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政府審議会等の人選に見る「官僚」「中央」主権

土井彰2007/06/19
東京への一極集中の弊害について、今や話題にする人も少ない。しかし、このまま手を拱いて何もしないで、本当に日本はいいのだろうか。そして「クロスオーナーシップ」が先進国中唯一認められている日本では、一極集中化に対する大手メディアの責任は大きい。
日本 行政 NA_テーマ2
まるで官僚が「主権者」
 何か行政に問題があると、あるいは何らかの政策を推進したいとき、官僚はしばしば自分の省庁内に審議会等を設け、外部の意見を聞く。身内で決めると、とかくひとりよがりになり易い。それを防止するために第3者の意見を徴するとは、いいことだ。欧米では行政のどんな組織にもチェック機関が存在すると聞く。日本でもそういう機関が欲しいところだから、せめて審議会等で行政をチェックして欲しい。しかし、その委員の人選が、実は国民のためというよりは、自分たちの省益に沿ってなされているとしたらどうだろう?

 官僚とは本来、行政の専門家である。民主政治においては、国民が選んだ政治家が国民の意思を反映して政策決定をし、官僚はそれに従い、行政の専門家としてそれを執行する。ところが日本では、長年、内閣・与党と官僚機構が一体化した行政が行われており、選挙で選ばれてもいない官僚が、実質的に政策決定をもリードしている。これは明白に官僚の越権行為である。

 こうした実情を反映し、各省庁に設けられている審議会等の各種会議は、政策決定に至るプロセスのスタートを切るためだけの機関、そして官僚の隠れ蓑として機能する。これは丁度、道路公団といった特殊法人等の公益法人が、実際は官僚の天下り先、つまり国民(tax-payers)の支払った税金(taxes)を「食う」官僚(tax-eaters)の隠れ蓑、として機能しているのと同じである(参照:新藤宗幸「選挙しかない政治家 選挙しない国民」岩波書店)。

「中央」と「身内」ばかりの審議会
 行政改革で半減したはずの審議会。なのに、こういう「お上」が自称「第3者」の意見を徴する場が、今でも減るどころか、分科会、部会、小委員会、ワーキンググループと枝分かれし、大臣などとの私的懇話会、各種研究会等等も含めて、考えられるあらゆる名称で増殖し続けている。

 たとえば6月8日には、総務省が社会保険庁問題の検証のため検証委員会を立ち上げ、14日に初会合を開いた。その委員は、前検事総長を座長に、東京都社労士会長、早稲田大教授、東京大名誉教授、中央大教授、大東文化大教授、政治評論家の7名の由。

 いつも、発表された審議会名簿を見て(とくに地方から見て)感じるのは、日本の中央集権構造を反映してか、人選に著しく偏りがみられると思われること:いわく「東大出身者が多い」、「東京圏在住者が多い」、「官僚出身者が多い」、「兼任委員が多い」、と。

 試みに最近の他の人選も見てみると、10日に公表された厚生労働省の残留孤児支援有識者会議の座長は京都産業大教授。これは一見地方からの人選みたいだが、この人も確か以前は東大教授だったはず。

 しかも「お上」が第3者の意見を徴するときの「第3者」とは、実は「お上」を出身母体とする者が多い。

※編集部注:以下、関連記事
未来に責任取れるのか?天下り委員長が住民を「素人」「感情的」呼ばわり〜川辺川ダム問題の今(8)
穴あきダム提言は、「国交省OB」委員長の越権〜川辺川ダム問題の今(3)

 少し古いが2005年2月27日の朝日新聞報道によると、官僚出身者は副会長職につく例が多く、また兼任委員は全体の4割を占めている、という(さらに驚くべきは、委員長、委員ともに俸給月額は、その時点で114万6,000円という。毎日出勤するわけでもないのに、いくらなんでも年収の間違いではないのか?と疑ったが、本論考は委員手当ての多寡を論ずるのが目的ではないので、この件の議論はしない)。

 人選が役所の裁量でなされる以上、人選が東大を主とする東京圏在住者にばかり偏っていようと、「余人をもって代え難い人材」と言われれば、適切な判断材料をもたない部外者は引き下がるしかない。しかし、各省庁は国全体の行政を担っているのであって、東京圏の行政だけを担っているわけではない。従って、「たとえ地方に人材がいないとしても」、できるだけ地方からも委員を選ぶべきではないのか?それに、本当に「東京にしか」人材はいないのか?

「地方の視点」持つ人材の活用を
 私は、日本という「国」は、国民が金を出し合って作った互助組織のひとつである、と考える。そういう国の行政について、国会以外で、「国民の中から選ばれた代表」が第3者的に議論しアドバイスし、しかも国政への影響力をかなり行使できる数少ない場である各種審議会。その委員の人選が東京圏在住者にとかく偏っている、という事実は、国民国家である「筈」の日本という国にとって不幸なことである。官僚が政策決定にまで参画している、という実態は由々しいものと思うが、ひとまずそれは脇に置くとして、東京と地方の格差拡大が危機的な現在、せめて審議会委員の人選には、もっと地方の「人材」の活用をお願いしたい。

 国家権力もメディアも過度に東京に集中して、地方は衰退に瀕している。5月30日の新聞に、国立社会保障・人口問題研究所の都道府県別の2035年時点での人口の見通しが掲載されていた。結果は、気づいたまま羅列すると(1)人口は全体として13.4%の減少、(2)都道府県別では東京(と沖縄)を除いて45道府県で減少、(3)おおまかに見て、東京から離れるほど減少率が高い、(4)関東圏に拮抗していた「筈」の関西圏での減少率が関東圏のそれに比べてはるかに大きく、関西の地盤沈下は将来ますます進み、人口の東京(関東)集中が更に加速されるだろう、といったことが見て取れた。

 東京への一極集中の弊害が言われて久しい。もう今や話題にする人も少ない。しかし、このまま手を拱いて何もしないで、本当に日本はいいのか?と問いたい。東京をかくも一極集中で一人勝ちの都市にしてしまった犯人は、必ずしも上述した政府・官僚だけではない。本社機能を東京に集中させ、欧米先進諸国ばかりかお隣の韓国でさえ禁止している「クロスオーナーシップ」が先進国中唯一認められている日本で、新聞・テレビ・ラジオといった複数メディアの経営権を握り、全国に影響力を行使している朝日、読売、日経といった全国紙とNHK。私は彼らの責任も極めて大きい、と確信する。

 私がJanJan4月6日号での記事『私がNHK受信料支払いを拒否する「もうひとつ」の大きな理由』で主張したのは、「公共放送たるNHKについては、東京中央放送局以外に、せめていくつかの中央放送局を地方に作って欲しい。今のような、東京からの全国放送を中心として放送し続けることは、地方経済のみならず地方文化をも致命的に崩壊させる」という危機意識からである。東京圏に過度に集中してしまった権力機構と各種メディアの(意図しようとしまいと、結果としての)総がかりの力によって、江戸時代までは保持されていた地方分権による薫り高い文化力と経済力は、今や完膚無きまでに打ち砕かれようとしている。

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