17日に実施された京都市長選は自民、公明、民主、社民が相乗りした京都市前教育長の門川大作氏(57)が共産推薦の弁護士、中村和雄氏(53)を破って当選したが、京都市長選では1989年に有力新人4人が戦い、共産候補が与党候補に321票差に迫って惜敗して以来の大接戦だった。選挙は終わったが、残ったしこりは大きい。国政で与党と野党が激しく対立する中、なぜ京都は相乗りになったのか、不信感はぬぐえない。
逃げ切るも固い表情が目立った門川氏(17日、京都市中京区で)
17日夜10時半過ぎ、大方のマスコミが大勢が判明するとした時間帯だ。しかし、いつもは、いち早く当確速報を流すテレビの生放送では各区での接戦が伝えられていた。中京区の門川氏の選挙事務所では、大票田の伏見区で中村氏を上回ったことから一時、楽観ムードが漂ったが、北区、左京区、南区、右京区では中村氏が門川票を上回り、緊迫ムードに包まれた。
カギを握っていたのは京都市議を辞して立候補した村山祥栄氏(30)だった。共産支持者が多く革新陣営が強いと言われている左京区で、中村、門川両氏を抑えて1万8,490票を獲得してトップに立った。去年4月の市議選でも左京区でトップ当選しており、この村山票が勝敗に大きく影響したと思われる。
村山氏は共産対、非共産という構図に疑問を投げかけ、政党主導の市長選を厳しく批判していた。行政不信や同和行政からの脱却を掲げ、「皆さんの手で若き市長を!」と若さとしがらみのなさを強調して連日、市内を駆け回って支持を訴えた。選挙戦最終日の地元・左京区での街頭演説では門川、中村氏より聴衆は少なかったのに、フタを開けてみれば最多の票を集めた。もちろん、村山氏に立候補する自由はあるが、もし同氏が立っていなかったら新市長は中村氏に決まっていたかもしれない。
弁護士や市民団体まで支持の裾野が広がった中村氏の街頭演説風景(16日、同市左京区で)
門川氏は民主党京都府連の主張によれば同府連が先に推薦を決め、自民、公明が後で相乗りしてきた、としている。しかし、有権者・市民から見ればプロセスはともかく、国政で激しく対立している双方が、市政レベルで手を結んだことには不信感を持ったに違いない。門川氏支持者の間でも「民主はだめだ。まとめきれない」という声が聞かれるなど門川陣営の「ねじれ」を感じさせた。
共産陣営も89年の接戦の記憶がよみがえったことだろう。この時は公明・民社
(当時)推薦、自民支持の田辺朋之氏が今回選挙よりもさらに僅差で、共産推薦の木村万平氏を振り切り逃げ切った。当時の新聞によると、同年7月の参院選で歴史的な惨敗を喫した自民党が、参院選後初の大型選挙で辛勝、「すべり込み自民ひと息」(朝日新聞89年8月28日付)となんとか面目を保ったことが伝えられている。だが振り返れば、この頃から93年に細川護煕政権を生む政界大再編の兆しが見えていたのだ。
市政運営での自公民の距離感は微妙だ(京都市役所)
これで関西の大型首長選挙はひとまず終わった。自民・公明陣営は大阪市長選では民主党候補に敗れたが、大阪府知事選では橋下徹氏という知名度優先の候補を立てて圧勝。与野党で1勝1敗だが、京都市長選では勝ち負けはない。結果的には与野党双方は胸をなで下ろしたとも言えるが、自民、公明、民主、社民の4陣営が共闘したのに、共産陣営と互角の戦いになったことは、今後にしこりが残り、市政運営にもぎくしゃくした関係が影響することは間違いない。そして89年同様、今後の国政でも与党が安泰とはいえない状況を暗示した選挙だった。
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