国が在日ビルマ(ミャンマー)人を「難民として認定しない」処分にしたことの取り消しを求める訴訟の第3回口頭弁論が2月21日、名古屋地裁で開かれた。原告代理人らから準備書面と証拠が提出された。次回期日は4月17日10時35分からと決まり、15分ほどで終わった。
撮影は構わないとアウンさん。いつも伏し目がちで、活動家らしからぬ穏やかな雰囲気の人。(いずれも2月21日、筆者撮影)
裁判を起こした在日ビルマ人のアウン・チョウ・ミンさんは、ラングーン大学に在学中だった1987年、生活が苦しくなった仲間の学生たちとネ・ウィン政権に対する反政府活動グループを結成した。88年3月、軍による学生殺害事件が起こり、その抗議デモで友人4人が殺され、自分も右足を撃たれ6針縫う怪我をした。88年8月、全国で17万人にも及ぶ民主化蜂起デモが行われた。チョウ・ミンさんはその学生デモで、隊列が乱れないように指示する役割をしていた。
また学生運動のことで区役所に呼びつけられ、「今後二度と反政府活動と反政府の政党に参加しない」と書かれた誓約書にサインさせられた。今後、ビルマに帰ったとき迫害を受ける理由となる。90年7月に知人が逮捕され、次は自分の身と危険を感じた。神戸にいた叔父の紹介で、ブローカーに公務員の給料の1年半分以上に相当する7,000チャットを払ってパスポートを手に入れ、神戸へ来た。
その後、ビルマ人活動家と知り合う機会がなく、99年に名古屋でミン・ティンさんら後に難民認定されるような人と知り合って反政府活動を始め、2000年に「日本ビルマ問題を考える会」に参加した。その後、ビルマ民主化活動グループが合同して設立されたLDB名古屋へは妻子に危害が及ぶことを恐れ、89年に結婚した妻と「形式的に離婚」して02年に加入した。以来、さまざまな反政府活動を名古屋を中心に続けてきた。LDB名古屋では05年1月から、教育、保険、社会委員会の責任者をしている。
91年に愛知へ来てから民主活動家と知り合うまで、地方の工場で難民認定申請のことも知らずに働いていたという。チョウ・ミンさんの難民申請は結局、05年10月7日に「不認定」と決定した。
名古屋地裁正面。門前払いせず、人道的な配慮が強く求められる。
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この日の閉廷後、チョウ・ミンさんに現在の様子を聞いた。
記者:これまで何度もデモや集会でお会いしていますが、顔も名前も出して危険ではないですか。
チョウ・ミンさん:ビルマに帰れば必ず逮捕されて刑務所です。たぶん殺されるでしょう。
記者:え〜っ。ということは、ビルマへは危険すぎて、とても帰れませんね。
チョウ・ミンさん:ええ、ずっと日本にいます。もう帰りません。ビルマが民主化されるまでは。民主化のためには死んでも構いません。命の覚悟はしています。
記者:う〜ん、凄い覚悟ですね。でも死んではダメですよ! チョウ・ミンさんの名古屋での(反軍事政権)活動歴も、もうかなり長いですが、今の心境を聞かせて下さい。
チョウ・ミンさん:ようやく軍事政権がアウン・サン・スーチーさんと会話をするようになって、2010年には総選挙をすると言っていますが、ぜんぜん信用できません。民主化に命をかけて活動し捕まった学生たちや、スーチーさんを解放しなければ、本当の選挙にはなりません。今の政権はまったく信用できないんです。
あんな事件(日本人記者殺害事件)があってもODAで(軍事政権に)援助を続ける日本政府が、どう考えているのかわかりません。どうして独裁政権のポケットに入ってしまうお金をどんどん援助するのかわかりません。ぼくの裁判の費用を(支援者の方に)援助してもらっていますが、その分をLDBからタイのメソッドにある(ビルマ)難民の学校に寄付をしています。
記者:ビルマの少数民族の学生たちに法律を教える、ボランティア団体が支援する寄宿舎のある学校ですね。若い人たち20人くらいが2年間学ぶという。
チョウ・ミンさん:そうです。そこの費用の25%をLDBが出しています。本当に必要なところにお金がいかないんです、今の日本の援助では。日本政府はどうしてわかってくれないんでしょう。
記者:わかっているはずです。ただ、ヒモつきといって日系の建設、土建業者が利権にからんでいるようです。それと現地の有力者とかが。
チョウ・ミンさん:でも私たちは日本や中国の政府にお願いするしかないんです。それから皆さんにも。とにかく軍事政権を支援することをやめてくださいと。
記者:そうですね。これからも大変でしょうが、風邪なんかひかないようにね。今日は昼から仕事なのに引き止めてしまって、どうもありがとうございました。
チョウ・ミンさん:いいえ、いつもありがとうございます。じゃあまた、今度のビラ撒きで。
「難民を認めないことが仕事」のような、難民受け入れ最底辺国「ニッポン」。入管の人道的配慮を心から願いつつ、ビルマ人難民の皆さんに「本当の春が来る日」を待ちたい。