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いじめ対策、いま何をするべきか

山口一男2006/10/25
わが国ではいじめについて、以前より問題視されているが、根本的に減らすには、人の痛みを分かる子供に育てることが基本だ。
日本 教育 NA_テーマ2
 最近いじめによる自殺と思われる子供の死があいついでいる。一方、文部科学省の統計では1999〜2005年の児童生徒の自殺件数935件のうち、いじめによるものは0となっているが、読売新聞(10月20日)が実際には、その間、いじめを苦にした児童生徒の自殺は実はあいついでいたと報告している。

 いじめに対する非難を遺書に示したケースですら、いじめによる自殺と分類されなかった理由をある県教委は「自殺との因果関係がわからない」からと説明する。文科省には自殺の原因を「いじめ」でなく「友人との不和」と報告したという。これは詭弁である。「因果関係が分からない」ことを問題にするなら、「友人との不和との因果関係」も同様に分からないはずである。

 一般に自殺について単独の原因である場合は極めて稀である。例えば自殺者の90%近くは鬱状態にあるという(なお、鬱病は特殊な病ではなく、全女性の場合は5%が人生の一時期に患うといわれ、けっして少なくない病である)。「自分は生きるに値しない、人生は辛すぎる」と思う期間が一定程度続いているのが普通である。では自殺の90%は鬱が原因とすべきかというと全くそうではない。遺伝的に鬱病の人以外は鬱になる原因が何かあり、例えばそれがいじめであれば、根本原因はむしろいじめであると見なすのが正しい。

 一般に自殺の原因は関連したと考えられるものすべてを原因の一端とすべきであり、文部科学省の分類はもともと単独原因の特定は困難な自殺をあえて単独原因に分類することで、結果として教育関係者の責任問題が生じるいじめによる死を実際より遥かに少なく見せようとしているといえる。社会保険庁が社会保険未納のケースを非該当に分類して、問題の程度を少なく見せかけていたこととどこか似ている。

 わが国ではいじめによる児童生徒の自殺の分析は事例研究ですら少なく、本格的研究は全くないが、英国では1年に平均約16人の児童・生徒が、いじめにより自殺し、重要問題視されてきている。過去にいじめにあった児童生徒のうち40%は自殺を考え、20%は自殺を試みたことがあるとキッズスケープ(英国の被害児童支援団体)は報告している。自殺はいじめの氷山の一角に過ぎない。

 いじめを意味するブーリングとスイサイド(自殺)ホミサイド(殺人)など「殺し」を意味する「サイド」という語をくっつけた「ブーリサイド(いじめ殺し)」という名の本も出ている。ニール・マーとティム・フィールドの共著による2001年に出版されたその本は、いじめに遭いやすい子は、自らは攻撃的傾向が少ない優しい性格で、対人関係の問題は話し合いで解決しようとする傾向があるが、暴力をふるっていじめをする側に、むしろ付け入る隙を与え、執拗ないじめにつながることを報告している。

 また、話し合いが成り立たず、自分へのいじめが長期にわたって続くことを、いじめられる子は次第に自分自身への怒りへと転化し、それが自殺に結びつきやすいことが報告されている。その反対にいじめをする子供は罪の意識が希薄で、いじめをしていること自体を否定する傾向が強いという。

 わが国ではいじめについて、以前より問題視されているが、根本的に減らすには、人の痛みを分かる子供に育てることが基本だ。この点で教育の見直しは重要であるが、どのような社会でもいじめをする子供が一定程度いることを考えると、むしろ当面の対策は2つである。

 1つ目は、問題を過小評価し、責任を避けようとする学校や各都道府県教委の体質を根本的に改めさせることである。統計の取り方のような基本問題も含めて、問題を直視し、被害児童のケアと支援を優先する体制を作らねばならず、そのため、各公立小・中学校に民間からも募って「いじめオンブズマン」を任命し、いじめ問題の解決には校長以上の決定権を持たせることが考えられる。

