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小泉純一郎という名は約束を守った人として永く記憶されることだろう。 麻生太郎を最後の船長として、今、自民丸が小泉純一郎の公約通りに沈みつつある。 船長を変えれば、この沈みつつある船は沈没を免れるのだろうか。 浸水の原因も分からず、船長を変えてみても無理なような気がする。 しかし、乗組員は必死である。何が何でも船長を変えたい。 沈みつつある船の乗組員の混乱たるや目を覆うばかりである。 船長を変えるにしても。船長に相応しい人材はいるか? マスコミは舛添、与謝野、石破、小池などを挙げるが、果たしてどうだろう。 舛添は薬害肝炎訴訟で原告の福田衣里子さんに『大臣は全面解決に向け、一生懸命、頑張るといっていた。期待を持たせるだけ持たせて…。もてあそばれた』と言わせた人であること忘れてはならない。 薬害肝炎訴訟の全面和解は福田康夫総理の政治決断で成ったのであり、決して舛添大臣の決断で成ったのではない。 覚えておくべきところを忘れると、涙は涸れ尽きてしまう。 石破大臣の能力は既に防衛相として、農水相としての実績から分かっている。 行く先々で露見した公務員汚職にどれほどの改善策がとられたのだろう。 この人の下で官から政への実現は難しかろう。 与謝野大臣は最初から最後まで内閣の足を引っ張った。大臣の矩を越えた発言は各閣僚に蔓延し、首相が誰か分からなくなるほどに、著しく総理の権威を貶めた。 自分の選挙が危ないと見るや「あなたでは戦えない」と足を引っ張る。 小池百合子は華麗なる遍歴故に信用の点で不安がある。イラク戦争加担に対する総括もほしいし、簡単に刺客を引き受ける人柄には不安すら感じる。 自民党の混乱は人材払底の現れである。 老いにも若きにも人材がいない。 人がいないからこそ、古賀も東国原に走ったのだろう。それを諫める人もいない。 しかし、世の中、苦しければ何をしてもよいなんてことは許されない。 その人が恥をさらした責任をとると言っているのに慰留しようとする。 そんなことだから、非常識な理屈を永田町の論理なぞと揶揄される。 永田町の論理なぞある筈はない。あるのは只人の道、物の理だけである。 古来人は飾り物に塗りものをして、美しく見せ、長持ちを図ってきた。 人の生活には飾りや鍍金(めっき)も必要である。 ただ、塗りが悪ければ長持ちがしない。 そこで必要なのが塗りの善し悪しを見極める眼力である。 「騙される方も悪い」とは、よく使われる言葉だが、これは他人に使う言葉では無い。 「騙されないだけの眼力を養え」という自戒の言葉である。だから、もちろん「騙された者が悪い」のではないこと当然である。 人の力はいずれ分かる。 時の力は怖い。時が経てば経つほどに、飾りは風化しはげ落ちる。 時に晒して無能力を露わにする人もいれば、隠れた能力を顕わす人もいる。 今、麻生の鍍金がはがれて、「選んだ方も悪い」と自戒する者はいない。 みんな、麻生のせいにして、自分は溺れまいとしてもがいている。そこに国民の目線は無い。 若い者は仕方ないとしても、長老からこのざまだから救いようがない。 確かに、麻生にリーダーとしての資質が不足するのは否定し得ない。 確かに内閣出発時の環境も悪かった。弱小派閥出で周りの顔色を伺わなければならないことも分かる。 しかし、それを割り引いたとしも能力不足は否めない。 それは事実としても、もう少しかばいようもあったのではないか。 と言うのも、マスコミが挙げる麻生の次が麻生を超えるとは、とても思えないからである。 麻生の不評は小泉・竹中政治から一歩も脱却できなかったことにある。 国民がこうも苦しんでいる元をたどれば理念なき改革にある。理念なきとは言葉を変えれば何でもあり、と言うことである。 国民は何でも有りは、もう嫌だと言っているのである。 麻生内閣は小泉・竹中政治の負の遺産の責任を一身に背負って、今まさに沈もうとしている。 今、小泉にはそれがよく分かっているのだろう。だからこそ様々な弱気発言も出てくるし、待望論にも乗れないのだろう。 そこが分からず、麻生降ろしに狂奔しても流れの変わる訳がない。 そこが分からない自民党議員は、ゆっくり時間をかけて勉強し、出直してもらうより他ないだろう。 |