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フィリピンから戦時性暴力被害者が初来日

大井舜一2007/12/13
太平洋戦争中、フィリピンを占領した日本軍に拉致された14歳の少女は、1ヶ月半にわたるレイプを受け続けた。村中から白い目で見られ、正式な結婚もできなかった――。戦時性暴力被害者のフィリピン女性がが初めて来日し、被害の実情を語った。
フィリピン 戦争 NA_テーマ2
 1941年12月8日、太平洋戦争の開戦で、日本軍はアメリカの植民地だったフィリピン・ダバオを空爆した。この戦争を体験したフィリピン人女性が66年を経て初来日した。14歳だった1943年に日本軍により拉致され、性暴力をうけたセミョォーナ・G・ノエボ・ラメールさん(79)だ。そんなセミョォーナさんが12月7日、東京で講演し、涙ぐみながらこれまでの人生を話してくれた。

フィリピンから戦時性暴力被害者が初来日 | <center><b>講演の様子。中央がセミョォーナさん</b></center>
講演の様子。中央がセミョォーナさん
 セミョォーナさんは1928年10月28日、フィリピン北部ルソン島の中部に位置するブラカン州、マリンダで生まれた。戦争が始まったころは祖母と4人の兄弟とともに暮らしていた。日本兵は襲ってくるとの噂があり、常に恐れていた。

 14歳のある日、家族から火をおこすため薪を拾ってくるようにといわれた。森に着くと、細い道を歩いていた3人の日本兵に見つかり、追いかけられる。捕まえられ、泣き続ける彼女は両腕を掴まれて駐屯地に連れて行かれた。

 以前は小学校だった駐屯地。部屋の入り口に投げ飛ばされ、押し倒され、レイプされた。力が強い。ほほをたたかれる。全身が痛い。そして1ヶ月半、昼間は日本兵のために料理、掃除、洗濯をし、夜は6人、7人の日本兵からレイプされた。

 そんな生活が1ヵ月半ほど続いたある日、殴られた額の傷が腫れ高熱が出た。哀れに思ったのか、高級将校から「go home」といわれる。家に帰ると、傷だらけで憔悴しきっていたので、兄弟からびっくりされた。祖母が薬草で傷口を癒してくれる。山でゲリラ部隊に所属していた父がすぐに帰ってきて、医者に連れて行ってもらうと、2ヶ月ほどで回復した。

フィリピンから戦時性暴力被害者が初来日 | <center><b>話しながら涙ぐむセミョォーナさん</b></center>
話しながら涙ぐむセミョォーナさん
 小さな田舎で日本兵にレイプされたという噂はまたたく間に広がった。近所の人に挨拶しても、笑われるだけだ。友達もいない。好きになってくれる人はいない。理解者は兄弟・家族のみである。それからは洗濯婦として貧しい生活を過ごした。

 1965年、37歳のとき、ある男性と付き合うようになった。翌年に子供が生まれ、9年間で4人の子供を授かった。しかし、性暴力という過去のためか、その男性は亡くなるまで正式な結婚はしてくれなかった。

 1992年、フィリピンでの慰安婦の存在をテレビで知り、名乗り出ることを決心する。「恥ずかしくなかったのですか」と聞くと、「私が慰安婦であったことはみんな知っている。恥ずかしくはなかった」と答えた。
 
 そんなセミョォーナさんは「戦争はつらい。2度とおこらないでほしい」と願う。そして日本の首相に「私たちが被害にあったことを認めてほしい」と講演で強く訴えた。セミョォーナさんは今、フィリピンで2人の息子と孫との4人で暮らしている。
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