TBSディレクター逮捕を報道したMSN産経ニュース(画面キャプチャ筆者)
英国人女性の死体遺棄事件の容疑者送検で12日朝、TBSの男性ディレクターが公務執行妨害で逮捕されたとする報道で、男性の名前について各メディアの報道が匿名と実名(顕名)に分かれた。犯罪報道において公務員の犯罪については実名主義が多数派を占めるが、警察が身内の犯罪について氏名公表を控えるなどしたことで匿名になっているケースもある。今回、マスコミは「身内の犯罪」について対応が分かれたが、匿名か実名かという重要問題について改めて議論を深めることの必要性を痛感する。
男性ディレクターの逮捕について各メディアの氏名報道は、くっきりと分かれた。匿名報道した主なメディアはasahi.com(朝日新聞)、毎日jp(毎日新聞)、NIKKEI NET(日本経済新聞)、共同通信、時事ドットコム(時事通信)など。実名報道したのはYOMIURI ON LINE(読売新聞)、MSN産経ニュース(産経新聞)、スポーツ報知など。地方紙の多くは共同通信が匿名配信したため匿名だった。
そもそも匿名か実名かという問題では様々な主張や意見がある。1980年代、人権侵害が著しい犯罪報道についてマスコミが相次いで「容疑者」呼称を採用、それまでの呼び捨て報道を改めた。しかし、氏名の後に容疑者を付しただけの付け焼刃的な対応であり、人権侵害の実情は全く変わっていない。
実名報道の意義については日本新聞協会が2006年12月に発行した「実名と報道」の冊子で詳細に主張している。それによると「私たちはメディアとしての使命を果たすために実名報道を原則としています。その使命をひと言で言えば国民の『知る権利』への奉仕です」とした上で警察に実名発表を求める意義について3点の理由を挙げている。以下、<>内に一部を引用する。
<(1)事実の核心
実名は事実の核心です。「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「なぜ」「どのように」のいわゆる5W1Hは、情報の必須要素です。その中でも「だれが」は絶対に欠かせない要素です。ほかのどれか一つ、たとえば「いつ」がなくても情報は成り立ちます。「なぜ」もそうです。ところが「だれが」は違います。ちょっと考えてみれば、「だれが」のない情報は情報とは言えないことがわかるはずです。同じように「なにを」を欠いてもやはり情報として成立しません。「だれが」「なにを」は、情報の核なのです。
(2)取材の起点
実名は、現にそこに存在する名前です。そこに行けば本人が居ること、多くの場合会えることを保証してくれます。実名の提示を受ければ、私たちは、そこに出かけ、本人やその周辺の人たちに取材することができます。そこから情報はふくらんでいきます。私たちは、発表だけに頼らず、実名発表を、独自に取材を深めていくスタート地点にしたいと考えています。
(3)真実性の担保
実名を起点に取材をした結果、事実が発表内容と食い違うということがあります。単なるミスもありますし、時に意図的なものもあります。いずれにせよ、実名があれば、間違いの発見が容易になります。逆のことも言えます。間違いが容易に見つけられてしまうとなると、発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなります。実名は発表内容の信頼性を高めるのです。
以上の通り、実名なしには私たちの仕事は成り立ちません。だから、私たちは実名発表を求めます。官公庁が組織と税金を使って収集した情報は、国民が共有すべき公共財的性格を持ちます。したがって、本来、官公庁に非開示の秘密情報があってはならないのです。つまり、実名は発表されるべき情報だというのが私たちの考えです>
一方、匿名報道主義の先駆者である同志社大学・浅野健一教授は近著「裁判員と『犯罪報道の犯罪』」(昭和堂発行)の中で「犯罪報道は変えられる」の項で改めて匿名報道主義の導入を求めている。以下<>内に一部を引用する。
<逮捕・起訴する側の主観(捜査機関が公的機関という理由で客観とされる)にのみ基づき、それに全面的信頼を置いて、被疑者・被告人を犯人扱いしてしまう犯罪報道は今日も続いている。
警察が逮捕しただけで犯人扱いし社会的に回復不能なダメージを与える現状を防ぐためには、これまでの犯罪報道の常識を一から疑わなければならない。そのキー・ポイントは、私たちが当たり前と思っている実名報道主義にある。人権軽視の報道を改革する鍵は匿名報道主義の導入である。現在マスコミが未成年者と精神障害者の犯罪に適用している「匿名原理」をすべての犯罪報道に拡大するのである。
匿名を原則にして、どの場合に顕名にするかを検討すればいい。顕名の基準づくりが必要なのだ。その基準にはさしあたり、刑法230条の2(事実の証明)に盛り込まれた(1)公共の利害に関する事実かどうか(2)公益を図るためかどうか(3)真実かどうか、の免責規定を厳格に適用していけばよい。これは自明の理だし、これ以外に人権軽視の本質的解決はないと思うのだが、マスコミ内部ではなかなか受け入れられない>
匿名か実名かという問題については犯罪被害者の観点からも議論されている。政府が05年に策定した「犯罪被害者等基本計画」には「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的に勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」という項目が盛り込まれ、事実上、警察が発表権を握った。
これに対して日本新聞協会と日本民間放送連盟は同年同月に「犯罪被害者等基本計画に対する共同声明」を発表、「被害者名の発表を実名でするか匿名でするかを警察が判断するとしている項目については、容認できない。匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならないと考える」などと抗議した。
今回のTBSディレクター逮捕報道で図らずも氏名報道のあり方が浮上した。マスコミが匿名か実名かについて統一的で公正・公平な判断を下さなければ権力の介入を招く恐れがある。そして実名主義に固執すればやがては読者・視聴者の不信を招くと私は考える。粗雑な実名報道がどれだけ多くの人びとに苦しみを与えてきたかに思いをはせ、実名至上主義からの決別を望む。
参考リンク:
冊子「実名と報道」、「犯罪被害者等基本計画に対する共同声明」は下記のサイトで読めます。
日本新聞協会
「裁判員と『犯罪報道の犯罪』」(amazon.co.jp)
犯罪被害者等基本計画(内閣府)