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6月24日(日)午後1時45分より保谷公民館(東京都西東京市)で、“「学校」を考えてみる―「君が代不起立」”と題した、映画上映と講演会が開催されました。講師は根津公子さんです。(主催:日の丸君が代ネットワーク) 卒業式のとき、「君が代」斉唱で起立しなかったため、東京都教育委員会(以下「都教委」)から6ヶ月の停職処分を受けた中学家庭科教師の根津公子さんは、累積処分で次に処分を受けたら免職になるそうです。停職中も毎日学校に行き、門の前に立って登校してくる生徒たちに「おはよう」と声をかける根津さんの姿や、根津さんと同じように「不起立」で処分を受けた教員らの姿を捉えたビデオ上映のあと、職を賭してまでなぜ「不起立」をするのか、その理由について根津さんが語ってくれました。また、学校でいまなにが起こっているのか、そのことについても報告しました。 これは教育ではない 私が「君が代」斉唱のとき起立をしないのは、「日の丸君が代」が歴史的にどのような使われ方をしてきたのか、ということについての問題はありますが、それだけが理由ではありません。一番の理由は、これは教育ではないということです。強制してやるというのは教育ではない。だから起立できないのです。教員として教育ではないことには手を出すことができません。 よく言われるのは、「日の丸君が代」がいやだったら教員をやめればいい、政治活動だったらどこかほかでやってくれ、そんなメールがたくさんきます。でも、私は一度も政治活動としてやったことはありません。教育と政治は切り離すことができないので、政治活動としてやってもいいと思いますが、私自身は教員だから教育でないことには手を出すことができない。本当にその一点です。 多少とも良心のある校長も追い詰められている 免職されても起立するのをやめようと思ったのは、2年前の卒業式で自分でも驚くような体験をしたからでした。多少とも良心のある校長は、病気になって当然のような状況にあります。当時勤めていた立川の中学校の校長も、途中から私をいじめることに抵抗を感じるようになったらしく、あんまりひどいことはしなくなりました。(板ばさみになって悩み)体調をこわして痩せていくのを見て、「私はこの校長に対し、どうしていったらいいだろう」と思いました。 広島で悲しい事件(校長が自殺)が起きていることを考えると、まずそれを避けなければならないと思いました。校長と卒業式の前日に話をして、「途中までは立つが全部は立てない」と言いました。教育委員会に校長はそれを伝えなければなりません。毎日連絡をするのが校長の仕事だからです。子どもたちに対しては、「『君が代』の強制はおかしい。教育ではない。当然立てないが、クビになるのはいやだから立ってしまうかもしれない。人間は勝手だし、弱い。私のことをそんなふうに思ってくれてもいい」と話し、子どもたちに謝って卒業式に出ました。 自分にも、子どもたちにも嘘をつきたくない 子どもたちは私が立つかどうか見ていました。最初はみんな立っていて「国家斉唱」となるのですが、前奏が流れ、「さざれ石」というところで座りました。それまで「座りたい」と思い、体が震え、心臓がドキドキしながら立っていたのですが、ふっと頭の中に、2秒か3秒のことですが、中国大陸で上官から少年兵が銃剣を突きつけられ「お前はつくのか」と言われている光景が頭に浮かんできました。「この少年兵は私だ、私はどうするんだ」と思いました。 目の前が真っ白になり、「さざれ石」で座っていました。混乱している頭の中で、「銃の引き金を引かなくてよかった」と思いました。そのとき、「金輪際、こんなことはやめよう」と思いました。「自分に嘘をつくのはやめよう。子どもたちに嘘をつくのはやめよう。処分され、クビになってもしょうがない」と思いました。それが2年前のことです。そして、今日まで続いています。 おかしいと思うことは、おかしいと言っていいんだ 去年、立川から町田の中学校(通勤時間往復4時間)に移動させられました。立川では門前に立っている私のところにくるのは親しい子どもたちでした。でも町田は全然違いました。それでもなぜ立ったのか。それは、立川で停職1ヶ月のとき、校門の前に立っていた私を見て、生徒の1人が「先生があそこに立っていたことで、私はおかしいときにはおかしいと言っていいんだ、立ち上がっていんだということを知った。それがこの学校に通って一番よかったことだ」と言ってくれたからです。 こういうふうに感じられる子はとても少ないと思います。