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匿名か実名か−TBS社員逮捕で浮上した報道事情

山本ケイ2009/11/13

匿名か実名か−TBS社員逮捕で浮上した報道事情 | TBSディレクター逮捕を報道したMSN産経ニュース(画面キャプチャ筆者)
TBSディレクター逮捕を報道したMSN産経ニュース(画面キャプチャ筆者)
 英国人女性の死体遺棄事件の容疑者送検で12日朝、TBSの男性ディレクターが公務執行妨害で逮捕されたとする報道で、男性の名前について各メディアの報道が匿名と実名(顕名)に分かれた。犯罪報道において公務員の犯罪については実名主義が多数派を占めるが、警察が身内の犯罪について氏名公表を控えるなどしたことで匿名になっているケースもある。今回、マスコミは「身内の犯罪」について対応が分かれたが、匿名か実名かという重要問題について改めて議論を深めることの必要性を痛感する。

 男性ディレクターの逮捕について各メディアの氏名報道は、くっきりと分かれた。匿名報道した主なメディアはasahi.com(朝日新聞)、毎日jp(毎日新聞)、NIKKEI NET(日本経済新聞)、共同通信、時事ドットコム(時事通信)など。実名報道したのはYOMIURI ON LINE(読売新聞)、MSN産経ニュース(産経新聞)、スポーツ報知など。地方紙の多くは共同通信が匿名配信したため匿名だった。

 そもそも匿名か実名かという問題では様々な主張や意見がある。1980年代、人権侵害が著しい犯罪報道についてマスコミが相次いで「容疑者」呼称を採用、それまでの呼び捨て報道を改めた。しかし、氏名の後に容疑者を付しただけの付け焼刃的な対応であり、人権侵害の実情は全く変わっていない。

 実名報道の意義については日本新聞協会が2006年12月に発行した「実名と報道」の冊子で詳細に主張している。それによると「私たちはメディアとしての使命を果たすために実名報道を原則としています。その使命をひと言で言えば国民の『知る権利』への奉仕です」とした上で警察に実名発表を求める意義について3点の理由を挙げている。以下、<>内に一部を引用する。
<(1)事実の核心
  実名は事実の核心です。「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「なぜ」「どのように」のいわゆる5W1Hは、情報の必須要素です。その中でも「だれが」は絶対に欠かせない要素です。ほかのどれか一つ、たとえば「いつ」がなくても情報は成り立ちます。「なぜ」もそうです。ところが「だれが」は違います。ちょっと考えてみれば、「だれが」のない情報は情報とは言えないことがわかるはずです。同じように「なにを」を欠いてもやはり情報として成立しません。「だれが」「なにを」は、情報の核なのです。
(2)取材の起点
  実名は、現にそこに存在する名前です。そこに行けば本人が居ること、多くの場合会えることを保証してくれます。実名の提示を受ければ、私たちは、そこに出かけ、本人やその周辺の人たちに取材することができます。そこから情報はふくらんでいきます。私たちは、発表だけに頼らず、実名発表を、独自に取材を深めていくスタート地点にしたいと考えています。
(3)真実性の担保
 実名を起点に取材をした結果、事実が発表内容と食い違うということがあります。単なるミスもありますし、時に意図的なものもあります。いずれにせよ、実名があれば、間違いの発見が容易になります。逆のことも言えます。間違いが容易に見つけられてしまうとなると、発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなります。実名は発表内容の信頼性を高めるのです。

 以上の通り、実名なしには私たちの仕事は成り立ちません。だから、私たちは実名発表を求めます。官公庁が組織と税金を使って収集した情報は、国民が共有すべき公共財的性格を持ちます。したがって、本来、官公庁に非開示の秘密情報があってはならないのです。つまり、実名は発表されるべき情報だというのが私たちの考えです>

 一方、匿名報道主義の先駆者である同志社大学・浅野健一教授は近著「裁判員と『犯罪報道の犯罪』」(昭和堂発行)の中で「犯罪報道は変えられる」の項で改めて匿名報道主義の導入を求めている。以下<>内に一部を引用する。

<逮捕・起訴する側の主観(捜査機関が公的機関という理由で客観とされる)にのみ基づき、それに全面的信頼を置いて、被疑者・被告人を犯人扱いしてしまう犯罪報道は今日も続いている。

 警察が逮捕しただけで犯人扱いし社会的に回復不能なダメージを与える現状を防ぐためには、これまでの犯罪報道の常識を一から疑わなければならない。そのキー・ポイントは、私たちが当たり前と思っている実名報道主義にある。人権軽視の報道を改革する鍵は匿名報道主義の導入である。現在マスコミが未成年者と精神障害者の犯罪に適用している「匿名原理」をすべての犯罪報道に拡大するのである。

