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1958年(昭和33年)8月25日は、日清食品創業者の安藤百福氏が終戦直後の大阪で開発に着手し、見事、量産化に成功した「チキンラーメン」の誕生日である。ビジネスのヒントは闇市の屋台ラーメンの行列だったらしい。コンセプトは「もっと手軽にラーメンを」だった。
この時代、まさに日本は高度経済成長の幕開けの時期に当たる。というのも、神武景気(1955年〜1957年)に続き、岩戸景気(1958年6月〜1961年12月)が到来、日本は元気いっぱい、だったのだ。
具体的には、東京タワー建設(1958年10月14日)、週刊少年サンデー、週刊少年マガジンの発売(1959年3月17日)、東海道新幹線(1964年10月1日に営業運転)、東京オリンピック(1964年10月10日開会式)など、まさにいまの中国のような様相を呈していた。その象徴的な食品としてチキンラーメンは位置づくだろう。
当時、小学生だった子どもたちにはいかに衝撃だったか。ドンブリに入れてお湯を注いで蓋をして、3分たてばおいしいラーメンの出来上がりだ。当時は、支那そばとか中華そばとラーメンのことを呼んでいて、親とどこかにお出かけの時に特別に食べさせてもらえる高級食品だった。昭和30年代の日本はまだ貧しかったし……。だから、安くてお手軽、おいしいチキンラーメンは瞬く間に人気商品に。
翻って、「チキンラーメン」の成功の秘密は、前述のように、「商業的、量産インスタントラーメンの開発」だった。安藤氏は、自宅で開発のための実験を繰り返し、天ぷらの調理にヒントを得て発見したのが、「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法であったという。
チキンラーメンの発売後、お湯を入れればすぐに食べられるタイプから、鍋で調理するタイプ、つまり、ハムやベーコンなどでボリュームを出したり、モヤシやコーン等、野菜を加える、時には変わり種を加えたり、単に胡椒やラー油で味付けをしたり、が登場してしばらく、店頭から消えたような印象を抱くが、結構、まめにリニューアルして発売されていたようだ。
今では、海外にも普及し、年間約1000億食近く食べられているという。世界の「食」を支えていると言えるが、日本メーカーは、1970年ごろから国内消費の飽和状況を打開すべく、アジアに本格進出している。結果、外国メーカーも増えている。現在、国内メーカーは20数社だが、世界の実態は不明、だ。で、世界の消費量はというと10年後には2000億食との見方もある。
こうした中、50周年記念企画として、日清食品の海外現地法人がチキンラーメンの製造を開始したという。製造される国は以下のとおり。(カッコ内は現地での名称)。
アメリカ(Oodles of Noodles)
ブラジル(LAMEN GALINHA)
ハンガリー(CHICKEN RAMEN)
インド(Top Ramen)
インドネシア(CHICKEN RAMEN)
中国・広東省(鶏湯拉麺)
また、日清食品は、50周年記念限定版として、袋めん「日清チキンラーメン」、カップめん「日清チキンラーメンどんぶり」「日清チキンラーメンビッグカップ」を売り出している。ポイントは、「香味プラス 特製 金のオイル」付き。食べてみようかな!