LGBTムーヴメントの象徴「レインボーフラッグ」(記者撮影@スパイラルホール・レズビアン&ゲイ映画祭2008)「LGBT」については、本文の〔*1〕などをご参照ください
●「カミングアウト」の本来の意味
最近、「カミングアウト」という言葉の使われ方が変わってきている。もともと、この言葉は「Coming out of the closet」=「クローゼット(押し入れ)の中から出てくる」という意味で、アメリカで使われていたスラング(隠語)がルーツ。ゲイやレズビアン、つまり同性愛者が、自らの性的指向を明らかにすることを意味した。同性愛であることに悩み、葛藤し、事実を誰にも話すことができない状態を「まるで、クローゼットの中で引きこもっているかのようだ」と捉え、勇気を振り絞って、同性愛であることを公表するという意味で、「クローゼットから出る」と比喩的に表現したのが始まりだった。当然ながら、そもそも「カミングアウト」は、人生の行方を左右しかねない重大な影響をもたらす行為ともなり得る。
その「カミングアウト」が、最近の日本では、かなり気楽で便利なものとして用いられている。人生の行方を左右するような重大告白ではなく、ちょっと内緒にしておいた些細なことを、愉快げに「実はね……」と伝えるような場面で、何の屈託もなく「……あたし、カミングアウトしちゃうけどさあ……」という調子で使われるようだ。そのことを悪いと言っているのではない。言葉の使われ方は、時代や社会環境の違いで、ずいぶん違ってくるものだと、驚いているのである。
●「当事者」の声こそ市民メディアの源
JanJan「市民記者の募集」ページには、「自然のこと、家族のこと、地域のこと、日本のこと、世界のこと、どんなことでも、あなたがみんなに知らせたいと思うことはニュースです」とある。
世の中に、どれだけ市民記者がおられるのか、あいにく正確な数字は分からない。ここJanJanでも、おそらく数千人規模の市民記者が、活躍されておられるのではないかと推察する。市民記者とは何だろうか。大手マスメディアが捉えて発信するニュースや情報あるいは論説には、ミクロ面で、おのずと限界がある。個人性より社会性が優先されるからだ。そこで、事件や社会問題の渦中にある個々の「当事者」を含め、一般市民が、一般社会に向けて自らニュースや情報、論説を発信してはどうかとの意図から、市民記者の意義や役割が注目されるようになったと理解している。
大手マスメディアが伝える記事には、原則として一人称が使われない。事実を客観的に伝えることが主眼だからである。僕は(と、この記事では、あえて一人称を使うが)、JanJan市民記者を務めさせていただいている以上、大手マスメディア風の記事を気取ることに、大した意味は無い、と覚るようになった。なぜなら、事件や社会問題の渦中にある「当事者」を含め、一般市民が、自らニュースや情報あるいは論説を発信する市民メディアこそが、JanJanなのだから。「事実が主観的に伝えられて、まさにこれぞ市民メディアだ」とまで言ってしまうのは、いささか乱暴かも知れないが……。
●匿名性の仮面をはずして
インターネット上の意想提起には、「匿名が可能」という特徴がある。ここJanJanの署名は実名が原則だが、記事内容によって執筆者を保護する必要がある場合、ペンネームの使用も認められている。これまで、僕もペンネームを使わせていただいてきた。ブログなど、ほかの媒体でも、記事の性格上、もっぱらペンネームを使ってきたからである。
たとえば「2チャンネル」を読むと、匿名の書き手たちが、ときに見苦しい罵り合いを繰り広げている場面に遭遇する。不愉快な気分に陥る。ネット・バトラーたちは、互いに匿名だからこそ、罵詈雑言を浴びせ合っても平気なのだろう。でも、それでは、あまりにも野放図な上、心むなしいものがあるように思う。
一方、本来、僕のような同性愛者=ゲイにとっては、インターネットの匿名性を活かすことで、むしろ堂々とした意想提起が可能になったとの側面がある。
