本年夏より六ヶ所村施設の本格稼動が予定されている、核燃料サイクルに反対している
生活クラブ生協埼玉 では、2月8日の午後に
肥田舜太郎 氏を講師に招き
「内部被曝について」講演会を行った。肥田舜太郎さん(
日本被団協 原爆被害者中央相談所・理事長/
全日本民医連・ 顧問)は、仮説ながら徐々に明らかになってきている低線量内部被曝の健康被害問題などについて語った。当日の講演を、以下に報告する(要約・補足・文責:筆者(青木智弘))。
(写真は、クリックすると大きくなります)
1.放射性粒子が体内に入るまで
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2.分子レベルでおきていると推定されていること
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3.肥田舜太郎さん
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すすまないヒバク研究
90歳になって私は、いよいよ、ヒロシマの被爆を目の当たりにした最後の医療者になってしまいました。被爆/被曝についての医療はすすんでいません。61年間もずーっと臨床でヒバクシャを診てきた医療者は私ぐらいでしょう。公立の病院ですと、大学から派遣される医療者は3〜4年で交代してしまい、ずーっとヒバクシャを診るわけではないのです。
そんなこともあって医者は、ヒバクについて正しく知っているとは言いがたいのです。医療の教科書にヒバクの問題は載っていません。いまだにアメリカの資料隠しも続いています。だから、原子力や核の平和利用の危険についても、人々は認識が甘いのです。危険について知っている人も、政府や企業の圧力があって、なかなか表には出せないのです。
放射線の健康被害は本来、いくつもの大学の研究室が集まって、何十人もの研究者がプロジェクトチームをつくり、何億もの研究費をかけて、体系的に解明すべき課題です。しかしそうはなっていないので、ほぼ手つかずの研究分野といってもよいでしょう。あまりに壮大なテーマなので、一生をかけて研究しようという人もなかなかいません。
ヒロシマの被爆
アメリカが広島に原爆を投下した際、人々にあのような大被害をもたらすとは、当時の米国軍人の多くには、あまり予測できていなかったのではないかと私は思います。原爆使用の第一目的はとにかく大量破壊であって、普通の爆弾などなら何万発とかかる効果を瞬時に上げたかったのでしょう。ところが原爆を投下してみると、未曾有の健康被害が長らくつづくことになったのです。
米軍の占領下では、被爆者の医療には壁がありました。被爆の被害について、米占領軍は知らせなかった。圧倒的なお金と人と力を使って米軍は調査はしましたが、その成果は医療にはいかされなかった。臨床医である私たちは、経験の蓄積から判断するしかなかったのです。
月日が経つに連れて不思議なことがおきました。直接、被爆をしていない人たちに健康被害が出るようになったのです。どうも体の調子が悪い、という人も増えました。当時、患者が病院にいって「わからない」と診断してくれる医者はまだ良心的でした。ノイローゼとか、病気そのものを認めない医者が、圧倒的に多かったのです。それくらい「健康被害はない」というアメリカの宣伝力が大きかったのです。真実につながる道が、日本人には閉ざされていたのです。
放射線の健康被害
放射線は人体に、急性被害と慢性被害をもたらします。後者について米国は、必ずしも予測していなかったと思います。急性被害は、瞬時に大量の放射線を浴びることでおきます。放射線は貫通してしまって、体内には残りません。急性被害をうけた人は、内部被曝もしていますが、数時間か数日で死亡してしまいます。やがて、直接は被爆していないのに、原爆後の広島に、家族や親戚を探しに来た人らが亡くなっていきました。
次に顕著になった健康被害が「ぶらぶら病」なのです。はじめの頃はノイローゼとよく間違えられました。今では、原発事故後に「ぶらぶら病」被害が出ることもわかって、海外でも認知されるようになりました。
「ぶらぶら病」は、被害者家族の命名です。広島に駐屯していた日本軍の兵士が終戦後に故郷に帰る。九死に一生を得た人が、30分も農作業できない、倦怠感で立っていられない、働けない、という状態になります。被爆後の街の瓦礫除去作業などに従事した人たちです。
いまでも、ふつうの人の疲労や倦怠は、そのメカニズムはわかっていません。人や医者は、経験的に疲労を、そしてそれが休息によって回復することを知っているだけなのです。
ですから当時、「ぶらぶら病」の人たちは病気とは見なされませんでした。仮病とかナマケ者とみなされてしまったのです。家族の人たちは「うちのお父さん、広島に行ったらナマケ者になって帰ってきてしまった」ということで、「ぶらぶら病」と言われたのです。
私たち現場の医者は、はじめ病名をつけられませんでした。はじめの頃は抵抗して「原爆病」と言っていましたが、それを死亡診断書に書くと埋葬許可がおりないのです。死亡診断書に書ける死因は、国際的な標準があって、それに外れるものは認められないのです。やむをえず、一時はちがう名前をつけていました。
私が診た顕著な症例は新潟の男性です。倦怠感には波があって、突然、急激に襲ってきます。健康被害者は、ヒバクしたことを中々あかしません。生命保険にも入れないし、就職や結婚にも差し支えます。診察の際に医者の前にきてようやく、ヒバクしたことを医師にだけ告げるのです。その男性もそうでした。
ヒバクを告げられれば私は、どこで、いつ、どうヒバクしたのかを細かくききます。その男性は問診中に疲れて、やがて頬杖をつき、つぎに床にあぐらをかき、やがては床の上に横になってしまいました。すわってもいられないのです。そういうことで演技をする人はいません。そういう人を見ることで、ようやく私は、ヒバクシャがだるい、働けないということがわかるようになったのです。
