スクールバス運転手の片岡晴彦さん(相模原市で筆者撮影)
スクールバスに高知県警の白バイが衝突し警察官が死亡した「高知白バイ事件」はバス運転手の業務上過失致死罪が確定し、10日、収監状が届いた。
警察・検察が裁判所に提出し有力な証拠とされた「スリップ痕」は捏造の疑いが強いことが、交通事故調査人など専門家の実験で明らかになっている。
事故当時スクールバスの乗っていた生徒たちは未成年であるため裁判には出廷せず、事故を目撃していた校長の証言は採用されなかった。警察・検察のペースで裁判は進み、バス運転手の有罪が確定した。
冤罪とすぐに決めつけることはできないにしても、冤罪の疑いは濃い。にもかかわらず、大マスコミの記者たちは事実を追及しようとしない。
スリップ痕再現実験。取材に来たのは週刊誌やワイドショーなどだ。
警察の言いなりになる体質
警察という組織は身内の不祥事を最も嫌う。昇進にモロに響くからだ。そのため不祥事はなりふり構わず揉み消そうとする。企画監察という「警察内警察」セクションまである。
20数年前、西日本のある地方でこんな「事件」があった。暴走族の少年を懲らしめようと、警察官が警棒を少年のバイクの前輪に投げ込んだ。猛スピードで走っていたバイクは転倒し、少年は道路に激しく体を打ちつけて即死した。取締りを超えて警察官による人殺しだった。
この後、警察は証拠を隠滅するため一緒に走っていた少年たちを皆逮捕した。容疑は「集団暴走」。その場ではない。数日後だ。おそらく不祥事になると考え、それを揉み消すために少年たちの身柄を押さえたのだろう。
もちろん警察は自分に都合の悪い事案は発表などしない。深夜だったので警察官以外、誰も見ていなかった。少年たちの家族も警察から「暴走していたから逮捕する」と言われ、それを信じた。「息子が警察のご厄介になった」ことは秘密にしておかねばならない。
こうして事件は闇から闇に葬られるはずだった。ところが父親の一人がたまたま筆者と知り合いだった。父親は息子が警察に連れていかれる直前に一緒に走っていた仲間の名前と連絡先をメモに残させていた。当たれる家族は、ことごとく当たった。息子が家族に話した当時の状況はすべて一致した。
筆者は記事にした。というより記事にできた。隣県で起きた隣県の県警による不祥事だったからだ。自分がカバーしている県警の不祥事だとこうはいかない。取材の過程で警察幹部の知るところとなる。早速、広報官や所属長(本部の課長、警察署長)から「ネエネエ、田中ちゃん。今度特ダネあげるからさあ、あれ書かんといて」と耳打ちされる。
拒否すれば特オチをチラつかされる。特オチとは、他社は皆知っているのに自分だけが知らないことだ。記者にとっては最悪の屈辱で、特オチが重なった記者は、記者職を外されるケースが多い。我が身可愛さで記者は警察の不祥事を書けなくなる。
マスコミには自分の飲酒運転を揉み消してもらっている記者もザラにいて、彼らは書けない。警察の不祥事を書けば飲酒運転の過去がリークされるからだ。「●●社」の看板を背負っている以上、それは自殺行為につながる。社の幹部が飲酒運転を揉み消してもらっていることもある。上司による“教育的指導”で警察不祥事は書けなくなる。
以上は圧力によるものだが、近頃の記者は不祥事を追う取材力がなくなっているようだ。もう15年以上も前のことだ。ある警察の副署長が「今の記者さんたちは、こちらが言った通りに書いてくれる。もう楽よ」と話していた。
この世代が今では取材デスクとなって一線の記者を現場で指導しているのだ。自分ができなかったことを部下に指導できるはずがない。口では「ジャーナリスト云々」を言ってみても、権力から見れば怖くも何ともない体制になっているのだ。
警察の言いなりになるメディアは、結果として冤罪に手を貸すことになる。
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