日常生活では、ゲイであることを、ひた隠しに隠して生活しなくてはならない。ゲイは蔑まれ、笑いものにされ、好奇の対象として扱われるからだ。しかし、ひとたびインターネット世界へ入れば、匿名性を駆使することで、気兼ねなく思いの丈を発信することが可能となる。インターネットの普及は、少なからず、ゲイの精神的ストレスを発散・軽減させてくれている。いまや、たくさんのゲイたちが、匿名で、ゲイであることを隠さずにブログを綴っている。仮面を被ったままではあっても、擬似的な「カミングアウト」を果たすことで、本当の自分をさらけ出すことができる「その、いっときの開放感」に浸るのである。
もちろん、ゲイだけに言えることではない。レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーを含めた、LGBT〔*1〕=性的(セクシュアル)マイノリティーに属する人々にとって、インターネットを介し、匿名で意想提起ができることは、ゲイにとってそうであるように、同じく精神革命的な意味合いを持っている。
〔*1〕……LGBT:
レズビアン〔*2〕、ゲイ〔*3〕、バイセクシュアル〔*4〕、トランスジェンダー〔*5〕の英語頭文字を並べて、一つの言葉としている。レズビアンとゲイの順番を入れ替えて、GLBTとも言う。
〔*2〕……Lesbian :
肉体的・性自認的女性が、女性に惹かれる性的指向。また、その性的指向を持つ人。同性愛・同性愛者の一つ。
〔*3〕……Gay:
肉体的・性自認的男性が、男性に惹かれる性的指向。また、その性的指向を持つ人。同性愛・同性愛者の一つ。
〔*4〕……Bisexual:
同性にも異性にも、同等に惹かれる性的指向。また、その性的指向を持つ人。両性愛・両性愛者。
〔*5〕……Transgender:
肉体的性別と性自認的性別が異なる人たちの総称。性同一性障がい〔*6〕は、これに含まれる。
〔*6〕……性同一性障がい(Gender Identity Disorder=GID):
性ホルモン剤の投与で外見的体型をも性自認的性別に近付けたり、性適合手術によって性器まで整えるなど、医学的処置を伴って生活するトランスジェンダー。
僕は、ある願いを抱いて執筆活動を続けている。日本でも、ヘテロ〔*7〕の人たちに、ゲイ・レズビアンなどLGBTが抱えている苦悩や問題について、もっと深く知って欲しいとの願いだ。
〔*7〕……ヘテロセクシュアル:
異性愛・異性愛者。異性に惹かれる性的指向。また、その性的指向を持つ人。
その願いを叶えてゆくためには、せっかく書いた記事がゲイ・レズビアンなどLGBTの「内輪の空間」だけで読まれていても、効果は乏しい。ヘテロの人たちが、ごく普通に見ている(生活している)一般的な場所にあって、ちゃんとそこに存在していることが大事なのだ。要するに「可視化」「顕在化」が必要だということである。
僕は、この際、自らがゲイ・レズビアンなどLGBTの「可視化媒体」となることを念頭に、JanJan市民記者の一人(そして、一人の人間)として、あえて実名で自らの意想をしたためてゆくことを決意した。
東京プライドパレード・2007のワンカット(記者撮影)
●友だちへの「カミングアウト」
中学時代、いつもツルんでいた友だち同士のグループがあった。40歳代も半ばを過ぎたいまでも、稀に顔を合わせることがある。僕のように独身の奴もいるが、たいていは結婚して子どもを育てた経験を持つ。みんな立派なオジサンで、僕を除いて全員ヘテロである。
僕は以前、彼ら<中学時代の友だちグループ>に対して、ゲイであることを「カミングアウト」した。反応は、まちまちだった。
「いまは、ゲイであることなど隠さなくても良い時代だ。お前はお前なのだから、ゲイでも何でも構わないし、何も変わらない。これからも宜しくだ!」と、積極的に応えてくれる奴。
「ゲイという”趣味”をお持ちなのは、それはそれで結構なのでは」と、見当外れながら、一定の理解(?)を表明する奴(ゲイであることは、趣味ではない。生まれながらに備わっているセクシュアリティー「性的指向」の一つなのだ。ゲイを選択したのではない。自然に、ゲイとして生まれ出でたのである)。