 2つ目はいじめを受ける子供への救済制度を作ることである。いじめをなくすことができなくても、いじめを受ける子供を救済することはできる。もともと非暴力的で優しい気質の子供に、いじめに抵抗せよとか耐えよというのは無効な手段である。彼らに必要なのはいじめの原因となる子供たちと即、引き離されることである。

 例えば全国にいくつか全寮制のいじめ被害者児童生徒用公立小学校・中学校を作り、いじめの被害にあっていると訴える子供は、希望すればその学校への転学をすぐに許可し、またすでに受けた精神的トラウマのケアのカウンセリングもし、事態が悪化することを防ぐことが必要である。

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[22693] 三上三太さま
名前:山口一男
日時:2006/11/05 04:48
「積極的暴力」は犯罪。これを学校が意図的に黙認・隠蔽したら学校は共犯で、被害者に対する民事責任は当然として刑事責任もあると思います(法律の専門家ではないので100%確実ではないですが)。問題は、「消極的暴力」ですね、現在では、これが犯罪とは認められず、にもかかわらず、執拗な消極的暴力は、被害児童の神経を完全に参らせます。この消極的暴力はいわゆる、セクハラとか、パワハラとかいう、ハラスメントの類ですから、そういう意味での犯罪に順ずる行為だという認識が必要です。いじめは英語でBULLINGですから、「ブリハラ」とでもいいましようか。「ブリハラ」も犯罪の一種だ、そういう認識を社会通念にしていきたい、そう思います。
[22692] いじめの原因
名前:山口一男
日時:2006/11/05 04:26
木林光長様
  お子様の経験のある意味で貴重な(お子様は大変だったでしょうが)報告をありがとう。きっといじめた日本人の子は、一方で日本人への仲間意識がなく、他方でアメリカの学校で自分が日本人でアメリカの学校で「お客様」で大事にされていたという一種の特権的地位が、同じ日本人でお客様である貴方のお子さんの登場で脅かされたと感じた狭量な子なのだと思います。心の狭い人間がいじめに走る傾向は、よく知られています。
  DNAうんぬんはともかく、日本になぜいじめが多いのか。これはもっと真剣に考えられて良いと思います。いじめは昔からあったけれど、現在はより多く内容もひどくなった気がします、日本にも「弱いものいじめをするな」という道徳もありましたが、現在はほとんど死語同様です。実は米国と英国では同じ英文圏でも、ずいぶん違うように思います。いわゆるいじめは、英国には結構多く、米国ではほとんど聞かない。アメリカではいじめをするものをCOWARDと見る傾向が強いし、次第に人々の多様性を良いことだと思いそれが定着した(人種差別がひどかった昔は全くく違っていた)ことも大きいと思います。英国とそこが違うということでしょうか。いずれにせよいじめは社会・文化のありかたによってずいぶん違ってくると思います。

 
   