ひろがる「ぶらぶら病」
いまはアメリカやロシア、中国にも「ぶらぶら病」の患者さんがいます。
米国には、核実験の被害者、原爆製造の従事者や工場の周辺住民などに24万人もの被害者がいます。しかし、政府や医療者は一貫して、その存在を無視してきました。旧ソ連、中国、原発のある国には「ぶらぶら病」の患者さんがいますが、どの国も医療者も、一貫して原爆症を隠しています。
内部被曝は、外から見るだけではその健康被害がわかりません。働けないので生活困窮に陥ってしまいます。
1950年ごろまで、若い被爆者は家族を失って、孤児も同然でした。被爆者手帳が支給されるようになるまで、被爆者には戸籍も、配給手帳もありませんでした。だから飢え死にした人もたくさんいます。1952年までは、自分で被爆者であることを知らない人も大勢いました。
当時(1952年より以前)、14、5の少女が一人、福島の親類のところに引き取られました。しかし役場は配給手帳を支給してくれません。広島市出身者は占領軍の扱いになるというのです。しかし福島の進駐軍の事務所ではどうにもなりません。結局、配給手帳がないと、その子の食料は配給されませんから、親戚をたらいまわしにされ、やがて農家の後妻となります。ところがお嫁さんとしては、昼も夜も“おつとめ”はできないから離縁されてしまう。離縁されたら子がいた‥‥日本中のみんなが食うや食わずだった当時、そういう女性の行く末はきまっています。
彼女のような悲惨な人生を送った人がたくさんいるのです。大人も子どもも、ヒバクしたばかりに、人権を蹂躙された一生を送ったのです。
外部被爆と内部被曝
原爆の最初の犠牲者は、大やけどで亡くなっていきました。被爆3日目以後になると、謎の高熱や粘膜からの出血などによって、被爆者は亡くなっていきました。まぶたの裏からも出血する人もいますし、扁桃腺の細胞が真っ黒になって壊死する人もいました。
症状が悪化すると髪の毛も抜けます。ふつうの脱毛とは違うのです。患者さんの毛が、死の1〜2日前になると、すこし触れただけで、手についてゴソーっと抜けてしまうのです。髪がなくなるということが、女性にとっていかに悲しいことなのか、私は痛感しました。
急性の被害をうけた人は、最後は下血か吐血で亡くなります。
そういう慢性の症状が、やがては直接被爆をしていない人にも出るようになりました。はじめは伝染病を疑いました。でもちがいます。直接、高線量の被爆をした人たちは、内部被曝もしていたのですが、半年以内に亡くなってしまいました。
やがて内部被曝だけをした人にも、症状があらわれるようになったのです。1975年に私は初めて渡米し、米国の医師を通じて核実験の死の灰をあびて症状が出た人を知って、私は内部被曝の健康被害について確信を持ったのです。
内部被曝のメカニズム
今は「低線量の被爆に健康影響はない」「爆心2km以遠に健康被害はない」などという日本の厚生労働省などの主張も仮説にすぎません。原爆症認定の裁判で国側の証人は「脱毛は栄養失調でもおきる」などといいます。しかし、そうでしょうか。臨床医の私からすればそれはおかしいのです。軍医として、ニューギニアからの、すさまじい栄養失調の帰還兵を診たことがありましたが、脱毛はしていませんでした。
内部被曝のメカニズムも今はまだ仮説です。しかし、そうでないと説明のつかない現象があまりに多いのです。臨床経験から私は、内部被曝のメカニズムの仮説に立脚せざるを得ません。そうでないと説明がつかないのです。
原爆が炸裂した時、よく「きのこ雲」があらわれたと言われますが、その下にあったのは実は火柱です。(筆者:以下、写真1をクリックし、別ウインドウで拡大して見ながら、お読みいただけると幸いです)
図の上の黒いところが、土砂といっしょに舞い上がった放射性物質です。一部が黒い雨となって、一部は埃となって、放射性降下物は落ちてきました。その微粒子を吸い込むなどして、内部被曝の健康被害がおきたのです。
ウランの分子は、1ミリの60分の1です。ウラン分子を仁丹の大きさにまで拡大すると、おなじ拡大率で人体は富士山の9倍もの高さの身長になります。鼻の穴の大きさが2mなのです。そのような細かな世界でおきていることなので、なかなか証明がむずかしいのです。しかし、内部被曝のメカニズムの仮説を採らないと、説明できないことが多すぎるのです。
ヒトは、ウランの微粒子を吸ったのか、吸っていないのかもわかりません。肺、あるいは胃に入って、やがては血管をつうじて運ばれ、最後は体のどこかの組織に定着します。この段階では、ウラン分子は細胞の壁(細胞膜)はこえることができず、細胞間の体液にとどまっています(筆者:以下、写真2をクリックし、別ウインドウで拡大して見ながら、お読みいただけると幸いです)。
体液の中でウラン分子は、活性酸素とくっつきます。すると電離線を出し始めるのです。電離線が細胞膜に穴を開けてしまい、α線、β線、γ線が細胞の中に入れるようになります。活性酸素とくっついたウラン分子は、電荷が270万ミリボルトと、たいへんに大きいのです。
ふだん、ヒトの細胞は、酸素が10とか、炭素が3とか、小さな電荷の分子が活動しています。そこへ圧倒的に大きい電荷のウラン分子が入ってくるので、細胞内は分子レベルで大混乱に陥ってしまいます。そして、分子レベルで混乱した細胞は変異細胞になってしまい、やがて変異細胞群を構成するのです。
変異細胞群は、ガンになるだけではないのです。どのような形で発現するのかは、個体差があって、人によってちがいます。内部被曝の発症メカニズムなどは、分子レベルでおきていることなので、今の段階では、まだ仮説にすぎません。
しかし私の医療経験では、そう解釈をせざるを得ないのです。内部被曝説でようやく、説明がつくのです。
(次ページにつづく)
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