そして、何の反応をも示さない奴(黙して語らずでは、どう感じてくれているのか、全く見当が付かない)。
僕が、実はゲイであることについて一切のコメントを寄せて貰えない相手に、「ねえ、どう思うの? どう感じるの?」と、こちらから執拗に質すようなことはしない。赤の他人ならいざ知らず、友だちであるのなら、相手のほうから何かをコメントしてくれるはずだからだ。僕は、そう信じている。友だちの誰かが、それまで口にしなかった秘密を思い切って明かしてくれたのなら、それに対して何らかの思いを伝え返す。僕なら、きっとそうする。無視することはない。
僕の「カミングアウト」に対して、何も反応してくれない人たちの心情を推し量ることは難しい。ゲイを快く思わないのかも知れない。快不快ではなく、あえて何も反応したくないのかも知れない。面倒なのかも知れない。大したことではないと感じているのかも知れない。
いずれにせよ、どう反応するか/しないかは、相手側の問題だと僕は思っている。
●A氏との議論
A氏は、<中学時代の友だちグループ>の一人だ。仲良しだった。僕の「カミングアウト」を巡って、かつてA氏と次のような議論を交わしたことがある。
A氏:「お前、『カミングアウト』だとか偉そうに言って、何かを果たしたつもりでいるのかも知れないけど、そんなの、単におまえだけの都合じゃないか!」
僕:「もちろん、『カミングアウト』なんてオレの都合だよ。だけど、『カミングアウト』をしても、それで何かが果たされたとは、ちっとも思わないね。カミングアウトが、また新たなスタートになるんだ。オレ自身のスタートに。ゲイという人間を理解して貰うための!」
A氏:「それじゃ、『カミングアウト』された(告白された)方の気持ちは、どうなるんだよ?」
僕:「確かに、親とか家族への『カミングアウト』には難しい問題が絡む場合があるよ。友だち以上の”血の繋がった絆”を信じたいけど、かと言って、偏見だって、ちゃんとあるからね。もちろん、親や家族だから偏見を乗り越えられるっていうケースもあるさ。けど、だいたい、その逆の苦しみが多いよ……親とか家族にせよ、友だちにせよ、オレがゲイであることを受け入れるかどうかは、あくまで相手側の問題さ。そこで、葛藤が起こることは間違いないだろうけど、ゲイであるオレは、長いあいだ葛藤とともに生きてきたんだぜ。そのことを分かって欲しいな……ゲイだと打ち明けられた側が『迷惑だ!』と感じるとしても、それは人それぞれだから、仕方ないよ。オレとしては、どうか『迷惑だ!』なんて言わないで、寛大に受け入れて欲しいと期待するからこそ、めちゃくちゃ勇気を出して『カミングアウト』をするんだぜ……ことによっては、親子や家族、友だちの絆が切られちゃうかも知れない絶望の予感を抱きながらね」
A氏:「だけど、いきなり『今日から、オレをゲイとして見て欲しい』とか言われちゃって、まるで、<Yes/No>を突き付けられたようなもんじゃないか」
僕:「まさにその通りさ。ゲイの友だちを受け入れられるのか、そうじゃないのか、判断のボールを投げることが『カミングアウト』なんだよ」
A氏:「おまえがゲイかも知れないってこと、むかしからの友だちは、みんなウスウス気付いてたと思うぜ。友だちだからこそ、口に出さなかったんじゃないのかなあ」
僕:「そうかもね。けど、オレの方だって、友だちを失いたくなかったからこそ、正直にゲイだと言えなかったんだ。……いま、お互いに、やっぱり友だちなんだって再確認して、新しくて正直で、わだかまりのない間柄を繋ぎ直したいからこそ、オレは『カミングアウト』したんだ」
A氏:「お前の覚悟とか勇気を、お前の身近なゲイの人たちは称えるかも知れないけど、昔からの友だちにとっては、違和感っていうか、感覚的に距離があるんだよ」
僕:「そっちが勝手に遠ざかってるんじゃないの? その感覚的距離を縮めたいから、オレは自分がゲイなんだって、はっきりさせるんだよ……そうして、ゲイっていう人間たちが、何に苦しんで、何を諦めようとしてるか、いや、本当は何を求めているのかを、もっともっと幅広く知って貰うためにね」