 匿名を原則にして、どの場合に顕名にするかを検討すればいい。顕名の基準づくりが必要なのだ。その基準にはさしあたり、刑法230条の2(事実の証明)に盛り込まれた(1)公共の利害に関する事実かどうか(2)公益を図るためかどうか(3)真実かどうか、の免責規定を厳格に適用していけばよい。これは自明の理だし、これ以外に人権軽視の本質的解決はないと思うのだが、マスコミ内部ではなかなか受け入れられない>

 匿名か実名かという問題については犯罪被害者の観点からも議論されている。政府が05年に策定した「犯罪被害者等基本計画」には「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的に勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」という項目が盛り込まれ、事実上、警察が発表権を握った。

 これに対して日本新聞協会と日本民間放送連盟は同年同月に「犯罪被害者等基本計画に対する共同声明」を発表、「被害者名の発表を実名でするか匿名でするかを警察が判断するとしている項目については、容認できない。匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならないと考える」などと抗議した。

 今回のTBSディレクター逮捕報道で図らずも氏名報道のあり方が浮上した。マスコミが匿名か実名かについて統一的で公正・公平な判断を下さなければ権力の介入を招く恐れがある。そして実名主義に固執すればやがては読者・視聴者の不信を招くと私は考える。粗雑な実名報道がどれだけ多くの人びとに苦しみを与えてきたかに思いをはせ、実名至上主義からの決別を望む。

参考リンク:
冊子「実名と報道」、「犯罪被害者等基本計画に対する共同声明」は下記のサイトで読めます。
日本新聞協会
「裁判員と『犯罪報道の犯罪』」(amazon.co.jp)
犯罪被害者等基本計画(内閣府)
◇ ◇ ◇

ご意見板

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[54138] 冷静なご意見に感心
名前:浜地道雄
日時:2009/11/14 21:15
例に挙げられた「北朝鮮に軍事転用可能な部品を輸出」というコンプライアンス上の問題はよくわかります。


それとこのケースが同一なのか?
私なりに考えてみる材料をご提供いただきました。


吉川さんのご指摘、そして「追取材が必要かと」という点を中心に冷静なご意見に感心。
[54121] 追取材が必要かと
名前:吉川美幸
日時:2009/11/14 17:00
今朝報道バラエティー番組でこの件を取り上げておりました。

ある評論家が言っていたのは、「この取引会社は、身元を調査せずに従業員を雇用しているような会社とは契約を解除せよ、と指示したのであって市橋がどうとかいう問題ではない」。
私はあるメーカーに勤務しておりますが、例えば生産現場で派遣労働者を雇用しています。その派遣会社が身元調査が杜撰で犯罪者を派遣していることが分かった時点でその派遣会社とは契約を解除します。また少し話は逸れますが、取引のある部品メーカーが北朝鮮に軍事転用可能な部品を輸出していることが分かった時点で、その部品メーカーとは一定期間一切取引禁止となります。たとえそのメーカーがどれだけ素晴らしい事業や商品を提供していてもです。
いわゆるコンプライアンスって奴ですね。

よって、この件に関しては結論を出すのは時期尚早と考えます。
こういう時こそJANJANの出番のような気がしますが・・・。

所詮、ここも市民のための新聞といっても偏向度は別に大新聞に負けず劣らずです。また、記事の内容の間違いを指摘されてコソッと書き換えて指摘されるまで知らん顔で通そうとするような記者がいるような新聞です。
大切なのは双方の言い分を載せて読者に判断材料を与えることだと思います。 その役割をご意見番が果たしている点がこのJANJANの大新聞には無い優れた所だと思います。
[54098] 「考えられない!」→「あり得る愚挙」
名前:浜地道雄
日時:2009/11/14 11:12
山本さん、


ご指摘のこの記事(の内容)を知って絶句。 「考えられない!」と驚きました。
そして、一瞬後、「いや、あり得る愚挙」と思い直しました。


市橋容疑者逮捕:勤務通報した建設会社、契約解除の被害


つまり、例えばパンデミック騒動に見る「役所的対応」と同じです。
ある事件なりリスクの本質を、当事者としての責務から見るのではなく、
「もしかすると自分に降りかかるかもしれない非難」をどうかわすか
いうリスク対策を優先する、ということです。
(それによるコストとかは無視するーーー)


「水際防止作戦」をやることによって「私はちゃんと対策を講じました」
と言い訳ができる。
「各種集会・行事をキャンセル」することによって「私はちゃんと
対策を講じました」と言い訳ができる。


今回の場合、もしかすると「どうしてそんなところに発注したんだ?」と
(上司なりマスコミから)怒られるかもしれないので、
その前に「私は直ちに処置をしました」と「自己保身」をしておく。


ありがちの残念な「ことなかれ主義」の話です。
それによって、「もう余計なことはやめておこう」と
(正当な)正義感が退き、「臭いものにフタ」化することが
心配です。


