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憲法の本質は人権を守るため権力を制限することであると本欄で言ってきた。しかし、政治問題として最大焦点は9条であるのは間違いない(注・追記あり)。その9条論議に関して、衆院憲法調査会会長代理である枝野幸男氏(民主)が「集団的自衛権と集団安全保障の区別がつかないで議論している無責任な人がいる。ごちゃごちゃに9条の話をしている人が多い」と言っている。これは本欄で先に国民主権を取り上げたとき紹介した同氏のオープンミーティング(4月9日)でのことだ。(詳しくは同氏の「公式政策発信サイト」へ) なるほど、集団的自衛権と集団安全保障と言われ、一般国民でわかっている人はどれほどいるだろうか。簡単に意味を言えば、集団的自衛権とは、ある国が武力攻撃を受けたら、それを自国が受けたとみなして共同して防衛に当たる権利である。集団安全保障(集団的安全保障の表記も)とは、軍事的措置も含む国連による安全保障のやり方である。今回はこの入門編を書いてみたい。「わかっている」という読者には、ここまで読んでもらって申し訳ない。この先はそうでない読者のためである。まずは国会での実際の使われ方を見よう。 「集団」という言葉から生じる誤解 「日本国憲法は、そもそも国際連合による集団安全保障が機能することを想定して国際平和主義に立脚して制定されたものであります」「集団的自衛権は、何よりもまず、それが国連憲章五十一条の明文規定により、個別的自衛権とともに国家の固有の権利として認められていることを確認しておかなければいけないと思います」(05年4月6日、参院憲法調査会での民主党・直嶋正行氏の発言。詳しくは国会会議録検索システムへ) これを見て、集団的自衛権が国連憲章で認められている、では集団安全保障と同じではないかと勘違いしやすいのではないか。なお直嶋氏を引用するのは会議録で最新の発言だからであり、他意はない。直嶋氏自身は理解していると思うものの、一般国民に説明が不足しているのである。衆参両院の憲法調査会の議事録を見てもほとんどの議員が違いを説明していない。誤解は、「集団」という言葉が両方にあることから生じる。「集団」に対する「個別」の言葉を補うとこうなる。 安全保障とは (1)個別的安全保障 (ア)個別的自衛権 (イ)集団的自衛権 (2)集団(的)安全保障 (3)その他 「人間の安全保障」など 集団安全保障の「集団」は個別的安全保障に対するもので、集団的自衛権の「集団」は個別的自衛権に対するものである。すなわちコンピューター用語で言えばディレクトリが異なる。自分の国は自分で守る、あるいは同盟によるというのが(1)個別的安全保障である。19世紀まではこれがすべてだった。もちろん今世紀も根強い。これに対し、国際連盟から始まり、国際連合が原則とするのが(2)集団安全保障である。国際社会が一致協力して取り組む安全保障の仕組みである。 その集団安全保障を国連憲章が規定している。まず国際紛争の平和的手段による解決を求め(2条3項)、武力行使を慎むよう規定する(2条4項)。これが武力行使禁止の原則である。紛争解決の方法としては仲介や国際調停、国際裁判がある。ただし、例外で軍事的措置もある。平和的手段で不十分な場合、安保理が軍事措置を取るとし(42条)、加盟国は特別協定を結んで兵力などの提供義務を負う(43条)。いわゆる国連軍である。この場合の措置は「戦争」とは区別される。 もっとも、各国の思惑もあって、国連軍は実際に創設されたことはない。1950年の朝鮮戦争に際し派遣された「朝鮮国連軍」は安保理勧告による。実際の軍事的組織・活動は安保理決議で容認された多国籍軍、あるいは憲章6章(国際紛争の平和的解決)と7章(集団安全保障体制)の間にあるとよくいわれた平和維持活動(PKO)などがある。 安全保障のやり方としての例外もある。加盟国が武力攻撃を受けた場合、安保理が必要な措置を取るまでの間、「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」として、例外的に個別的自衛権と集団的自衛権を認める(51条)。