A氏:「『カミングアウト』したからには、お前、もう被害者だとか差別されてるなんて言ってられないぞ。主張する側に立ったってことだぜ」
僕:「『カミングアウト』してるオレも、ほとんどの『カミングアウト』できないゲイたちも、引き続き、偏見の嵐に弄ばれるんだよ。これで終りなんかじゃない。世の中のゲイに対する意識を変えない限り、『カミングアウト』する/しないに関わらず、状況に違いはないんだ。……そんな世の中だから、隠れてるゲイよりも『カミングアウト』したゲイのほうが、より主張する側に立つ責任感を、はっきり自覚しているさ。……だからオレは、ブログや何かで記事を書くんだ。……ゲイとは如何なる人間なのか、何に苦悩し、何を諦めようとし、何を求めているのかを、人々に解って貰うためにね」
A氏:「だったら、主張する側に立ったおまえは、むかしからの友だちを取り戻す努力をすればいいだけじゃないか」
僕:「それは、オレが<説得をして>どうこうできることじゃない。ゲイであるオレを受け入れられるかどうかは、あくまで相手の心ひとつにかかってるんだから」
A氏:「おまえ、自分を異端視するなよ」
僕:「オレは、自分がゲイであることを、人間のひとつのあり方だと、当然のように考えてるぜ。異端だなんて思ったことは、ただの一度もないさ」
A氏:「<ゲイを認めるか認めないか>で、友だちの選別なんかするなよ。特殊な自分なんか忘れてさ、また、昔の友だちへ近付いてきてくれよ」
僕:「オレの方が、<ゲイを認めるか認めないか>で、友だちの選別をしたいんじゃない。オレは、お互いに友だちだってことを再確認して、新しくて正直で、わだかまりのない間柄を繋ぎ直したいから、『カミングアウト』をするんだよ……友だちが、それに応えてくれるかどうかを、オレの方が待っているのさ……催促なんかしなくても、機敏に反応してくれる奴もいるよ。そうじゃない奴もいるけどな……とにかく、それって、オレが選別しているわけじゃないだろ。オレは、いつでも友だち大歓迎さ」
A氏:「誰も、友だちを減らすようなことをしたがらないよ」
僕:「そう信じてるって。だからオレは、友だちそれぞれからの応えを待つんだ」
●未理解から理解への「睦び直し」
議論は平行線を辿った。しかし、A氏は僕を励ましてくれたのだと思っている。僕は、少しも悪く捉えてなどいない。むしろ、嬉しく、有り難く捉えている。これだけ多くのレスポンスを示してくれたのだから。
ただし、A氏の言葉からは、かなりたくさんの<未理解>が感じられる。誤解でも無理解でもなく、<未理解>である。だから、きっとA氏には、これから先、一緒に話せば話すほど、もっとゲイの心情を解って貰えるものと信じている。投げ出してはいけない。「カミングアウト」には、アフターケアが必要なのだ。
「どうもありがとう」A氏には、深く感謝している。
新宿二丁目「レインボー祭り」2008(記者撮影)
●同性愛者は人口の平均5%
このような記事を、ここJanJanに出稿するような市民記者が、これまでいたのかどうかは分からない。もとより、「どうして、こんな個人的なテーマを記事にするのだ」といった批判さえ、湧き起こる恐れがある。そうした批判を回避しようと考えるのなら、第一に、僕は自分可愛さから、この記事を出稿しないだろうし、出稿しても、第二に、編集部が弱腰になって掲載を思い留まるだろう。
だが、僕がJanJan上で「カミングアウト」することを、個人的問題だとする批判そのものが、まず以て当たっていない。なぜなら、事件や社会問題の渦中にある個々の「当事者」を含め、一般市民が、一般社会に向けて自らニュースや情報、論説を発信することが、市民メディアの役割だからである。それと、ブログ記事の執筆に留まらず、僕が市民記者として、ここJanJanのように一定の公共性を持つスペースで「カミングアウト」論を展開することが、僕個人のテーマをはるかに超えた「ゲイ、レズビアンなどLGBT」全体に関わる問題を提起するための、得難いチャンスだという意味合いもある。もちろん、僕がゲイ・レズビアンなどLGBTを代表しているなどという高慢な気持ちは、微塵もないことを申し添えておきたい。