[22680] いじめは暴力です
名前:三上三太
日時:2006/11/04 19:04
いじめは積極的暴力と消極的暴力に分けられると思う。積極は殴る、蹴る持ち物の隠匿,消極は無視メール攻撃、噂を広めるなどであるが、こんなの毎日続けると鬱になりますよ。学校や社会にいじめは暴力の前段であるかのように言う人が居るがこれは暴力とハッキリ言いたい。学校も教育委員会も犯罪隠しに協力又は自らいじめをしている点から共犯者である。子供のすることだからと軽んじられる方は正義を語る資格はない。それを言うなら小さい頃から正義感をつぶされ、集団に対する帰属意識を植え付けられる。これが個性を育む教育か。もうすでに学校は無法地帯になっている無理していく必要性のないところである。いっておくがこどもといえども、大人を見切っている、大人特に先生に取り入る術は本能的に身に付いている。大人よりずる賢い子も多い。中学になれば法律も熟知している子も多い青少年法はすでに逆手に取られている「鑑別所では大人しく反省している顔をしてたら判決は緩い。」なめられているのですよ。戦後に出来た飢えた子がぬすみをしても無理からぬと言う法律がいまは甘えの構図を産んでいる。時代はとっくに変わった小さい犯罪から芽を摘まないと犯罪大国に成る。
[22647] アメリカでのいじめ
名前:小林光長
日時:2006/11/02 14:35
我が家族が、シアトルに移り、子供たちの学校生活が始まりました。家族で最も活発な長女が小学校3年生で、当然英語も全く出来ないため、担任の先生は、クラスでただ一人いた日本人の女の子を友達兼通訳としてつけてくれました。
ところが一月もすると、いつも元気な長女が、”お腹が痛い”と言い出し元気も無く、学校に行きたくないと言い出しそういった日が何日も続きました。どうも彼女らしく無いので、理由を聞いてみると 通訳として付けてくれた女の子が、その独占的立場を利用してでたらめの通訳をしたり、先生から生徒えの伝言も伝えなかったり毎日そういったことが続き、本人も全くクラスについていけず、そのうち体と精神と両方でつらくなり、学校に行きたくなくなったとの事でした。
親として我々は早速、先生に実情を伝え、その日本人の子供から離してもらうようお願いしたところ翌日から実行され、すると娘も数日で本来の彼女に戻り、その後、高校を卒業するまで、全く何の問題も無く楽しく卒業に到りました。
私はこの経験から、私個人としては、いじめは日本人のDNAとして
脳の中に組み込まれているのではないかと信じるようになりました。年齢に関わらず、村八分 といういじめのセンスが、長い間の島国で培われてきたのではと、全く科学的な分析ではありませんが、信じるようになりました。アメリカでの4人の子供たちは、これ以外一切いじめと言うものを経験せず、本当に充実した学校生活を高校卒業まで送ることが出来ました。
いじめとは強い立場にあるものが、弱い立場にあるものを、いじめると言うものであり人間として最も恥ずべきものと私は思っています。職場でも社会でも、日本社会のいたるところで起こっていることで、こと学校に限ったことでは無いと理解しています。
[22644] 同感です
名前:山口一男
日時:2006/11/02 10:34
中村眞樹子さま
 教育のという言葉の意味を深く考え直す。全く同感です。教えるということ、まして育むということ、決して簡単なことではありませんが、その意味を問い続けながら、役割を担う人なら子供を預けられるでしょう。子供の痛みを想像しようともせず、「からかいやすかった」というような人ではお話にもなりません。
山口
[22537] いじめと文化的不寛容
名前:山口一男
日時:2006/10/27 03:00
安住るり様
  いじめや差別には様々な種類がありますが、その大きなグループの一つに「文化的不寛容」によるいじめ・差別という種類があります。文化というと大げさ聞こえますが、「自分たち」と違う価値観や才能を持っていると感じる者に対し、そういう「文化」が影響を持つとが自分たちの秩序や侵される、あるいは相対的に地位が低められる、と漠然と感じることから来るいじめや差別です。安住さんの本好きのご長男への嫌がらせは、そういったものであっただろうと思います。中学校でのいじめの一例ですが、数学が得意で教師に指されると他の生徒ができない問題を解いてしまう男の子がいました。その子へのいじめは執拗な嫌がらせという形を取り、その子が難しい問題を解くと、何人かのクラスメイトがその問題の解き方を教えろというのですが、何度説明しても何日も何日も同じ問題の説明を要求するのです。ついには男の子がねをあげて「もう十分説明したから嫌だ」と断ると、「偉そうに振舞う」とかの罵倒がきます。そういったことが、その男の子が難しい問題を解くたびに起こり、結局男の子は教師に宛てられても答えないようになり、数学が得意な自分自身の才能を呪うまでに至ってしまったというケースでした。