以下(消える可能性があるので)抜粋:
・市橋達也容疑者(30)が逃亡中に勤めていた建設会社が、一部の取引先から「市橋容疑者のような男が勤務している会社と取引できない」と契約解除を通告された。
・社内では会社への影響を懸念する声も出たが、「社会人の義務」と判断したといい、「勇気を持って通報したが、こんなことになるとは」と困惑している。
【広沢まゆみ】毎日新聞 2009年11月13日 22時47分

[54095] 取材姿勢
名前:浜地道雄
日時:2009/11/14 08:48

私も「匿名か実名か」の問題よりも、取材姿勢(メディアスクランブルの記事も拝見)の問題を感じます。


それで、思い出すのは昨年末のこの記事。



名古屋越冬・マスコミが大挙押しかけ『派遣切りの若者居ないか』かなり迷惑する現場



越冬の状況を報道するのではなく、「やや例外的な対象」をハイライトしてお茶の間に届けるから、
それを見る市民はミスリードされます。
まして、迷惑してる現場の様子などは、知る由もない。


引用:
しかし、会場にあふれているマスコミ関係者は、人を捕まえては「若い人で派遣切りに遭って参加している人はいないか」と、聞きまくっていました。誰も彼も、まったく同じことを、しつこく聞きまわるので、越冬実行委員から、「それでは、野宿の仲間たちの立場が無くなる」と苦言を呈される、という場面もありました。
[54091] ありがとうございます
名前:大谷憲史
日時:2009/11/14 02:10
 私の調べ方が悪かったようですね。申し訳ありません。

 「英国人女性遺棄事件の逮捕報道に見た『メディアスクラム』」も拝読いたしました。

 ありがとうございます。
[54090] 既報のようですね
名前:山本ケイ
日時:2009/11/14 02:05
>大谷さま

<大手マスコミは、あまりこのような件を報道しないのでしょうか?>
毎日とかは報道しているようです。↓
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091114k0000m040121000c.html

<日ごろからの職業記者たちの報道姿勢に大きな問題があるのではないですか? >
については下記、拙稿をご覧ください。
http://www.news.janjan.jp/media/0911/0911112984/1.php


[54086] 山本ケイ記者へ
名前:大谷憲史
日時:2009/11/14 01:44
 確か山本ケイ記者は、関西在住の方だと記憶しております。

 そこで、お願いがあります。

 今回、市橋容疑者が潜伏していることを通報した大阪の建設会社が、警察へ通報したことで契約先から契約を解除されているということが小さく報道されました。

 大手マスコミは、あまりこのような件を報道しないのでしょうか?

 契約を解除されると言うことは、そこで働く方々の生活が成り立たなくなる可能性があるわけで、それはそれで大きな問題ではないかと思います。

 容疑者が潜伏していることを通報したこと自体は勇気ある行動ですが、その行動が思わぬ方向に行ってしまうのは、どうしてなのでしょうね。

 そのあたりを取材していただけると、市民メディアとしての存在意義が示せるのではないかと思います。

 私が関西や大阪に住んでいれば、すぐにでも出かけて取材するところですが、そうも行きません。

[54084] これは単なる
名前:大谷憲史
日時:2009/11/14 01:12
 「匿名か、実名か」の問題ではないような気がします。

 日ごろからの職業記者たちの報道姿勢に大きな問題があるのではないですか?

 ま、今回、運悪くTBS社員が逮捕されたわけですが、警察側としては、市橋容疑者を護送する前に、市橋容疑者の顔を映す機会を与えるような便宜供与を報道各社に図っていたと言う報道もあります。

 護送車に群がる報道関係者の姿が映し出されていましたが、そこまでして報道しなくてもよいのでは思いますね。視聴者は、そこまでして報道した内容を見たいと思っているのでしょうか。

 このような事件では、「匿名か、実名か」が問われるよりも、その報道姿勢を問うべきだと思います。

 今度は、埼玉&鳥取詐欺女や島根の女子大生の事件に報道が集中するでしょうが、そこでも今回と同じようなことが起きるでしょうね。

 大手報道機関ではない市民メディアは、このような報道に対して、どう関わっていけばよいのでしょうか?

 そのあたりを考えることもたいせつでしょうね。




 さて、藤重さん、やけに「日本人男性」を強調されていますが、過去に何か問題でもあったのですか?
 
[54082] この事件は印象的でしたね
名前:藤重典子
日時:2009/11/14 00:42
まずは被害者の国籍と性別と年齢です。非常に魅力的です。
加害者も日本人男性三十歳でした。
その逮捕場面に群がり怒号する日本人男性たちの姿。
これは社会に対する不満を一つの事件にぶつけたような印象でした。
それを取材する記者が功を焦ってか、義憤で勇みすぎてか、出すぎてしまうということでしょうか。
匿名報道したメディアの名を見ると、割と「良識派」と私に印象を与えるものです。
匿名の方がよいのでは、と思いました。警察に目をつけられていた記者をジャーナリズムから追い出す手段にされはかないません。
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