読者の皆さんには、どうか一度、ご想像いただきたいと思う。
100人の人たちがいると、そのうち5人程度は同性愛者あるいは両性愛者〔*8〕で、それにトランスジェンダーを加えると、それ以上のLGBTが共存している推計になることを。仮にJanJanの市民記者が3000人いるとするなら、このうち、およそ150人はレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルで、トランスジェンダーを加えると、さらに多くなる。
〔*8〕
(1)「日本人のHIV/STD関連知識、性行動、性意識についての全国調査:平成11年度厚生科学研究費補助金エイズ対策研究事業『HIV感染症の疫学研究』研究報告書:1999年・木原正博(京都大大学院教授)、他」によると、同性との性的接触の経験があると答えた人は、男性:1.5%、女性:1.8%(回答数:3562人)だった。また、「同性に性行為や性的興奮を有する割合」は1.2%だった。(18歳から59歳までの日本人男性)
(2)「わが国の男性同性間のHIV感染対策について:日本エイズ学会誌:2007年:市川誠一(名古屋市立大学教授)」によると、(1)は対面式調査によるものだったため、実際の割合は3〜5%に上るのではないかと推測している。
(3)ポータルサイト運営会社・パジェンタの調査によると、日本の同性愛者は約274万人で、20〜59歳の人口比では約4%との結果が出た。(2007年11月:調査対象・約4万人)
(4)2005年12月、イギリス政府(財務省)は、同性カップルにも男女の結婚と同等の法的保障を認めた「シビルパートナーシップ法」の施行を受け、同国内の同性愛者の数が全人口の約6%に相当すると発表した。
ゲイの人口比を5%と仮定して考えると、たとえば東京都の男性人口(15歳以上)が540万人(542万1954人:平成20年1月1日現在)だとして、その5%は27万人だ。ゲイだけで27万人。東京ドームの収容人数は5万5000人とのことなので、5回も総入れ替えできるだけの膨大な人数となる。東京都目黒区の人口・約26万8000人(平成20年1月1日現在)や、東京メトロ・銀座駅の平均乗降客数/1日・約27万5000人(平成19年度)に匹敵する。レズビアンやトランスジェンダーを加えたら、さらに、その2倍ちかくになるだろう。さらに、全国規模でLGBTの総人数を考えると、到底、計り知れない値になる。
LGBTが、それほどまで多く推測できるのに、実際、ほとんどのLGBTは、ひたすら隠れたままである。一般社会から蔑まれ、笑いものにされ、好奇の対象として扱われるのがつらいからだ。でも本心では、少しでも自分が自分らしく堂々と生きることができたら、いろいろな意味で、人生がもっと明るいものとなっただろうと感じているに違いない。LGBTが、ひとたび勇気を得れば、その潜在的パワーは侮れないものとなるはずだ。
●見えていないだけで、実はどこにでもいるLGBT
LGBTに属する人たちは、皆さんのごくごく身近に存在し、息をひそめて生活している。意外なほど、たくさん。そして、この記事を読む全国のLGBTの皆さんへ、僕は提案する。これだけ多くのLGBTが日本にもいるのだから、「できると判断した人」から、「できるタイミング」を選び、「しても大丈夫だろうと想える相手」に、ちょっとずつの勇気を出して、部分的・段階的「カミングアウト」を、この際、試みてはどうだろうか。
一人でも多くのLGBTが可視化・顕在化することが、ヘテロの人たちが圧倒的多数を占める現代社会に、少しずつ、理解と受容の風穴を開けることへ繋がると信じている。もちろん、「カミングアウト」を果たしたから偉いなどということは全くない。「カミングアウト」を試みるかどうかは、申すまでもなく個々が主体的に考えるべきことで、誰にも強制することなどできない―――。
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