  日本で多くの帰国子女が自分たちの英語の発音を隠し、クラスで読むことを指名されてもわざ和製英語の発音で読むようになることはよく知られています。他の人ができない発音をできること自体が、いじめの対象となるからです(英語教師がいじめに参加していたという事例もあります)。いじめや差別があるのは初等・中等教育にとどまりません。もう20年ほど前になりますが、上智大学を卒業して米国の大学院に留学していた学生が、上智には「半ジャパ」と「変ジヤパ」という差別語があるといっていました。「半ジャパ」とは日系アメリカ人の留学生で、「変ジャパ」とは「僕のような帰国子女」のことだと。大使館員の息子で海外生活の長かった彼は、上智での体験で日本は大嫌いになり将来米国の市民権を取って移住するつもりだといっていました。現在の上智大学のことは知りませんが、もうそういう差別語が死後なっていることを願います。私自身は米国生活が長く、特に最近は日本を懐かしむ点も多々あるのですが、こと文化的不寛容とそれにともなういじめ・差別については、従来多民族国家で個性を重んじる、米国のほうが日本より遥かに少ないと思っていました。しかし9:11以来、米国では回教徒への反感・敵意が強まり、この点若干怪しくなったと感じています。でも、読書や数学に没頭する子供に対しては、ナード(社交的でなく退屈な奴)という一種の差別語はありますが、いじめや執拗な嫌がらせに至ったというエピソードは米国ではまず聞いたことがありません。
[22521] 文部科学省の写真について
名前:安住るり
日時:2006/10/26 15:18
「いじめ」のことは、いま30歳過ぎて元気でいる長男が小学高学年のときに、本ばかり読んでいる変わった子だったせいか、何人かから嫌がらせを受け、私も母親としてうぶだったために、こちらに問題があるのだろうかと悩み苦しみ、思い切って相手の母親に事情を話すと、アッケラカンと「あらそう?」みたいな感じで、いじめられる辛さは、経験しないと絶対分からない、と思いました。


校長はお定まりの「わが校にはイジメは存在しません」一辺倒で、何の助けにもなりませんでした。別の学区の中学への進学を希望しましたが、イジメを認めることになるので、校長は教育委員会に特例の依頼を繋いでくれませんでした。

仕方なく、隣町の親戚に寄留して、小学校で苛めた子供たちと出会わないようにしました。


「老人社会」でのイジメについての記事も出ていますね。「会社」でもあるでしょう。
ソコ以外に居場所がないと、逃げ場がなく追い詰められてしまい、自殺ということにもなるのでしょう。


「教師」の自殺、「こども」の自殺は、あきらかに昔より増えているのではないでしょうか。『学校』が牢獄や軍隊のような場所になってしまわないために、どうすればいいのか、「学力」や「教育基本法」を云々する前に考えるべきでしょう。



さて、写真は虎ノ門の古い文部省の建物ですが、現在建替え工事中で、5年後くらいに高層ビルになるようです。いまは丸の内南口の中央郵便局の向かい側の「三菱ビル」の皇居側に間借りしています。


三菱ビルの中を向こうまで通り抜ける手前ビル内に文部科学省の入口があります。
「守衛」が何人もいるのには呆れます。

霞ヶ関でもどこでも、おクニの役所には
【無駄に守衛が多過ぎる!!!】


世界一治安の良いニッポンで、特別テロリストに狙われるわけでもない官庁に、ひとつの入口に制服のオトコドモが、やることもなく何人も立っている。結構な給料とボーナスをとっているんだぞ。
腹立つなぁ〜〜〜〜〜〜。
こんなところで鬱憤を晴らしました。(晴れないけど)

[22516] 現代のイジメ
名前:中村眞樹子
日時:2006/10/26 05:35
こんにちは。
昔と違い現代の苛めは陰湿なのでしょうね。苛める側の子供は二重の仮面を被り、上手く使いこなしているのだと思います。この点は今も昔も変わらないでしょう。苛められっ子は辛い思いを一生涯忘れる事が出来ませんが、苛めっ子は一日経てば忘れてしまい、罪の意識や心の痛みも到底理解できていないのだと思います。苛められっ子が大人になった時に同じ事を繰り返さないで欲しいと思います。苛めを乗り越えて欲しいと思います。辛い事だとは思いますが・・・・・。

学校側の姿勢は今になって発覚した訳ではなく、昔から変わっていないと思います。教師が一緒になって苛めに参加するという信じられないような事は昔からありました。教師という立場は「平等」でなければならないと思うのですが、どうやらそのバランスが崩れているのでしょう。教師自身が苛めっ子と同じレベルだという事なのかもしれません。「教育」というこの言葉の意味を深く考え直して欲しいと思います。
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