/13 20:00
李喜鳳さん

日本通信使はありませんでした。間違いでした。

という訂正が入れられないのはなぜ?
そういう無責任な人には記事を投稿して欲しくないな。
[55932] 訂正させていただきます。
名前:李喜鳳
日時:2009/12/12 15:38
[ご意見版]55900の中ほどに、

   >日露戦争の裏側を書かせていただきます。日露戦争回線を決めたのは

      日露回線→日露開戦
訂正させてください。ご迷惑をおかけしました。
[55915] 李喜鳳さんの宿題
名前:金丸剛
日時:2009/12/12 10:28
李喜鳳さんの

>日本では「日本通信使」を送りましたが、これを[朝鮮へ朝貢した]といいます。
([55385] どこにでも顔を出しては、唾吐く人。
名前:李喜鳳
日時:2009/12/03 00:36)

が問題になっていて、貴方の宿題になっていましたよね。
日本は送ったんですか送らなかったんですか?
朝鮮へ朝貢したんですかしなかったんですか?
[55909] 脱亜の原因は小中華
名前:明石晶
日時:2009/12/12 06:15
>強い清国蔑視の言辞であふれています。ここでは「脱亜」意識の底にある朝鮮への執着を
>「何故か?」と読まなくてはなりませんし、そのような民族的な歴史意識の気負いといった
>ものが、どこに起因していたのかを解析して、後世に学ばなくてはならないと思います。


話は簡単。
あなたが未だに抱えている小中華主義。
この前時代的なレイシズムに当時の日本人は呆れたんだよ。

[55900] 国民はいつだって戦争の真実は知らされない
名前:李喜鳳
日時:2009/12/12 00:21
青木岳陽様。
アジアの近・現代史を、巨視的にみて、骨と筋のある論点を明快に書いておられ、
その広い知識と見識に圧倒されるようです。近代の日本を読むには当時の国際環境を鋭く
読まなければならないと思いますが…植民地争奪戦を繰り広げていた欧州諸国の内地外交、
続くアメリカ、また台頭してきた社会主義の問題、あるいは被抑圧民族の抵抗という緊張を
視野に入れなくては見ても見えないと思います。
>少なくとも日露戦争終結までは、日本政府は国家存亡の危機感を抱き続けていました。

そのとおりであったと思います。

ところで、国民はいつだって戦争の真実は知らされないことを肝に銘じたいと思うのです。

日露戦争の裏側を書かせていただきます。日露戦争回線を決めたのは1904年2月4日午後
の午前会議ですが、実は、その日の夜、伊藤博文は自宅に金子堅太郎を呼んで、
アメリカ大統領ルーズベルトに和平交渉の仲立ちを頼んでいるのです。
「私といえども成功の見込みはない。きみも博文とともに手を握ってあらんかぎりの力を
尽くしてくれ」と。つまり、戦争が開始されるときに、もう和平対策を立てていたのです。
何故か?金が続かない、とわかっていたからです。戦費は日清戦争の約20倍、200億円
にのぼり、そのために大増税の他、戦費の大部分を英米両国の外債でまかなわねばならず、
しかし、すでに日本の経済力は底をついていました。

そこで日本の政府首脳は、先制の奇襲攻撃によって戦局の主導権を握り、できるだけ早い時期
に講和を実現しようとのねらいを定めていたのですが、結果は想定外に長引きました。
結果、日本が戦勝しましたが…しかしロシアが「ここに戦勝国はなく、したがって戦敗国も
ない」といったように実態は寒々としたものでした。
この「講和条約」が新聞で伝えられると、国民は怒り…青木さんがご指摘のように
「日比谷焼打ち事件」がおこり、日本各地に「講和反対」の決議が続きました。

はて、さて、国民のこのような熱狂について、今日、冷静に読みなおししたいと思います。

2月10日、明治天皇のロシアに対する宣戦の詔書が下り、2月11日、
紀元節の日に知らさ
れると、国民は熱狂して、ちょうちん行列や旗行列がいたるところで繰り広げられたのです
が…国民は、前線で、兵隊や弾薬が圧倒的に不足しているとは考えもしなかったのです。

また日本の犠牲、陸軍のみで戦闘・非戦闘員として108万8,996人が使われ、死傷者20万人。

与謝野晶子が、旅順の弟に「君死にたまふこと勿れ」と明星に発表しました。

青木さんが、>「薄氷を踏む思いで日露戦争を講和に持ち込んだ挙句、」と指摘されて
おられる通り、日本政府は綱渡りをしたのですが、しかし、かくも煽られて臍を噛む、
またぞろ…という日本国民は学びようがないのでしょうか?

日清戦争は、日本が台湾を領有し、朝鮮を侵略する手がかりとなり、これが、やがては
日中戦争に突入する重大な一歩になりますが、この戦果も三国干渉(ロシア・ドイツ・フランス)
によって打ちのめされると、日本国民は、熱病にでもかかったように戦争論で沸きあがって
いくのですが…それにはそれなりの動機があります。

国民の焦燥感をあおるために、次々と国策として全国遊説演説が打たれていきました。
山県有朋: 施政方針演説「利益線=朝鮮防護のための軍備拡張論」

井上馨(はじめ)外相 「欧州的新帝国論」他…

しかし、1903年、ロシアの南下という危機が叫ばれ、東京帝国大学教授有志7人が桂首相に
意見書を提出したとき、陸軍大将谷干城(たに・かんじょう)は「彼らは実に国際の礼儀の
何物であるか知らない無法の徒と疑わざるを得ない。…いま、世間ニッ流布する日露開戦論
は、兵略上においてもまじめなものとは思えない」と嘆息し、首相がうなづいたとあります
が、どこへやら、です。非戦論者もいるにはいたのです。植木枝盛、中江兆民、小野梓、
他に儒学者、国学者…。年が下って内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦、吉野作造…他。しかし…。

また、新聞中央5大紙他地方氏も、対清対決熱、対ロシア対決熱を煽っていったのです。
当時の「朝野」「毎日」「報知」「時事」「自由」の論説は露骨な膨張主義のナショナリズムをもって、
強い清国蔑視の言辞であふれています。ここでは「脱亜」意識の底にある朝鮮への執着を
「何故か?」と読まなくてはなりませんし、そのような民族的な歴史意識の気負いといった
ものが、どこに起因していたのかを解析して、後世に学ばなくてはならないと思います。

青木岳陽さんは、歴史に明るい方のようです。微視的にとらえた上で
巨視的に読んで簡潔に書かれます。たいへん勉強になります。
是非とも、アジア史、世界史について今後も書いていただきたいと願っています。
[55702] 中国ドラマ「走向共和」
名前:青木岳陽
日時:2009/12/08 22:06
日清戦争あたりの中国の事情を描いたドラマに、中国中央電視台CCTVで2003年に放送された「走向共和」があります。さしずめ中国版「坂の上の雲」でしょうか。
この中に興味深いシーンがあります。北京の宮殿で西太后が海軍予算を流用して庭園造営に熱中し、連日連夜の宴会に明け暮れている(その頃、李鴻章が私費で!賄っている清朝の北洋海軍には、砲弾の代わりに石か何かが届いて戦争になっていない)一方、日本では明治天皇が一日一食を決意して、冷たい握り飯(中国人にとっては、冷や飯を食べることは考えられない)を齧っているというものです。
日本人のみならず、西太后や袁世凱、李鴻章など従来の「悪役」を多面的な人物に描いて議論を呼んだドラマでしたが、面白かったですよ。どなたか見られた方はありますか?
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