|
山本義隆(やまもと よしたか、1941−) では、その全共闘運動はどのような歴史的意義、社会的政治的背景、思想的内実において展開されただろうか、以下はその概括である。 (I)歴史的背景 60年代国際際階級闘争における政治的局面の特徴は、60年代中期から本格化したベトナム民族解放戦争とそれに呼応した世界各国のベトナム反戦闘争を頂点にした左翼反体制運動の高揚という歴史的背景があった。例えば、ゲバラによる中南米の「第2、第3のベトナムを!」、アメリカのブラックパンサー、SDS、ウエザーマン等の黒人解放闘争や公民権運動。反シオニズム・パレスチナ解放闘争。フランス5月革命。西ドイツ赤軍、イタリア赤い旅団の非合法武装闘争、等の激闘が展開されていた。 日本においては、60年安保闘争以後、階級闘争は後退の一途をたどっていたが、苦闘の数年をへて、67年、三派全学連を主力部隊にした「10.8 佐藤首相べトナム訪問阻止羽田闘争」(デモ隊3000名激闘、京大生山崎博明虐殺)が、沈滞を打ち破る号砲となった。これを直接的な契機にして、新左翼諸党派傘下の全学連、反戦青年委員会に結集した学生・青年労働者は、ヘルメット・ゲバ棒で武装した「党派軍団」を先頭に、学生、労働者、市民、群衆がこれに合流して街頭叛乱−実力武装闘争を打ち抜いた。 68年の1年間だけでも、原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争。三里塚空港建設阻止闘争。王子野戦病院反対闘争。米タン列車阻止闘争。新宿・防衛庁・国会・大阪御堂筋等の街頭叛乱・騒乱罪適用……等の大衆的街頭反乱=実力武装闘争を展開した。その激闘を裏付ける数値としては、68年の逮捕者数3275名、翌69年逮捕者数9091名という数字が記録されている(福富弘美「治安弾圧とフレームアップ」、『流動』77年8月)。 (II)政治的背景 60年池田勇人内閣の「所得倍増」のかけ声とともに始まった日本の高度経済成長政策に伴う政治的経済的背景が矛盾を爆発させた。1.帝国主義的大学再編策の進行、2.インフレ基調、3.高まる中・上級労働力需要に見合う設備投資増大と授業料への転嫁、等の矛盾があった。より具体的には以下のような問題点を指摘することが出来る。 1.の帝国主義的大学再編に関しては、中教審答申、国大協路線=目的別大学・大学院大学構想を柱とした、資本主義的イデオロギー生産と管理操作態勢の再編強化、自治権の縮小と剥奪、カリキュラム改変等として顕在化した。大学キャンパスは、これまでのような学問の自由、真理探究、学園の自治を高らかに謳ったブルジョア的幻想の時代=「学の独立と真理探究の場」から、「実学・実用を修得する場」へと歴史的な変貌を遂げる過渡期となった。とりわけ、企業(産業)と大学が直結する産学協同路線に対しては、帝国主義的国家政策や、資本主義発展や、企業利益への奉仕・従属として、これを粉砕の対象とした。 2.や3.のインフレ基調と労働力商品化過程における矛盾に関しては、授業料の大幅値上げや大学進学比率の激変が顕著な例である。61年〜62年の大学進学比は男1/15人、女1/25人に過ぎなかったが、64年度には大学生数が100万名を突破し、70年度には大卒者人数が中卒者人数を上回るという学歴構成上の異常な逆転現象が生じた。このように、大学は資本主義イデオロギーと労働力再生産工場として大量の中・上級産業予備軍を排出させ、それに伴う再編過程における矛盾を胚胎させることになった。その内容は、以下に列挙する闘争スローガンに集約される。 「帝国主義イデオロギー生産工場拒否」 「産学協同粉砕」 「産業予備軍養成拒否」 「帝大解体−大学解体−自己否定」 「反大学−自主講座」 「中教審答審−目的別大学・大学院大学構想反対」 「大学・寮・学館の管理運営体制強化反対」 「インフレ対策−授業料値上げ阻止」 「登録医・インターン制改悪反対」 (III)闘争の契機と実態 全共闘運動の前史とも言うべき、全国学園闘争は60年代中期から自然発生的に始まり、やがて遼原の火のように全国を席巻した。 64年 慶応大学(学費値上げ) 65年 高崎経済大学(不正入学)早稲田大学(学費値上げ、学館管理運営) 66年 明治大学、中央大学((同)、医学連・青医連(インターン制廃止、無給医の有給化) 67年 法政大学(処分撤回)、国際基督教大学(能研テスト入試採用反対)、立正大学(学友会費の凍結) 68年 日本大学(学園民主化) このように全国学園闘争は、実にさまざまな個別的課題を契機にして展開され、大学叛乱−全共闘運動として全国に波及し、70年安保・沖縄闘争へと大合流ていった。 |