これが上記の直嶋氏の言うものである。これらを整理すると、国連の安全保障は以下のように、ふたつの原則と例外でできている。なおこれは憲章上でのことであって、現実の紛争解決がどうなされているかではない。(国連憲章の条文について詳しくは国連広報センターのウェブサイトへ) (1)安全保障 原則:集団安全保障 例外:加盟国による個別的安全保障 (個別的、集団的自衛権) (2)紛争解決手段 原則:武力行使禁止 例外:(ア)国連による軍事措置 (イ)加盟国による個別的安全保障 (個別的、集団的自衛権) では、日本国憲法ではどうなっているか。9条がすべての武力行使を禁止しているように読める。しかし、いうまでもなく個別的自衛権は独立国ならば国民を守るため当然もつ権利とされる。政府見解も学説上も争いはない。自衛権発動すなわち実力行使のためには(1)急迫不正の侵害がある=違法性(2)ほかに手段がない=必要性(3)最小限度の実力である=均衡性、という3要件が求められる。で、集団的自衛権である。政府見解を次にあげる。 「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている」(1981年5月29日、稲葉誠一衆院議員に対する政府答弁書。防衛庁ウェブサイト内資料より) 国際法上、集団的自衛権は持っているけれども、憲法上、先の自衛権発動3要件のうち(1)のわが国への急迫不正の侵害がないので許されないとする。集団的自衛権は他国への侵害に反撃するものだからである。そして国連の集団安全保障への参加、具体的には国連軍への参加は、国連軍が武力行使を目的とするならば、集団的自衛権行使禁止などこれまでの憲法解釈から参加は許されない、としてきた。ただし、武力行使目的でないなら許されないわけではないともいう。そして、「参加」でなく武力行使と一体化しない「協力」ならば国連の平和維持活動に貢献できる、とする。 政治家は国民に分かりやすく語る責任がある こうした問題のほかにも国連加盟のときの憲章解釈や、国際法上の権利行使と憲法の関係、安保理常任理事国入りとの関係など論点はたくさんある。それらは省略するけれど、いずれにせよ、「集団的自衛権と集団安全保障」の関係は、解釈に解釈を重ねてきた。だから国連憲章で認められているから、集団的自衛権を行使してもいいのだ、というのはこれまでの解釈の根本からくつがえすことになる。「集団」の言葉からくる誤解と混乱だけだと済ませるべきではない。行使を主張するなら憲法改正が筋であろう。 さて、最近の政治家の憲法に関する発言を見つけた。自民党の安倍晋三氏が連休中に訪米して行ったスピーチである。安倍氏は、日本政府の集団的自衛権解釈について「色々な面で限界にきている」と指摘し、「我々の世代の責務の一つは、今までの政府解釈を変更して、行使を可能とすることです。それは結果として抑止力を高め、武力を行使する可能性を小さくさせることにつながります」と述べた。(5月3日、ブルッキングズ研究所で。詳しくは同氏のウェブサイトへ) 将来の政権をにらんで日米同盟強化の姿勢を示すねらいもあるのだろう。憲法論の面では、これだけだと解釈変更の考えのように読める。また、抑止力を高めるという理由が示されていない。専門家相手のスピーチなので省略した部分も多いのだろう。明確でないことが多いのでこれ以上の論評はしない。 言いたいのは、今後、安倍氏に限らず政治家が憲法問題で提言するなら一般国民向けにわかりやすく語ってほしいということである。冒頭に紹介した枝野氏も実践してほしい。国民の側もこれまでの積み重ねを可能な限り知るようにすれば議論に厚みが増す。この入門編は、それを願うものである。 ◇ ◇ ◇
◆注・追記
人権を守るために権力を制限するのが立憲主義憲法である。同時に国民の生命・財産、国土を守る国防は立憲主義憲法と両立する。本記事は、集団的自衛権と集団安全保障に話を絞ったのであって、「政治問題として最大焦点は9条である」というのは、そのことである。人権との関係はテーマの都合上、省いただけである。 ◆参考サイト 枝野幸男氏ホームページ 安倍晋三氏ホームページ 国会会議録検索システム 国連広報センター(日本語) 防衛庁 特集「国会ウオッチ!」 |