2年前より状況は悪化し、ワーキングプアといわれるように、若い人たちの労働環境は厳しくなっています。政府が政策として作っているのだと思いますが、この状況はさらにひどくなると思います。中学生はあと数年経ったら就職し、就職できない子はワーキングプアのような状況になるかもしれない。理不尽な状況に追い込まることはたくさんあると思います。権利が侵害され、契約にあったことが破棄されることもあるかもしれない。 そのとき、「自己責任」だと思うのではなく、「おかしいじゃないか、私は間違っていない」と思うことができれば、自死する人はいなくなるだろう、と思いました。少数でも私と付き合った子どもたちが、自分が危機に陥ったとき、そんなふうに思うことができたら、そういう形で子どもたちに還元できるかもしれない、私の教育ということになるのかもしれない、とその生徒の声で思いました。だから、停職3ヶ月のときも門の前に立つことを続けようと思いました。 私の体を全部投げ出すことで子どもたちに発信していきたい 町田では状況が違うと思っていました。私のことをぜんぜん知らない人たちが、いろんなことを聞かされているに違いない。案の定、そうでした。子どもたちがものすごい目を私に向けますが、いつか困ったときに「ああ、でもそうじゃない人もいたんだ」ということを思い出してくれる人がいるかもしれない、という期待をもって立っていました。そういう状態におかれている子どもたちだからこそ、世の中には違う主張もあるということを、違う生き方もあるということを示したいと思いました。私の体を全部そこに投げ出すことで子どもたちに発信していこう、と思いました。 今、停職6ヶ月です。町田は本当にひどい状況でしたが、すべて大人の責任だと思います。町田では数人ですが、門の前に立っている私を見て、「人はおかしいと思ったことは立ち上がっていいんだと思った」とか、「自分で思っていることをやりぬくのはすごい」といった言葉を寄せてくれた子どもたちがいました。停職出勤はいまもやっています。来年はわかりません。このままいけば免職。停職6ヶ月の次はないと言われているので、ないということはクビでしょう。もし免職にならないとすれば、その条件は都民が反対すること、教員が立ち上がることです。 教育とはなにか 教育とはなにか。去年、教育基本法が改定されましたが、教育の基本は1947年の教育基本法であると私は考えています。前文に「個人の尊厳を重んじ、真実と平和を希求する人間の育成」と書いてあります。言葉としては当たり前ですが、戦前の教育に照らしてみると、個人の尊厳が大事であり、お国のためではないということ。非常に重い意味があります。「真理と平和」が06年の改正では、「真理と正義」となりました。日中戦争を始めるときも「正義」を旗印に戦争をし、イラク戦争もアメリカは「正義」を旗印にしました。いつでも戦争をするときは「正義」が旗印です。 戦前・戦中、一つの考えを絶対的な価値観として子どもたちに押し付けました。その裏返しとして「真理と平和を希求する」ということがあり、「個人の尊厳」「真実と平和の希求」ということを考えると、教育というのは、知識をもとに自分の頭で考え、判断し、行動する人間を作ることだと思います。それが学校という場で行われる必要があるのだと思います。「日の丸君が代」だけでなく、36年間、家庭科の授業の中で、学活や道徳の授業の中で、そのような教育を私は実践してきました。 ともかく立ちなさい、歌いなさいというのは教育ではない 知識をもとに、その知識も一面的なものでなく、いろんな考えがあること、いろんな方向からみたもの、それらをすべて提供し、実際の生活の中から考え、子どもたちと一緒に考え合っていくということを授業の中でやってきました。ですから、「日の丸君が代」の強制はおかしいと思いました。なぜなら、いまの「日の丸君が代」は「日の丸君が代」を授業の中で取り上げることをほぼ禁止しているからです。言葉の上では禁止していませんが、立川にいたとき、途中で座ったことについて生徒たちに話をしたいと言ったら、校長は許可してくれました。 私は生徒たちに、なぜ立てなかったのかその理由を、教育的なこと、歴史的なことについて資料をもとに話をしました。すぐに市議会でそのことが問題となりました。教育委員会は答弁の中で、そういう教員がいたらすぐに(校長は)教育委員会に知らせてくれと言いました。実質禁止。歴史的な事実を知らせることは、今の教育基本法でも禁止していません。間違ったことを語るわけではないのに、東京では語ることができなくなっています。事実を教えず、ともかく立ちなさい、歌いなさい、というのは教育ではないと思います。 