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21日、さいたま市のカルタスホールで「子育ち学フォーラムin埼玉−ちょっとヘン!?今どきの子育ち環境」(主催 子育ち学ネットワーク 後援 コミュニティケア活動支援センター)と題した会合が、開かれた。 「子育ち学ネットワーク」は社会教育を研究・推進している「社会教育研究全国集会」の中で、こどもについて30年以上の交流・研究を行っていた「子ども分科会」から出発し、現在は「育ちの上で困難な現実に直面している子どもたちに寄り添い、子どもたちの自己実現を支援する本当に有効な方法を、実践に根ざすアクションリサーチによって明らかにする」ための組織。 今回の「子育ち学フォーラムin埼玉」の趣旨は、次のように述べられている。「少子化が叫ばれるなか、いま改めて「子どもの育ち」に注目が集まっています。子どもたちの健やかな育ちを願って、地域レベルでもさまざまな取り組みが行われています。 でも…ちょっと考えてみると、『これって本当に子どもたちにとってプラスになっているの?』と思ってしまうような取り組みや社会環境も身近にありませんか? このイベントでは、『給食」『安全』『個人情報保護』の三つのテーマを取り上げ、関係者の証言をもとに『本当にこれでいいのか?』みんなで考えていきます」 この3つのテーマが、ラウンド制≠ナ、討議された。 まず、「ラウンド1 給食の役割はもう終わった!?」では埼玉県・鷲宮町の子育てを守る会から鷲宮町での「弁当の日」制定について、問題提起があった。昨年秋の同町議会で、栗原昭文議員(現 同町議会議長)提案の「学校給食に弁当の日を設ける」とする決議が採択された。その内容は「食育として学校給食の日を減らして、代わりに町の制度として母親のつくったお弁当をこどもに持たせよう」ということ。詳細は下記の「鷲宮町議会便り」にある。 「学校給食に弁当の日を設けることについて」鷲宮町議会便り 提案者の栗原議員は、この決議について議会で次のように補足説明した。 ------------------------------------------------引用開始 朝食を食べない子供が多く、中央保育所でも多くの子供が腹をすかせながら保育所に置かれ、泣き叫ぶ。学校へ行く子供も、母親が寝ていて、朝食を食べないで出ていく。こういう現象は、個々の家庭の独自の問題ではあるが、保育所給食、学校給食なりで給食が出てくるということが前提となっており、給食を当てにしている結果であります。何度も言うように、食事は家庭が責任を持ってやるもので、第三者が関与するものではないところであります。(中略) 弁当を持って来れない子供のことを考えたら、給食制度は欠くべからざるものであるとの認識が一般的で、学校教育課長も答弁でそのように言われており、給食制度を正当化しようとしていますが、先ほど来、申し上げているように、食事は個々の家庭や個人の自由選択が原則であり、ドイツでは、給食制度に対し、個人の権利を奪うものとして大反対した経過があります。弁当をつくれない理由が、経済的であろうと、女性の社会進出による時間不足が原因であろうと、これらはすべて個々人にかかわるもので、第三者には責任はないものであります。BMWを持とうが、軽四輪にしようが、個々人の選択自由があり、それぞれの生活レベルなり価値観なりに基づき選択するもので、経済的背景の理由により第三者である学校がこれを補完する義務はありません。サラリーマンも、コンビ二弁当の人がいるし愛妻弁当の人もおります。これらはすべて個々人の生活の問題であります。自分の腹を痛めた子供に対し母親がどう対応するかは、母親の責任であります。 -------------------------------------------------引用完了 埼玉県北葛飾郡鷲宮町町議会の議事録より この決議に対して、鷲宮町の子育てを守る会は「学校給食に弁当の日を設けることについての決議撤回を要求する陳情書」を議会に提出した。 同会が決議撤回を求める理由は、下記の陳情書の通り多岐にわたるのだが、主に「弁当をつくることが親子の会話と愛情を育むから給食を少なくして、母親が弁当をつくること」を議会決議で決めた点と「事前に、町内の小中学校に子どもを通わせている世帯や、教育機関、給食施設等に何のリサーチも行わず、一議員の個人的な見解で出された議案」であることへの批判であった(参照 「学校給食に弁当の日を設けることについての決議撤回を要求する陳情書」) この問題には多くの意見が出されたが、「弁当の日を制定すれば、親子の愛情が生まれる」的な短絡した発想や、男女共同参画の時代に「母親の責任」のみを強調する栗原議員の意見や、それを議会が決議したことへの批判が多かった。また、この決議についての栗原昭文議員の一連の発言は、単に一地方議員の資質の問題では済まされず、民主主義や憲法を踏みにじるもの、と危惧する意見もあった。 「ラウンド2」は、「本当に必要?子どもの安全対策」。「安全」の名分の下に、こどもに声をかける人を疑うような他県の青少年補導条例などが論議され、条例だけで安全を保とうとする動きについて批判が寄せられた。 また、「ラウンド3 個人情報保護で顔が見えなくなる?」では、個人情報保護法で保育園の父兄連絡網が作れなくなるなどの問題を論議、こどもが育つには周囲の相互理解と交流が必要であり、そのためには「連絡網を作らないことでトラブルが防げることよりも、連絡網があって解決することが重要である」とする意見などが多く出された。 今回の論議に共通するのは、子育ちにおいて「法律や条例という制度」を優先させて、「地域や人と人の関係」を規制するようでは、こどもの「健全育成」はおろか、子育ちに問題を引き起こしかねないことへの懸念である。 現在の社会状況では「安全」「個人情報保護」は重要であるが、その対策のためにこどもの成長が阻害されかねない事態は問題であり、制度を定める際にはこのことに留意しなくてはならないのではないか。特に、狭い地域で権力をふるうタイプの地方議員はこのことを留意する必要がある。 こどもは親の背中をみて育つのだから、大人は対策を考えるときにも「これって本当に子どもたちにとってプラスになっているの?」という問い直しが必要である。 (筆者註) *これは、埼玉県北葛飾郡鷲宮町で2005年9月に開かれた町議会の議事録(写し)です。町立図書館で、9月議会の議事録が閲覧・コピーできます。ここに掲載したのは、その鷲宮町議会9月定例会議事録P410〜P438です。(ウェブサイト−決議「学校給食に弁当の日を設けることについて」の議事録) 関連記事 子育ち−第4回子育ち学全国フォーラム |