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2月26日午後、「調布・子どもと教育を考える市民会議」主催の「靖国神社を知る会」に参加した。冷たい雨が降る中、小学生を含めた18名の参加者。戦争遺跡保存全国ネットワーク運営委員の東海林次男さんを講師に迎えた、靖国神社現地での学習会だった。ひとりで行くと殆ど見過ごしただろうことを、ご自身で収集された多大な資料を広げて熱心に説明してくださった。 九段下の地下鉄をあがって九段会館へ向かう。昭和9年に旧軍人会館として天皇から当時5万円拝領して建てられたという九段会館で、北の丸公園、靖国神社の大鳥居を眺めながら、軍隊と靖国神社の関係から話しは始まった。 九段の坂を上ると、大鳥居に向かって、右に「靖国神社」の社号標がある。言われなければ気づかないが、石碑の文字のバランスはおかしい。本来は、「靖国神社」の上部に神社の社格を示す「別格官幣(べっかくかんぺい)」という4文字が2行刻まれていたという。1946年の社格廃止に伴ってその部分が削り取られたそうだ。別格官幣というのは、勤皇忠死、顕著な功績のあった人臣を祭神とする神社の社格で、国家を守るために命をなげうった国民が、祀られることである。だから、西郷隆盛は、西南戦争で賊軍となり国軍にはむかったというので祀られていないと聞き、へんに納得できた。 大鳥居の手前には、狛犬が一対ある。日本の神社でよくみる狛犬は阿吽の口をしているが、ここでは、2つとも口を大きくあけ、子どもの獅子が背中に乗っていたり、「お尻の穴がある」と教えてもらってみんなで後ろに回って眺めた。なかなかの愛嬌ものである。靖国神社百年史によると「明治28年、山県有朋が清国海城三覚寺より譲り受け奉納―寺から譲り受けて明治天皇に献上、天覧後靖国神社に置かれた」とあるが、当時の雑誌(※編集部注)では、「日清戦争時、遼東より捕獲し来たるものなり」の戦利品の記事が掲載された。海城は清にあった寺という。 休憩所を過ぎた第二鳥居前には、大燈籠が2対あるが、これは、富国徴兵保険相互会社が「創立10周年並びに保有契約3億円達成を記念」して奉納されたものだそうだ。当時の3億円ってとてつもなく大金だからこんなに立派なんだと大きなため息をついてしまった。向かって右の燈篭には、海軍関係のレリーフが、左には陸軍関係のレリーフが装飾されている。そのため1947年には、いったん東京都教育局の指示でコンクリートの扉で封印がされたが、1957年には、コンクリートが剥がされ現在に至っている。 第二鳥居をすぎると、菊のご紋が立派な神門がそびえているが、その門も「奉建 第一徴兵保険株式会社」「昭和9年6月1日上棟 昭和10年10月18日竣工」と扉の裏側の止め金具に書かれていることから、第一徴兵保険株式会社の契約が5億円に達した記念に建てられたものだという。 上記2社は今でいう富国生命と旧東邦生命である。 1歳から15歳を対象に保険をかけ支払い金は、当時徴兵は抽選で入営していたから儲けられ、その後、日中戦争の拡大で入営者が激増したためこの抽選制が廃止になり保険会社もたちゆかなくなったという。 戦争で儲けた保険会社からの献納物をみて、遊就館にはいった。戦争博物館の展示とドキュメント映画『私たちはわすれない』には、早春の寒さがひとしお身にしみた。 東京の開花宣言の基準となるのは靖国神社。あの日の桜の寒々しさを思いだしながら、桜には罪はないよなと、WBCの野球観戦できる喜びにひたるこのごろである。 ◇ ◇ ◇
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靖国参拝問題 リンク集 靖国神社の献灯は公職選挙法違反ですよ 引揚者の眼から見た中国の「反日」〜小泉首相の靖国神社参拝が嫌われるわけ ※編集部注 記事中の東海林次男さんからのご指摘を受け、※の部分を訂正いたしました。引用文献は「風俗画報臨時増刊『新撰東京名所図会』第17編」(1898年)です。 |