いつかこういうことになるのではないかと危惧していた これは、急に出てきたのではありません。89年の文部省の学習指導要領に、「日の丸君が代」の指導について言及しています。1つの法案が出てきたとき、すぐに効力を発揮しないものはたくさんあります。この学習指導要領が出てきたとき、いつかこういうことになるのではないかと危惧をしていましたが、本当にきてしまいました。都教委はこれを根拠に10・23通達(卒業式などで日の丸を掲揚し、君が代斉唱のとき起立して歌うことなどを命じた通達。校長の職務命令に従わない教員は罰則を科される)を出してきたと言っています。 いま起きていることは一見バラバラに見えますが、「日の丸君が代」教育と相関関係にあると思います。「君が代」の歌は小学校4年か5年で教えることになっています。市教委によっては、「君が代」の授業の予定を出させます。どの音楽の時間にどのクラスをやるのか。中には参観にくることもあります。いま、職員会議で採決はしません。00年以降、職員会議で採決はしなくなりました。採決しようというと、中から反対が起こりました。職員会議は都教委や市教委からきたことを校長が伝える、というのがほとんどです。ほかの職員会議はほとんどありません。 学力テストはなんのために行われるのか 卒業式に紙1枚渡されるのは珍しくなくなりました。それまでは子どもたちの意見を吸い上げ、論議をしてきました。それがまったくなくなった。その子どもたちに合ったやり方や独自性がなくなりました。教科書にないことは教えることができない。学習計画など、教師にたくさんの書類を出させる。保護者や子どもたちにも書類を出させる。小2から習熟度別算数が行われるのは、なんのためでしょうか。学力テストや全国学力テストなども行われています。東京都の場合、市や区が学校ごとの順位を出してきます。順位が高いところはどこか、教員はだれか、受ける子どもたちはどういう立場におかれるか。必修を減らし、選択・総合の授業が増えました。しかし、総合で平和の授業はやれません。条件付の選択・総合です。 職場体験や奉仕の授業はなにを目指しているのか 10年前、東京では広島に修学旅行に行く学校が多かったのですが、今年はたぶんゼロでしょう。以前、三浦朱門さんは「できんもんはできんで結構、実直な精神さえ身につければよい」と言いました。基礎学力が身につかなくても、できんもんはできなくて結構、というように聞こえます。公立学校は学力がなくていいんだ、スーパーエリートは私立に行く。そういうことがあるのではないでしょうか。職場体験や奉仕の授業は、なにを目指しているのでしょうか。バラバラではなく、「君が代」と同じだと思います。 質疑応答 根津先生のお話のあと、参加者と活発な質疑応答がありました。「先生の話は中身が濃い。「日の丸君が代」というと、無党派層は抵抗を感じる。思想的なものが前面に出ているので、映画や講演の表題を《学校を考える》というようにすれば、先生の行動がより多くの人に理解してもらえるのではないか」という意見に対し、ほかの参加者から「イデオロギー(を統制すること)に反対しているのが先生の立場。批判をするなら都教委を批判すべき」との反論がありました。 また、「娘が都立高校に入ったので、PTAの役員をしようと思い、広報になった。役員決めのとき下を向いていた保護者たちから、広報で奉仕活動を取り上げようといった意見が出てきた。学校とPTAの関係が一体化しているような印象を受けた」といった意見や、「教育3法案が成立したが、中味がわらない。「日の丸君が代」が踏み絵になっているのではないか。若い人たちがバラバラにされているような気がする。頑張る教員がいなくなるまで処分を続けるのではないか。50代以上の人が分断されていっている。(自分も傍観者として)安穏としていてはいられないと思った」といった意見や感想が聞かれました。 筆者の感想 映画を見て、「日の丸君が代」の「不起立」で多くの教師が処分を受けていることを知りました。また、なぜ「不起立」をするのか。その理由について根津先生は、「これは教育ではない。教員だから教育でないことには手を出すことができない」と語りました。「教育は強制によって行われるものではない」という根津先生の訴えは、「不起立」で処分を受けている多くの教員たちの思いでもあると思いました。驚いたのは、町田の中学校に停職出勤していたとき、校長だけでなく、地域の防犯の人たちが根津先生を監視していたことでした。ふと、戦争中の「隣組」もこんな感じだったのだろうかと思い、恐怖心がわいてきました。 ◇ ◇ ◇
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