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●あからさまな妨害 かつて2002年、法務省は全国の市区町村に対し、婚姻要件具備証明書(*)の申請書類に、「申請者本人の性別」と「結婚する相手の性別」を記入する欄を設けさせ、外国で同性との結婚を予定している日本人の申請者に対しては、婚姻要件具備証明書を発行を差し止めるようにとの通達を出したことがあった。 (*)結婚可能年齢に達していることや、重婚にならないことを証明する書類。 この通達は、日本に同性結婚を是とする法的根拠がないことから、整合性を保つために執られている措置だと説明されていたが、もたらされる実態は、「日本でだめなら、せめて外国で」同性結婚を果たそうとする同性愛者に対する、あからさまな妨害行為だとも言えた。 例えば、同性結婚制度のあるオランダで、同性パートナーと結婚しようとした日本人同性愛者が、婚姻要件具備証明書を発行して貰えなかったために、結婚を諦めざるを得なかったケースがあったと言われている。事実なら、それは法務省がもたらした作為的な悲劇である。 この問題については、同性愛者のあいだで、関心のある人たちから盛んに提起が為されていたが、要するに婚姻要件具備証明書の申請書類から、性別の記入欄を外し、結婚相手の性別を問わなくすれば済む話だとのことは、つねに指摘されていた。 ●突然の方針転換――しかし問題も このほど法務省は、同性結婚制度のある外国で、日本人が同性パートナーと結婚することを阻もうとしていた従前の方針をあらため、一転これを認めることになった。 この問題に取り組んできたグループと福島瑞穂社民党党首が、昨年11月、婚姻要件具備証明書を申請する際の「結婚する相手の性別欄」を削除するよう要請。法務省はそれを受け、婚姻要件具備証明書とは別に、単に独身であることを証明するだけの「新しい様式の証明書」を発行する方針を明らかにした。 日本人の同性愛者は、この「新証明書」を取得することによって、同性結婚制度のある外国において、同性との国際結婚を成し遂げることが可能になる。だが、いままでの婚姻要件具備証明書自体はそのまま残るので、法務省が発行を決めた「新証明書」の申請を、別途、希望しなければならない。 つまり、異性との国際結婚をしたい人は、これまで通り婚姻要件具備証明書を申請し、同性との国際結婚をしたい人は、わざわざ「新証明書」を請求しなければならないことになるので、その時点で類別が可能となり、プライバシー保護の観点から、問題は残されている。「新証明書」を請求する人イコール同性愛者といった見方をされる可能性を持つからである。 ●世界的に拡がる同性愛者政策 これまで日本の国会で、同性結婚問題が議論されたことなど、ただの一度もない。アジアでは、中国や台湾の立法府で、同性結婚を認める法案が提出されたことまではあったようだ。 日本は、同性結婚といった同性愛者政策を展開する一面において、欧米からはるかに遅れをとっているアジアの中、さらに後進の位置に甘んじている。 世界で、同性結婚を認めている国は五つである。 オランダ カナダ スペイン ベルギー 南アフリカ アメリカでは、連邦レベルの同性結婚制度は認められていないが、マサチューセッツ州など一部の州レベルでは合法化されている。 同性結婚に準じる「(同性カップルを含む)登録パートナー制度」が成立していたり、同性カップルに対する権利保障が為されている国(地域)は、いまや世界の広範に及んでいる。 アイスランド アメリカ(カリフォルニア州、ハワイ州、バーモント州など一部) アルゼンチン アンドラ イギリス イスラエル イタリア ウルグアイ オーストラリア(首都特別地域、タスマニア州) オーストリア グリーンランド クロアチア スイス スウェーデン スロベニア チェコ共和国 デンマーク ドイツ ニュージーランド ノルウェー ハンガリー フィンランド ブラジル フランス ポルトガル メキシコ(首都メキシコシティ、コアウイラ州) ルクセンブルグ これだけ多くの国々で、同性カップルは異性カップルと同等な法的扱いを受けている。同性結婚にまで至っていなくても、一定の社会的認知を受けているのである。 ●諸外国と日本――何が違うのか もちろん、同性結婚や同性パートナー制度があることは、同性愛者に対する差別や偏見、誤解や未理解が無いことの証しではない。むしろ、激しい差別やバッシングを経てきたからこそ、ハイレベルな権利保障獲得への道が開かれた。 日本の社会では、同性愛者差別やバッシングが、他の国々、とりわけ一神教諸国と比べると見えにくい。しかし、歴史文化的に「一神教的原理主義」が入り込む余地のなかった日本には、その代わり「ムラ社会的世間体原理主義」が蔓延(はびこ)っている。一神教的「原罪」を斥けようとするのではなく、世間様に顔向けできない「恥」を避けようとすることが行動規範の軸になっている。 宗教思想の上で考えるとき、唯一絶対の神の前では、「罪」を隠すことはできない。だからバッシングされる同性愛者たちも、神の前ゆえの試練に耐えることを覚悟しながら、一身をさらし、地上の法(=民主的プロセスで成立する法制度)が自らに味方する道を模索して突き進んだ。 ところが、世間様が絶対的存在である日本だと、「恥」は、ひたすら隠せば無かったことにもなる。どれだけ長くクローゼットの中に潜んでいても、かえってそこで安住を見出せば、それで良しとしてしまえる。 こうした経緯から、アジア諸国の同性愛者政策は、欧米と比較し、かなり遅れをとっている。日本は、その最たるものである。 ●千里の道も一歩から 今回、法務省が方針転換に踏み切ったことは、大いに加点評価できる。だが、果たして日本政府の同性愛者政策が、今後どのように生まれ、変化してゆくのか、まったく何の展望も見えていない。 日本人の同性愛者が「同性結婚の認められている国へ赴いて、それを果たすこと」を、政府がようやく認めた事実は、同性カップルに向けた優しさの反映と言うよりは、同性愛者政策が進んでいる当該諸外国への配慮といった面が優先されての判断もあったのではないかと、まず疑ってかかるのは僕の悪い癖かも知れない。 まだまだ、長い道のりとは言え、今回、法務省が踏み出した一歩が、日本の同性愛者に対する公平な権利保障へつながることを、一人の同性愛者として、僕は強く期待している。 ◇ ◇ ◇
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