|
「これから午後の業務を始めます……」。背筋をピンと伸ばした男性がよく通る声で号令をかけている―といってもここは会社や事業所ではない。ニート・フリーターの就職を支援する研修所『阿佐ヶ谷塾』(東京都杉並区阿佐ヶ谷・杉並産業商工会館)だ。 塾は『NPO法人 日本キャリアビジョン研究所』が運営する。鈴木明さん(同研究所理事長=51歳)が、都内の大学で学生の就職活動を指導していた経験を活かして、昨年5月に立ち上げた。 現在、4人の研修生が、就職・再就職を目指して頑張っている。必ずスーツを着用し、ノートブック型パソコンを携行しなければならない。就職の経験がなかったり、職場を離れて久しくなったりすると、スーツともパソコンとも縁がなくなるからだ。 筆者が『阿佐ヶ谷塾』を訪ねた時は、研修生が新聞の経済記事を分析・解説していた。座学のひとつだ。名刺を携えて阿佐ヶ谷の商店街に「飛び込み営業」に行くこともある。実践体験を培うためだ。 研修生の一人、宮田進さん(37歳・仮名)はフリーター歴4年になる。1998年に大学を卒業し、都内の金融機関に就職した。金融機関が多額の不良債権に喘いでいた頃だ。 宮田さんの担当業務は債権回収だった。債務者相手に厳しいことを言わなければならなかった。「つらかった」と当時を振り返る。入社から5年目、ストレスが原因なのか、左目が見えなくなった。 経営危機でリストラを進めていた会社にとっては、渡りに船だった。上司から「君には(我が社は)向いていないんじゃないか」、「辞表を出してくれ」と肩を叩かれた。会社の寮は出て行かねばならなかった。 金融機関を退職した後、ワンルームマンションに住み、2年間近く配送荷物の仕分けのアルバイトで食いつないだ。 2001年にリース会社に再就職したが、最悪の労働環境だった。午前1時、2時まで働かせられ、残業代も出なかった。過労からか、今度は右目も視力を失った。結局、リース会社は1年で辞めた。 2002年からは友人が経営する食品会社を手伝いながら何とか暮らしている。だが友人の会社は来年3月で清算される。宮田さんは「来年3月までに仕事を見つけなければ食っていけなくなる。追い詰められている」と話す。 村井二郎さん(仮名・33歳)は高校卒業後、アルバイトさえしたことがない。ひきこもりだったのだ。4月に『阿佐ヶ谷塾』に入るまでは電車に乗ることさえできなかった。もちろん人前で話すことも。 研修で阿佐ヶ谷商店街に「飛び込み営業」に初めて行った時、村井さんは「足がすくんで吐き気に襲われた」という。実践に実践を重ねた今は、流暢ではないが、他人と会話をこなせるまでになった。 塾ではNPO活動の一環として「ひきこもり・ニートの相談会」を催すことがある。自らの経験をせつせつと語る村井さんの話を、ひきこもりの青少年や親は、吸い込まれるようにして聞く。どんな高名な学者でさえ語れない体験談だからだ。30分に渡ってスピーチすることもしばしばだ。 「自分でさえ見えていない所に能力が眠っている」。村井さんの成長に鈴木理事長は目を細める。 ニート・フリーターで最も恐ろしいのがブランクだ。かつて金融機関でバリバリに働いていた(前出の)宮田さんでさえ、『阿佐ヶ谷塾』の門を叩いた頃は、他人と話をするのが辛かったという。ブランクが、相手とどう距離をとってよいのか、どのように話せばよいのかを忘れさせてしまうのだ。フリーターはその期間が長引くほど、就職に不利になる。 不良債権の苛烈な取立てがなければ、宮田さんは金融機関を辞めるところまで追い込まれなかっただろう。かつては近所のおじさん、おばさんが子供たちのめんどうを見、他人の子の躾にまで口を出した。地域社会が健全であれば、ひきこもりなどなかったはずだ。 「彼らの責任じゃない。社会の責任だ。割り食っちゃたんですよね」。鈴木理事長は無念そうにつぶやいた。(つづく) ◇ ◇ ◇
前回記事:
フリーターは負け犬‐明日はわが身の就職事情(2) |